第60話ダンジョン・第二層
旧坑道ダンジョンの第二層は、第一層とは空気が違った。
階段を降りた瞬間、温度が二度ほど下がる。湿り気が増し、壁から染み出す水が足元にうっすらと溜まっている。天井が低い。松明の炎が壁面の水滴に反射して、ゆらゆらと不規則な光の模様を描いている。
「狭いな。剣を振り回すスペースがねぇ」
アルトが天井に手を当てて眉を寄せた。通路の幅は人二人分、天井の高さは頭上半尺ほど。長剣を大振りに振るうのは厳しい。
「突きと横薙ぎに絞れ。縦斬りは天井に当たる」
「わかってるよ。窮屈だな」
ノーラも不機嫌そうだ。
「雷も壁に当たるわ。跳弾して味方に来る。閉所では全力が出せない」
「だから俺がいる」
四人が俺を見た。
「閉所は音魔法の独壇場だ。反響定位は壁が多いほど精度が上がる。通路全体がスピーカーの箱みたいなもんだ。音が跳ね返りまくって、情報量が段違いに増える」
実際、第一層の時点で閉所での反響定位の精度は格段に高かった。第二層はさらに通路が複雑で狭い。俺の耳にとっては、宝の山だ。
「ッ」
反響定位を展開。
情報が洪水のように流れ込んでくる。
通路の分岐が三箇所。右は行き止まり、中央は二十歩先で広間に繋がる、左は下り坂で第三層への階段に続いている。広間の中には魔物が四体。反応からしてコウモリ型の中型魔獣——ブラッドバット。天井に張り付いて休眠している。
さらに——
広間の奥の壁に、不自然な反響がある。第一層で見つけた隠し空間と同じパターンだ。壁の向こうに空洞がある。
「全員に伝える。音の矢文で」
三人に個別にメッセージを送る。
——アルト。中央通路の先に広間。天井にブラッドバット四体。休眠中。起こさず近づけるなら奇襲できる。足音を殺せ。
——ノーラ。広間の天井は高い。雷を使える。ただしアルトが接近してから撃て。タイミングは俺が出す。
——セラ。後方待機。ブラッドバットは超音波を出す。耳を狙って攻撃してくるかもしれない。回復は耳の損傷を最優先で。
三人が無言で頷く。声を出さない。合図は目の動きと手の形だけ。ここ数週間の訓練で、最低限のハンドサインは共有できるようになっていた。
足音を殺して中央通路を進む。アルトの足運びは傭兵団仕込みだけあって、この四人の中で最も静かだ。ノーラは少し足音が立つが、俺が反響定位で前方を監視しているから、敵に気づかれる前に止められる。
広間の入口に到達。
天井を見上げると、四体のブラッドバットが逆さまにぶら下がっていた。翼を折り畳み、目を閉じている。体長は犬ほど。牙が鋭い。
——アルト。正面の二体を引き受けろ。飛び立つ前に仕留めるのが理想だ。
——ノーラ。残りの二体が飛び立ったら雷で落とせ。天井の石が崩れない程度の出力で。
アルトが剣を構え、一歩踏み込んで——跳んだ。
天井に届くほどの跳躍。剣が弧を描き、二体のブラッドバットを一太刀で切り裂く。休眠中の魔物は反応する間もなく落下した。
残り二体が覚醒し、甲高い叫び声を上げて飛び立つ。
——ノーラ、今!
ノーラの指先から青白い雷が走った。制御された出力。広間の天井を舐めるように走り、二体のブラッドバットを同時に撃ち落とす。石の欠片がぱらぱらと降ったが、崩落には至らない。
四体。十秒以内に全滅。
「……慣れてきたな」
アルトが剣についた血を振り払いながら言った。
「お前の声が聞こえると、本当に迷わない。"正面の二体"って言われた瞬間に、もう体が動いてた」
「ノーラも出力の調整が上手くなってる。天井を落とさなかった」
「当たり前よ。自分の頭の上に石を落とすほど馬鹿じゃないわ」
ノーラは口ではそう言うが、初期の頃なら広間ごと焼き尽くしていただろう。学院の制御訓練が完全に無駄だったわけではない。抑制の技術は確かに身についている。足りないのは「解放」の技術だ。
「さて。本題はここからだ」
俺は広間の奥の壁に歩み寄った。
「この壁の向こうに空間がある。第一層で見つけたのと同じ——隠された部屋だ」
共鳴探知で壁の厚さと材質を確認。第一層の時と同様、周囲より薄い壁。ただし今回は材質が違う。岩盤ではなく、加工された石材。人の手が入っている。
震破で壁を崩す——のは少し怖い。第二層の地盤がどれだけ安定しているかわからない。
「ノーラ。壁に小さな穴を開けてくれ。拳一つ分くらい。雷を極細に絞れるか?」
「やってみる」
ノーラが壁に指先を向け、針のように細い放電を放った。石材が焼けて溶け、拳大の穴が開く。精密な作業だ。
穴から中を覗く——と同時に、反響定位を穴の中に飛ばす。
返ってきた情報に、息を呑んだ。
