第50話: 昇格試験の招待
亡霊討伐から三日が過ぎた。
その間、俺たちは街の裏側を探ろうとした。だが、結果は「完璧な白」だった。
消えた新人たちの宿を訪ねれば、「急な借金で夜逃げしたらしい」と家主が証言書を見せてくる。
門番に聞けば、「彼らが早朝に出ていくのを見た」という記録が残っている。
どこを叩いても、埃ひとつ出ない。
あまりに辻褄が合いすぎていることが、逆に不気味だった。
「……見えませんね」
宿の自室で、セラが重い溜息をつく。
「誰も嘘をついているようには見えません。まるで、それが最初から事実だったかのように……記録も、記憶さえも整えられています」
「ああ。ディルクの言う『設計』ってやつだろうな」
俺は窓の外を見る。
街は今日も平和だ。誰も疑わず、誰も怖がらず、与えられた秩序の中で笑っている。
この平穏を壊す俺たちは、果たして正義なのだろうか?
そんな迷いがよぎりかけた時――
コン、コン。
ドアがノックされた。
俺とセラは顔を見合わせ、警戒しながらドアを開ける。
立っていたのは、ギルドの職員だった。
「セレン・バッハ様、セラ様ですね」
職員は礼儀正しく一礼し、懐から一通の封筒を取り出した。
それは、上質な黒い紙で作られており、封蝋にはギルドの紋章ではなく、天秤を象った知らない紋章が押されていた。
「ギルドマスター、ディルク・ホロウ様より親展です」
「……俺たちに?」
「はい。『亡霊討伐の功績を鑑み、特別なお話をしたい』とのことです。……では」
職員は封筒を押し付けるように渡すと、足早に去っていった。
廊下に残された俺たちは、黒い封筒の冷たい感触に、嫌な予感を覚えていた。
◇
ギルドの最上階、マスター室。
再びこの部屋に呼ばれた俺たちは、ディルクと対峙していた。
「やあ。待っていたよ」
ディルクは上機嫌だった。
机の上には、先ほどの黒い封筒と同じものが置かれている。
「君たちの調査活動、熱心だね。消えた彼らの足跡を追っているとか」
俺は心臓が跳ねるのを抑えた。
監視されている。
いや、隠すつもりすらなかったのだろう。「調べても無駄だ」と教えるために、あえて泳がせていたのか。
「……友達でしたから」
「美しい友情だ。だが、過去を追うよりも、未来を見るべきだよ」
ディルクは封筒を指先で滑らせ、俺たちの前に差し出した。
「単刀直入に言おう。君たちに『昇格試験』を受けてもらいたい」
「昇格……?」
「ああ。現在、君たちはDランク相当だ。だが、フォレストドックを単独で狩り、亡霊を祓った実力はC、いやBにも届く可能性がある。
今のランクに留め置くのは、ギルドとしての損失だ」
彼は甘い毒のような言葉を並べる。
「これは『特別試験』だ。
場所はここから北、モルヴァ洞窟の最深部。
そこで指定された物品――『青い鉱石』を持ち帰るだけでいい。
成功すれば、君たちを一気にBランク待遇へ引き上げる。報酬も権限も、今とは比べ物にならないよ」
「……もし、断ったら?」
俺が尋ねると、ディルクは困ったように眉を下げた。
「強制はしないよ。自由意志だ。
ただ……昇格を拒む者は、『向上心がない』とみなされる。
この街のギルドは、努力する者を応援する場所だ。停滞を望むなら、残念ながら依頼の斡旋順位は下がることになるだろうね」
つまり、断れば仕事を干す。
この街に居場所はなくなり、真実を追うこともできなくなる。
「……受けます」
答えたのは、またしてもセラだった。
彼女は俺の顔を見ず、真っ直ぐにディルクを見据えている。
「その試験、受けさせていただきます。……私たちには、上に行く理由がありますから」
「素晴らしい決断だ!」
ディルクは手を叩いた。
「試験は明日だ。準備を怠らないようにね。……ああ、それと」
彼は去り際の俺たちに、楽しげに付け加えた。
「モルヴァ洞窟は『選別の地』とも呼ばれている。
真に価値ある者だけが、生きて帰れる場所だ。
君たちが“本物”であることを祈っているよ」
◇
部屋を出て、階段を降りようとした時だった。
影から腕を引かれた。
リディアさんだ。彼女の顔は蒼白で、唇が震えていた。
「……受けちゃダメ」
小声だった。誰かに聞かれるのを恐れている。
「リディアさん?」
「あの試験は……ただの昇格試験じゃない。
『特別試験』なんて名前の、処分場よ」
彼女は爪が食い込むほど俺の腕を握りしめた。
「戻ってきた人を、私は見たことがないの。
あの茶髪の子たちも……昨日の夜、その黒い封筒を渡されていたわ」
「なっ……」
消えた二人組。彼らもこの試験を受けたのか。
いや、受けさせられたのだ。そして、戻らなかった。
「お願い、逃げて。今ならまだ間に合う。この街を出て……」
「リディアさん」
俺は彼女の手をそっとほどいた。
彼女の手は氷のように冷たかった。
「ありがとうございます。でも、逃げたら何もわからないままだ」
「セレン……死ぬわよ?」
「死なないよ。……俺たちは、選別されに行くんじゃない。あいつの『計算』を壊しに行くんだ」
俺は笑ってみせた。
リディアさんは泣きそうな顔で俺たちを見送った。
◇
その夜、宿の部屋で。
セラは窓際で膝をつき、祈りを捧げていた。
だが、その背中は小さく震えている。
「……聞こえません」
セラがポツリと漏らした。
「どれだけ祈っても、神様の声が聞こえないんです。
『行け』とも『止まれ』とも……ただ、沈黙だけが」
彼女の信仰が揺らいでいる。
神の沈黙。それは彼女にとって、見捨てられたことと同じ意味なのかもしれない。
俺はセラの隣に座り、短剣の手入れをした。
「神様も、迷ってるのかもな」
「……神様が、迷う?」
「ああ。ディルクの言う『秩序』は、一見すると正しいからな。
誰も不幸に見えない。効率的で、平和だ。
神様だって、これを『悪』だと断言するのに勇気がいるんじゃないか?」
セラが顔を上げ、俺を見る。
「……セレンさんは、どう思いますか? あれは、悪ですか?」
「わからない。
でも、俺は嫌いだ」
俺は短剣を鞘に納め、カチリと音をさせた。
「人を数字みたいに扱って、いらないものを『ロス』って呼ぶ。
そんなのが正しいなら、俺は間違いでいい。
……神様が見てないなら、俺たちが自分の目で見に行こう。
その洞窟に何があるのかを」
セラはしばらく俺を見つめ、やがて涙を拭いて立ち上がった。
「……そうですね。
沈黙もまた、答えなのかもしれません。『自分たちで確かめよ』という」
彼女の瞳に、再び光が戻る。
それは縋るような信仰の光ではなく、自ら道を決めようとする意思の光だった。
「行きましょう、セレンさん。
私たちの価値を、あの男に証明するのではなく……叩きつけに行きましょう」
翌朝。
俺たちは黒い封筒を懐に、モルヴァ洞窟へと向かった。
そこが、ディルクの描いたシナリオの終着点になるとは知らずに。




