第51話: モルヴァ洞窟の真実
洞窟の入り口に立った瞬間、俺は違和感に足を止めた。
「……おかしいな」
「何がですか? セレンさん」
セラが杖を掲げ、周囲を警戒しながら尋ねる。
「音が、死んでいるんだ。俺が足を踏み鳴らしても、反響が返ってこない。……まるで、分厚い布の中にいるみたいだ」
俺の感覚的な言葉に、セラが壁に近づき、手をかざした。
「……なるほど。壁に術式が埋め込まれています。
『遮音』と『隠蔽』のルーン文字……。
セレンさんの感覚は正しいです。ここは自然の洞窟ではありません。内部の魔力漏れを防ぐための、人工的な結界施設です」
「結界施設? 魔物の巣ではなく?」
「ええ。こんな高度な隠蔽工作、野生の魔物には不可能です。……人間が作った場所です」
セラの顔が険しくなる。
俺は短剣の柄を静かに握り直した。嫌な予感がする。
俺の耳が捉える違和感を、セラが知識で裏付ける。
この連携が、今の俺たちの武器だ。
◇
内部へ侵入する。
青白い魔導ランプが照らす通路は、不気味なほど清潔だった。
チリひとつ落ちていない床。規則的に並ぶ配管。
奥から、足音が近づいてくる。
「3人来る。……足音が揃いすぎている。普通の冒険者じゃない」
「魔力の波長が見えます。……ギルドの特殊警備隊ですね。彼らが纏っているのは『対魔法障壁コート』です。魔法使い対策の装備です」
現れたのは、フルフェイスの兜と防魔コートに身を包んだ警備兵たちだった。
彼らは俺たちを見るなり、無言で杖を構えた。
「排除する」
杖から放たれたのは、不可視の衝撃波――「空気弾」だ。
速い。
「セレンさん、右!」
セラの鋭い指示。
俺は考えるより先に体を右へ投げ出した。
風が頬を切り裂く。指示がなければ直撃していた。
「彼ら、警告なしで撃ってきましたね」
「装備に隙間がありません。魔法防御は完璧です……でも、関節部分の装甲が薄い!」
「関節だな。わかった」
俺は地面を蹴った。
真正面から突っ込む。
警備兵が再び杖を振るうが、俺は足音と風切り音でタイミングを測り、ジグザグに潜り込む。
(魔法が効かないなら、物理で通す)
俺は魔力を拳にまとわせた。
細かい計算はいらない。ただ、セラが言った「関節」めがけて、一番響くような音を叩き込む。
「音撃」
ガギンッ!
俺の拳が、兵士の肘関節を的確に捉えた。
殴打の瞬間に「震動」を流し込む。
コートの上からでも、衝撃は骨に伝わる。
「ぐっ……!?」
兵士が体勢を崩し、杖を取り落とす。
「そこです! 兜の留め具!」
セラの追撃指示。
俺は体勢を崩した兵士の懐に入り込み、兜のアゴ紐の金具を指で弾いた。
魔力を込めたデコピン。
金属同士が共鳴し、金具がパチンと弾け飛ぶ。
「なっ!?」
兜がズレて視界がふさがった瞬間、俺は強烈なアッパーを叩き込んだ。
ドサッ。
兵士が白目を剥いて倒れる。
残りの二人も、セラが光魔法で目くらましをしている間に、俺が関節を破壊して無力化した。
「ふゥ……。硬い連中だったな」
俺は手を振って痛みを散らす。
「ナイスファイトです、セレンさん。……でも、急ぎましょう。奥から……もっと無機質で、冷たい魔力の気配がします」
セラが顔をしかめ、通路の奥を見つめる。
俺たちは頷き合い、先へと進んだ。
◇
最深部、『A-01区画』。
そこで俺たちが目にしたのは、美しいけれど吐き気を催すような**「生産工場」**だった。
広い空洞の中央に、巨大な透明なカプセルが鎮座していた。
中には淡いピンク色の液体が満たされている。
そして、そこに浮いていたのは――。
「……まさか」