部屋だ。かなり広い。天井も高い。そして——部屋の中央に何かがある。石の台座。その上に置かれた、平たい石板。
「セラ、松明をくれ」
ノーラに穴を拡張してもらい、人が通れる大きさにする。四人で中に入った。
第一層の隠し空間と同じ、乾いた冷たい空気。長い間密封されていた匂い。だが今回の部屋は、第一層のものよりもはるかに「整っている」。壁面は丁寧に研磨され、天井には幾何学的な紋様が彫り込まれている。明らかに人工の空間だ。
そして中央の石板。
松明の炎に照らされて、表面の文字が浮かび上がる。
第一層の断片的な刻印とは違う。今回は、文章がまとまった量で残されていた。古代共通語の割合も多い。
俺はマルタ婆に教わった知識を総動員して、読める部分から解読を試みた。
——読める。全部じゃないが、かなりの部分が。
「何て書いてあるんですか?」
セラが隣で息を潜めている。
「……待ってくれ。今、整理する」
石板の文面を、声に出して読んだ。
「『振動は世界の根源なり。始まりに音ありき。音が震えを生み、震えが波を生み、波が万物を形作りし。火は高き振動の顕現、水は低き振動の流れ、土は停止せし振動の堆積、風は振動の伝播そのものなり。四大元素とは、振動の四つの相に過ぎず』」
静寂。
四人とも声が出なかった。
「それ……全属性が振動の一部だって言ってるの?」
ノーラの声が震えていた。
「ああ。火も水も土も風も、全部『振動の現れ方の違い』だと。そして音は——振動そのものだから——」
「全属性の根源」
セラが呟いた。
「マルタ婆の伝承と同じだ。『震えが響きとなり、響きが波を生み、そこから光と火と大地が生まれた』。この石板はその伝承の——原典に近いものかもしれない」
石板にはさらに文が続いていた。だが後半は古代共通語ではない、さらに古い文字で書かれていて読めない。セラが「神代文字に近い」と言った書体だ。
読める部分だけを紙に書き写す。読めない部分も形を模写する。
「セレンさん。もしこの石板の内容が正しいなら」
セラが真剣な目で俺を見た。
「あなたの音魔法は、"外れ属性"どころか——四大元素の全てに干渉できる可能性がある、ということになります」
「……理論上は。でも今の俺にはそんな力はない。火を操ったり水を動かしたりなんて、想像もつかない」
「今は、ね。でも可能性としては」
アルトが石板を見上げて、ぽつりと言った。
「音魔法がゴミだなんて、誰が言ったんだっけな」
「みんな言ったよ。鑑定の儀で爆笑されたの覚えてるだろ」
「ああ。……あいつらに、これ見せてやりてぇな」
俺は笑った。
見せるのはまだ早い。この石板の内容が真実かどうかも確認できていない。古代の文献がすべて正しいとは限らない。
だが——可能性が見えた。
音属性は「外れ」ではなく、「根源」かもしれない。
その仮説を検証するのは、まだ先の話だ。今はただ、この発見を研究ノートに刻んでおく。
◇
帰還後、ギルドで報告。第二層の隠し空間の発見と、石板の記録。
リディアは石板の書き写しを読んで、長い沈黙の後に言った。
「これ、学院に送るべきかもしれないわね。古代魔法理論の専門家がいるから」
「ノーラの実地研修の報告書にも書いていいですか。エルデ教官に」
「そうね。……ただ、あまり大っぴらにしないほうがいいかもしれない。"音属性が全属性の根源"なんて話が広まったら、色々な人が色々なことを考えるから」
リディアの声に、例の静かな警告の色があった。
「わかりました」
宿に戻って研究ノートを開く。十二頁目。
《旧坑道ダンジョン・第二層隠し空間の石板》
内容要約:
・振動は世界の根源である
・四大元素(火・水・土・風)は振動の四つの相に過ぎない
・音は振動そのものであり、全属性の根源に位置する
検証状態:未確認。古代文献の主張であり、現代の魔法理論とは一致しない。
しかし、音魔法が他属性の魔力に干渉できた実例はある(ノーラの雷の共鳴制御)。
仮説:音属性は四大元素の「上位」ではなく「基底」に位置する。
全属性は振動の表現形であり、音はその振動を直接操作する属性。
→ だとすれば、音で火を操り、水を動かし、土を砕き、風を起こすことが理論上は可能。
→ ただし現時点では検証手段なし。今後の長期研究課題。
ペンを置く。
十二頁。まだ十二頁だ。
だが最初の一頁——反響定位を発見した日から比べると、音魔法の地図は驚くほど広がっている。
探索。攻撃。防御。通信。制御。
そしてもしかしたら——万物の根源。
ゴミ属性が根源属性だなんて、世界で一番の皮肉だ。
でも嫌いじゃない。むしろ——最高に面白い。




