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第47話: 戻らぬ新人たち

私は祈りを終え、まだ冷たい床石で膝をついたまま、ふと扉を振り返った。

鐘は三つ。朝のモルヴァはもう人々の足音を乗せ始めている。


(……来てくれるでしょうか、セレンさん)


昨日、私は言いきりました。


「明日はギルドではなく、魔物を討ちに行きます」と。


無謀と笑われるでしょう。

女の身で、聖女の肩書きで、護衛もなく街を出るなど、と。


けれど私は、もう彼の審判を他人に委ねたくはありません。

私の“神託”を、ただの装飾にされたくない。


そして

あの人なら、来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらもあるからこそ、怖い。

扉の蝶番が、かすかに鳴った。


「おはよ」


セレンは、息を弾ませながら立っていた。

まだ寝ぐせのついた髪、肩の荷物は昨日と変わらない。けれど、顔だけは違っていた。


「昨日のこと……言ったよね、“役に立つだけが価値じゃない”って」


私は頷く。

肯定して、否定して、揺れて、言葉を探して――たった一言を渡したつもりだった。


「俺さ……“あれ、わかる気がする”って思って。

……詳しくは説明しにくいんだけど、昔の俺、最後まで“価値”探しててさ。

何も残んなかったんだ。誰にも覚えられずに、消えた」


(前世)


私は知らない世界の話に、触れてしまったのかもしれない。

でも、問いはしなかった。それはいつも、本人が出す合図を待つべきだから。


「だから行く。どうせ戦う練習がいるって思っていたし。俺は“震破”が通じるか、試したい」


……よかった。

私は心の底で安堵し、その安堵を微笑に変えた。


「では行きましょう。ギルドではなく、私たちの意思で“魔物の棲む森”へ」





丘の上は、風がよく通る。

森の入口を俯瞰できる小さな丘に、俺たちは“ベース”を作った。石で火床を囲い、風下に浅い溝を切って煙の逃げ道を作る。布を張り、荷を仕分け、戻る場所を先に決める。


「まずは拠点ですね。帰る場所があると、人の心は崩れません」


丘の上のベースづくりは、セレンの手が入った途端にスピードが変わった。


「火床はここ。風下の土を抉って、浅い“受け”を作る。煙は……小溝であっちへ逃がす」


セレンは手斧もなしに、尖らせた杭で地面をさくさく切り、濡れ葉と乾いた草を層にして“低い火”の寝床を整えた。枝は太さを三段に分け、細→中→太の順で組む。


「火、得意なんですね?」


「火は“撫でる”んだ。叩きつけると怒る。これは恩人の傭兵に叩き込まれたんだ。」


火打ちの火花が柔らかく草を舐め、ぱち、と低い音。煙は溝を這って視線の高さより下へ滑っていく。日暮れの空に、ほとんど上がらない。


セラが目を丸くした。


「……本当に、煙が立たない」


「目のいい連中は、火花一つ拾うからね。隠す火は、守る火になる」


セラが微笑んで、巻物を広げる。細かな方眼と標高線、湿地の輪郭、獣道の通りやすさまで記載された立派な地図だ。


「その地図、どうやって?」


「護衛のサラ・ヴェインが、街で用意してくれました。測量院の写しみたいです。」


“おっかない修道女”の正体、やっぱり仕事が早い。


セラは指で一点を示す。


「ここ。ベースから一刻の湿地帯。スライムが多いはずですので、最初の練習に向いています」


「了解。まずはスライムで慣らそう」


セラは小さく頷き、地図を少し先にずらした。


「ええ。そして慣れたら、森の縁にいる“フォレストドック”にも挑みましょう。

 スライムよりは速くて、噛みつく力が強いですが動く相手への練習には最適です」


「順番に、か」


「はい。焦らず、積み上げていきましょう」


地図の上に描かれた湿地と森の境界線が、まるで試練のラインのように見えた。


「ねえ、これ……ギルドに黙ってて大丈夫か?