俺は絶句し、セラは息を呑んで立ち尽くした。
カプセルの中にいたのは、先日ロイルと一緒にいた女性冒険者、ミナだった。
だが、彼女はまるで「標本」のようだった。
薄い白衣のような布を纏っているが、その体には無数の細い管が接続されている。
背骨、手首、足首。
そして胸の中央。
管を通して、彼女の体から青白い光が吸い上げられ、天井のパイプへと送られている。
彼女は眠っているようだった。
だが、その表情は能面のように動かない。
「……きれいすぎる」
セラが震える声で呟く。
「え?」
「見てください、彼女の肌。傷ひとつありません。
汚れも、老廃物も、すべて薬液で浄化されています。
……まるで、精密機器の手入れのようです」
「……部品扱いってことか」
俺はカプセルの計器を見た。
【状態:魔力強制循環 / 生命活動:最低維持レベル】
彼女は生きている。けれど、生きていない。
自分の意思で指一本動かすことも許されず、ただ「魔力を生み出すフィルター」として、機械の一部に組み込まれている。
「ディルク……。
人間を、電池か何かだと思っているのか」
彼女がもし、傷だらけで泣いていたなら、まだ救いがあったかもしれない。
だが、彼女はあまりにも綺麗に「管理」されていた。
それが何より、彼女から人間性を奪っている証拠に見えた。
その時。
培養槽の横から、重々しい足音が響いた。
カツーン、カツーン。
現れたのは、全身を漆黒の鎧に包んだ剣士。
いや、鎧ではない。皮膚そのものが黒い金属質に変質し、筋肉が鋼のように隆起している。
顔半分は黒いバイザーのような骨に覆われているが、露出した口元は人間のままだ。
【試験体No.402:人造魔装兵】
「……ミナを、見るな……」
掠れた声。
バイザーの下から覗く瞳が、血の涙を流している。
「……俺たちを、終わらせてくれ……」
「ロイル……なのか?」
俺は短剣を抜き、静かに構えた。
あいつは怪物じゃない。
無理やり「強さ」という鎧を着せられ、心を押しつぶされた友人だ。
「セラ。下がっていてくれ。
あいつらは……俺が楽にする」
「セレンさん……ッ! お願いします……!」
「あのふざけた装置も、黒い鎧も。
全部俺が、終わらせる」
「オオオオオッ……!」
黒騎士が咆哮する。
獣の叫びではない。自分の無力さと、恋人があんな姿にされた絶望が混じった、悲しい絶叫だ。
黒騎士が剣を構える。
「あの構え……ギルドの訓練所で見たやつだ」
「剣士の基本スキル『スラッシュ』の構えです!
でも……魔力密度が桁違いです! 来ます!」
黒騎士が踏み込む。
速い。
床を砕くほどの脚力で一気に距離を詰め、漆黒の剣を振り下ろす。
ドォォォン!!
俺は横に転がって回避したが、衝撃波だけで吹き飛ばされそうになる。
斬撃の跡が、地面に深々と刻まれている。
「くそっ、Dランクの剣技じゃないぞ!」
「強制的に『魔剣士』のクラスへ昇格させられているんです!
本来なら何年も修行して得る力を、魔核を埋め込んで無理やり引き出しています!」
黒騎士が追撃に来る。
剣速が速すぎて、目では追いきれない。
だが、俺には聞こえる。
剣を振るう直前、あいつの筋肉が軋む音と、胸の奥にあるコアが鳴らす不協和音が。
(……動きは洗練されている。でも、苦しそうだ)
俺は防戦一方になりながらも、あいつの動きを観察する。
「セレンさん! 胸です!」
セラが叫ぶ。
「胸?」
「彼の心臓部分に埋め込まれた『魔核』が、無理やり体を動かしています!
あれが魔力を供給し続ける限り、彼は止まりません……いえ、止まれません!
