第56話: 破孔震(システム・クラッシュ)
「消えろ! 塵も残さず!」
ディルクが腕を振るう。
詠唱不要の、純粋な魔力の濁流。
それは津波のように押し寄せ、俺たちを飲み込もうとする。
「セレンさん!」
「セラ! あいつの『魔孔』の位置を教えてくれ!
今、魔力を吸い込んでいる、一番の要所だ!」
セラが即座に解析眼を発動させる。
「へ……? む、胸の中央と、両肩、それと丹田です!
そこから周囲のマナを強制吸引しています!」
「上等だ。
吸引しているなら……俺の『毒』も吸い込んでもらう」
俺は迫りくる魔力の波に向かって、魔力を叩きつけた。
防御じゃない。攻撃でもない。
特定の周波数を持った、極めて微細な「振動波」だ。
「新魔法・『破孔震』」
キーン……。
針のように鋭い振動が、魔力の津波をすり抜け、ディルクの体へと到達する。
狙うのは、セラが指摘した「魔孔」。
魔術師が魔力を取り込み、循環させるための呼吸穴。
俺が送ったのは、その魔孔の開閉リズムを狂わせる「不協和音」だ。
『ガッ……!?』
ディルクの動きが止まる。
魔力の放出が止まらない。いや、止まれないのだ。
「な、なんだ……!? 魔力の流出が……制御できない!?」
「あなたは今、アクセルを踏みっぱなしの状態です」
俺は静かに解説した。だが、膝は震えていた。
静寂結界の維持で、俺の精神力も空っぽだ。立っているのがやっとだった。
「俺の音で、あなたの魔力回路の『弁』を壊させてもらった。
もうブレーキは効かない。
入ってきた魔力は、倍の速度で燃焼し、あなたの体を焼き尽くす」
「馬鹿な……! 私の完璧な回路が……熱い、熱いィィッ!?」
ディルクの体が赤熱し始める。
魔力効率の崩壊。
供給される街のエネルギーさえも、彼の暴走した回路は一瞬で食い潰していく。
自滅だ。
だが――ディルクは倒れなかった。
「……認めん。認めんぞ……!」
全身から煙を上げ、皮膚が炭化しながらも、ディルクは俺を睨みつけた。
その瞳にあるのは狂気ではない。
信念だ。
この街を守り、人類を進化させるという、純粋すぎて歪んでしまった正義への執着。
「私が倒れれば……誰がこの街を守る!?
愚かな大衆は、魔物に食われ、飢え、泣き叫ぶことになるのだぞ!
それでもいいと言うのか! 君は!」
ディルクが右腕を振り上げる。
暴走した魔力が、破壊の塊となって収束する。
相打ち覚悟の一撃。
「くっ……!」
俺に避ける力は残っていない。
セラも魔力切れで座り込んでいる。
……速さも、威力も、理想の高さも、間違いなくあなたが上だった。
俺たちが勝てたのは、あなたが「完璧」を目指しすぎたからだ。
「ええ。……それでも、俺は選びます」
俺は、燃え盛る熱波の中へ、ふらりと足を踏み出した。
「誰かに守られた家畜の平和より……傷ついても、自分たちで歩く泥道を」
俺は右手に、最後の、本当に最後の一滴まで魔力を絞り出す。
視界が霞む。
指先が崩れそうだ。
「セラ、あいつの中に囚われている人たちを……歌で守ってやってくれ」
「……はいッ!」
セラの聖歌が響く。震える声で紡がれる、魂への鎮魂歌。
俺はディルクの懐へ飛び込んだ。
熱い。体が焼ける。
それでも、俺の拳はディルクの胸――コアに届いた。
「崩れ落ちろ。
『破孔震・終曲』」
ドォォォォォン!!
俺の拳がコアを砕くと同時に、ディルクの体内で圧縮された魔力が内側から炸裂した。
青い結晶が粉々に砕け散り、光の粒子となって空へ舞い上がる。
『ア……』
ディルクの腕が、力なく垂れ下がった。
放たれようとしていた破壊の光が霧散し、彼の体が炭化して崩れていく。
彼は最期に、空を見上げていた。
そこには、彼が吸い上げ、守ろうとした市民たちの魂が、美しい光の雪となって街へ還っていく光景があった。
『……綺麗、だな……』
ディルクがポツリと漏らした。
『……私が守りたかったのは……この光だった……。
だが……私の手は……冷たすぎたか……』
「……ディルク」
『……セレン君。
覚えておきたまえ。
秩序なき自由は……地獄だ。
君たちが選んだ道の先には……血と涙しかない……』
「わかっています。
……それでも、俺たちは背負います」
『……そうか。
なら……見せてもらおう……君たちの……答えを……』
ディルクの瞳から光が消えた。
彼の体は灰となって風に舞い、誰もいない玉座だけが残された。
ゴゴゴゴゴ……。
鐘楼が崩壊を始める。
俺は膝をつき、空っぽになった手を見つめた。
勝った。
奇跡的な勝利だ。
だが、胸に残るのは高揚感ではなかった。
ディルクの言った通り、明日からこの街は混乱に包まれるだろう。
魔物に襲われるかもしれない。飢える人が出るかもしれない。
「やっぱりディルク様のほうが良かった」と恨まれるかもしれない。
俺たちの正義は、本当に正しかったのだろうか?
便利な平和を壊し、苦しい自由を与えた俺たちは、悪魔ではないのか?
「……セレンさん」
セラが、俺の手を握った。
彼女の手も震えていた。
でも、その温かさだけは確かだった。
「帰りましょう。
正解かどうかわからない明日へ」
「……ああ」
俺は頷き、灰の中で立ち上がった。
俺たちは勝ったのではない。
ただ、重い問いを背負って生き残っただけなのだ。
朝日が昇る。
崩れゆく塔の上で、俺たちは静かに朝を迎えた。