 勝手に魔物倒して、怒られたりしない?」


セレンは少し不安そうに呟いた。

討伐依頼も出ていない魔物を勝手に狩る。

それはどこか、決められたルールを破るような感覚があった。


セラは泥に沈んだ獣を見つめたまま、静かに首を振った。


「大丈夫です。ギルドは討伐を“独占”していません」


その声は、風のように穏やかで、しかし芯が通っていた。


「魔物が減ることを、誰も罰しません。ただ、“難しいから依頼になっている”それだけのことです」


 彼女の言葉に、セレンはハッと息をのむ。


(……そうか。俺はいつの間にか、“怒られないように”動くことを考えてたんだな)


前世にいた頃も、そうだった。

正しさよりも、評価されること。

効率よりも、規則を守ること。

いつの間にか、ギルドの“秩序”に自分の思考を縛られていた。


だが、目の前の少女は違う。

彼女は“正しいからやる”のだ。

誰かが決めた線引きではなく、神の導きと自分の信念で。


「……セラ、って、すごいな」


セレンがつぶやくと、セラは少しだけ微笑んだ。


「いえ。あなたが“動いた”から、私も信じられたんです」


湿地に入ると、藻の匂いが強い。セレンは歩き方を切り替えた。踵を使わず、足裏全体で“低く”着地する。草葉が鳴らない。


「足音まで消えるんですね」


湿地は藻の匂いが濃く、膝下の草が冷たい。

草影で、透けた塊がぬるりと身じろぎした。体内の黒い点が、ゆっくり揺れる。


その瞬間、

胸の奥が、ひやりと沈んだ。

恐怖とも驚きとも違う、“触れてはいけないものを見た”ときの拒絶感。体が動く前に、背骨だけが先に冷たくなる。

生き物の匂いがしない。息も、血も、温度も感じない。ただ、この世界という器に誤ってこぼれ落ちた“別の何か”。

耳の奥で音が一枚はがれ、周囲の水音と風が遠のく。


(……これだ。前に感じたやつ。)


セレンは一度だけ息を整える。

グレンに叩き込まれたやり方、吸って、止めて、細く吐く。足の指で泥をつかみ、重心を落とす。


(怯むな。見て、聞いて、当てる)


隣でセラが微かに頷いた。杖をわずかに下げて、彼に道を譲る。


スライムが音もなく“寄って”くる。

セレンは指先—自分の魔孔にそっと意識を落とした。魔力を留めて、震わせる。“震破”を核の縁へ。

ぷつ、と手応え。ゼリーが崩れるように形を落とし、短剣で核を“刺す”。

世界の音が戻ってきた。風が草を撫で、水面が細かくたわむ。


「……大丈夫だ」


自分に言い聞かせるように呟き、セレンは視線を上げた。背筋の冷たさはまだ薄く残っている。

湿地は藻と鉄の匂い。ほどなく、透けたゼリーが草陰を這った。体内の黒い点―核がゆっくり揺れる。


「魔法の浸透が見えました。きれいです」とセラ。


「次は犬を誘き寄せる。血の匂いで釣る」


セレンはその場ですぐ“匂い対策”に入った。スライムの残渣を湿地の流れが強い側に寄せ、足跡は葦を束ねた“箒”で乱す。最後に湿った土で自分の靴裏を叩き、匂いを均一化。


「……こんなにすぐに?」


「獣は秒で来る。来ないなら“来ない理由”がある」


言い終える前に、風が裂けた。

湿地の奥―草を揺らして、低い唸り。二体のフォレストドックが、泥を蹴って突っ込んでくる。


その瞬間、空気が変わった。


胸の奥が、ひやりと沈む。

風の流れが止まり、音が遠のいた。


(……まただ)


スライムと対峙したときと同じ、あの“異質な圧”。

目に見えない何かが、世界の縁をきしませる。

生き物の息づかいとは違う、

理の外側から、こちらを“観測してくる”ような気配。


湿地の奥で、風が止まった。

草のざわめきさえ消え、世界が一瞬だけ息を潜める。


セラが低く呟く。

「……来ます。速いです、二体」


その声の直後―泥を蹴り上げる音。

灰色の影が、雷のような速度で駆け抜けてきた。


「フォレストドック!」


セレンの目に、刹那の光が映る。

牙が閃き、次の瞬間には視界から消えていた。


(……速い! 追いつかない!)


スライムと違う。

“避けて構える”暇がない。

気配を感じた瞬間には、もう喉元に来ている。

動きを読んで“震破”を当てるどころか、まともに距離を取ることすらできない。


セレンは反射的に銅の短剣を横に振った。

ギンッ、と金属のような音。

牙を受け止めた衝撃が骨に響き、腕が痺れる。

重い。筋力が違う。


(……スライムとは、比べ物にならない!)