魂が燃え尽きるまで戦わされます!」
「あそこが動力源か」
黒騎士が大きく剣を振りかぶる。
必殺の『魔剣・暗黒斬』の予備動作だ。
周囲のマナが剣に収束し、黒いオーラが膨れ上がる。
「セレンさん、逃げて! あれは防御不可能です!」
「いや、逃げない」
俺は一歩、前へ出た。
逃げたら、あいつを救えない。
そして後ろのカプセルで眠らされているミナも、救えない。
(タイミングは一回。
あいつが剣を振り下ろす瞬間、胸のガードが空く)
黒騎士が剣を振り下ろす。
死の圧力が迫る。
恐怖で心臓が破裂しそうだ。
でも、俺は信じた。
あいつの中にある、わずかな「人間」の部分を。
(ロイル。君だって、こんなことしたくないはずだ)
俺は剣の軌道をギリギリで見切り、懐へと飛び込んだ。
黒いオーラが俺の頬を焼き、髪を焦がす。
だが、届いた。
「はあああっ!」
俺は短剣を逆手に持ち、黒騎士の胸板――魔核のある一点へ、拳ごと叩き込んだ。
「音魔法――『魔孔・震破』」
ドクン。
掌から放たれた振動が、黒い鎧を透過する。
鎧を壊すんじゃない。
中にある、異物(魔核)だけを狙い撃つ、拒絶の音。
ピキッ……パリーン!
ガラスが割れるような音が響いた。
黒騎士の動きがピタリと止まる。
振り下ろされようとしていた剣が、手から滑り落ちた。
「ガ……ァ……」
黒い鎧が、砂のように崩れていく。
中から現れたのは、痩せ細り、傷だらけになったロイルの姿だった。
彼は俺の腕の中に倒れ込み、薄く目を開けた。
「……セレン……か?」
「ああ。遅くなってすまない」
「……ミナを……頼む……。
あいつを……もう、あのカプセルから出してやってくれ……」
ロイルの目から光が消えていく。
無理な改造の代償だ。もう助からないことは、俺にもわかった。
「……ありがとう……止めて、くれて……」
彼は最後に小さく微笑み、事切れた。
「……ッ!!」
俺は彼をそっと横たえ、立ち上がった。
背後のカプセルでは、ミナがまだ何も知らず、美しい顔で眠らされている。
それが、俺には残酷な死に化粧に見えた。
「……セレンさん」
セラが駆け寄ってくる。彼女も涙を流していた。
「これが……ディルクの言う『進化』ですか。
男は使い捨ての兵器に、女はただの部品に……。
人を人とも思わない、ただの効率主義の成れの果て……!」
俺は無言でカプセルに近づき、短剣でパイプを叩き割った。
液体が溢れ出し、ミナが床に崩れ落ちる。
セラがすぐに駆け寄り、彼女の体に自分の聖衣をかけた。
ミナは目を覚まさない。
衰弱しているが、呼吸はある。
だが、その心はどうだろうか。
「……許さない」
俺は奥の管理室へ向かった。
扉を蹴破ると、研究員たちが慌てふためいていた。
「ひぃっ! 魔装兵がやられた!?」
「ありえん! Bランク相当の出力だぞ!」
俺は無言で近づき、一番偉そうな男を殴り飛ばした。
セラが棚から黒い帳簿を見つけ出す。
「……ありました。これです」
セラが震える声で読み上げる。
そこには、ロイルの名前と『魔装兵への適合実験:成功』の文字。
そしてミナの欄には『魔力母体として稼働中。状態:安定』という記述。
「……下衆が」
セラが顔を上げる。
その瞳には、慈愛の聖女の面影はなかった。
あるのは、敵を滅ぼすと決めた修羅の瞳。
「セレンさん。行きましょう。
この帳簿を、ディルクの喉元に突きつけてやりましょう」
「ああ。
あいつの作った『理性』の城を、俺たちの『感情』で叩き壊す」
俺たちは地獄を後にした。
友の死と、傷ついた仲間を背負い、俺たちは修羅の道へと足を踏み出した。