「フォレストドック……強い」


息を切らしながら後退する。

もう一体が側面から回り込んでくる。

連携すら取っている。理性を感じるほどの動き。

セレンは泥を蹴って転がり、間一髪で牙を避けた。頬に泥が飛ぶ。


セラがすぐに結界を展開した。


「距離を取って、セレン!」


「無理だ、こいつら速すぎる!」


口ではそう言いながらも、セレンの意識は右手の指先に集中していた。

末端魔孔。

そこに魔力を凝縮し、震えを作り出す。


(近づかなきゃ効かない……けど、近づけば噛み殺される)


それでも踏み込む。

音より速く、指先に魔力を溜め―放つ。


「震破!」


振動が走る。

空気が揺れ、犬の毛並みがわずかに動く。

だが―それだけだった。


効かない。

波は皮膚の表面で弾かれ、奥に入らない。


「……っ、通らない……!」


スライムのように波が体内を伝っていく感触が、ない。


「表面が厚い……浸透しない!」


“震破”を当てようにも、奴らの動きが速すぎる。

一瞬の隙に放てたとしても、震えは皮膚を滑るだけ。


もう一体が真横から跳びかかる。

セレンは地を蹴って転がり、泥に手をついた。

すぐ背後に牙が突き刺さる音。あと半歩遅ければ、喉を裂かれていた。


「動きが……速すぎる……! 狙う暇もない……!」


指先が震える。

魔法は近距離で当てなければ震えが伝わらない。

だが相手がこれほど速ければ、攻撃の間合いそのものが“死線”になる。


セラの声が飛ぶ。


「セレン、今は避けることに集中を!」


「駄目だ、離れたら狙えない! 近づく!」


セレンは再び魔力を練る。

基幹魔孔から、腕の筋の奥で魔力を回す。

魔孔が熱い。


「―震破!」


フォレストドックの胸に直撃―しかし。


「……まだ、効かないのか!」


毛皮が波を吸収している。

表面で散り、奥まで届かない。

スライムのように全身が“器”なら通る。

だが、獣の体は違う。

骨格が衝撃を逃がし、魔力が“滑る”ように弾かれていく。


そして反撃。

一体が跳びかかり、もう一体が側面を抑え込む。

逃げ場がない。


(避けられない。なら、踏み込むしかない!)


セレンはあえて一歩前へ出た。

鼻先に生臭い息。目と目が合う。

指先を震わせた瞬間、牙が頬をかすめた。

熱い線が走る。血が滲む。

それでも魔力の留めを止めない。


「今だッ!」


指先を突き出し、震破を放つ。

波が皮膚を抜け、わずかに“沈む”感覚。

フォレストドックの動きが半拍遅れる。

が―致命傷には届かない。


牙が掠り、腕に熱い痛み。

視界が揺れた。


セラが小さく杖を掲げる。


聖膜セイヴェール!」


淡い光の膜が、空気の層みたいに広がる。

牙の直撃は防げず、ただ衝撃を“和らげる”だけ。

それでも、その一拍が命を繋いだ。


「セレン、もう下がって!」


「……駄目だ。届かない……近づかないと効かないのに、近づくほど命が削れる……!」


泥の上に膝をつき、指先を見た。

血が滲み、皮膚が裂けている。

指先魔孔の反動が、確実に体を蝕んでいた。


セラが手を伸ばし、静かに首を振る。


「撤退します。あなたの魔法は、速い敵には、今のままでは届かない。それが、“震破”の最大の弱点です」



静寂。

耳の奥が、じん、と痛む。喉は焼け、体は泥だらけ。

セレンは膝をつきながら、荒い息の中で言った。


「……スライムのときみたいには、いかないな。震えが、奥に“届かない”。」


セラが頷く。「そうですね。毛と皮膚の層が厚い。“震破”は、近づかなければ通らない……そのぶん、危険です」


セレンは地面の泥を握りしめた。


(俺の魔法は、届くまで踏み込むしかない―“超近接魔法”。)


火照った喉に、冷たい風が通る。

魔物の血の匂いと湿った草の匂いが混じる中で、

セレンはようやく、戦うという意味を知った気がした。

セレンは息を整え、丘の方へ視線を上げた。

遠くに光が見える。

湿地の冷気の中で、指先の熱がまだ残っている。


「……そうか。届かせるには、距離を捨てる覚悟がいるってことか」


セラはうなずき、微笑む。


「はい。その覚悟があなたの闘い方には必要です。」


セレンは指先を見つめた。

痛みの奥で、確かに何かが響いていた。

それは敗北の音ではない。

“届かなかった”という実感―次に繋ぐための震えだった。


◇◇◇

十日後の朝。

湿地の空気は冷たく、靄が薄く漂っていた。

その中を進む二人の影。セレンとセラ。


「今日で終わらせる」


「ええ。今日こそフォレストドッグを倒しましょう」


十日前、二体のフォレストドッグに追い詰められ、命からがら逃げた場所だ。

けれど今日は違う。

セレンの眼差しには、確かな“理解”が宿っていた。

 

セラが微笑んだ。

彼女にはまだ理解できない“理屈”がある。

けれど、信じていた。

この少年は、確かに何かの領域を掴みかけている、と。


十日間―。

毎日フォレストドッグと相対し、逃げ、傷つき、倒れ、それでも立ち上がった。

わかったことは一つ。

この魔物に震破を効かせるには、魔物の魔孔を正確に撃ち抜かなければならない。


風が止まる。湿地の奥で、低い唸り。

灰色の影が草を裂き、二つの光が揺れる。

フォレストドッグ―。


セレンはその威圧を正面から受け止め、静かに息を吐いた。

十日前なら、追いつけなかった。

けれど今は違う。

セレンの目は恐れではなく“構造”を見ていた。

“圧”の向こうに流れる“線”が見える。


(……魔力の流れがある。胸から脚、尾へ……一瞬、溜まる箇所がある)


彼だけが知る感覚。

この世界の誰も名づけていない“魔力の要所”。

セレンはそれを“魔孔”と呼んでいた。


(右の脚の踏み込みが浅い。左は地を噛む……こいつら、交互に回してる)


体の動き、呼吸のリズム、魔力の流れ―

線を描くように、すべてが見える。


「来るぞ!」


泥を蹴って疾走。風が鳴り、牙が光る。

セレンは指先を構え、末端魔孔に魔力を集中させた。

そのわずかな間にも犬の影が目前に迫る。


(今までの“震破”は浅かった。皮膚で弾かれて終わってた……でも、今日こそ魔孔を貫く!)


「―震破!」


指先から放たれた波が、毛皮を震わせる。

セレンの狙いは毛皮のその奥、魔力の流れの要所となる魔孔だ。

毛並みが逆立ち、わずかな“沈み”を感じた。

届いた!


「今だ!」


振動が空気を裂き、獣の毛皮を貫く。

毛が逆立ち、胸の奥で一瞬だけ“沈む”感覚。

次の瞬間、フォレストドッグの脚が止まった。


(魔力を通す“穴”があるなら、そこを狙えばいい。流れを乱せば、体は動かなくなる)


セレンはその隙に踏み込み、短剣を胸の窪みに“刺し込む”。

刃が静かに沈み、獣の体が泥に崩れた。


「もう一体来ます!」


セラの声に、セレンが跳ぶ。

背後から風の裂ける音。

もう一体のフォレストドッグが、矢のような速度で迫る。


セレンは真正面から向き合った。

牙が目前に迫る瞬間、心臓の鼓動が音に変わる。


(十日間、散々苦しめられた。届かなくて、弾かれて、何度も噛まれた。でも、俺は見つけたんだ!)


「―震破!!」


振動がフォレストドッグの表面を裂き、獣の胸を貫く。

フォレストドッグの動きが一瞬で止まった。

泥しぶきが宙で凍りつくように静止する。


セレンは叫びとともに突き出す。

短剣の刃が、沈黙の中で一閃。

獣が崩れ落ちた。

水音とともに泥が跳ね、夜明けの光が差し込む。


「……今のは……?」


セラが目を見開く。


「フォレストドッグの“中に魔力の要所がある”って感じた。そこに震えを当てたら、止まったんだ」


 セラは震える声で呟く。


「……“中に要所”? 体の……中に?」


彼女は聖女候補として、数多くの祈りと癒しの魔術を学んできた。

だが、生物の“内側に魔力の要所がある”など、一度も聞いたことがない。


「そんな……そんな構造、聞いたことありません。魔力は霧のように全身を流れるもののはず……」


「でも、違う。流れには“節”があると。そこに震えを合わせると、全体がほどける」

「つまり、節に震破が“届いた”。魔力の流れが止まれば、身体も動かない。セレンさんの“魔力”が、敵の魔力を乱した。」


セラはしばらく言葉を失った。

だがその瞳の奥には、確かな光が宿っていた。


「……あなた、本当に“普通”じゃないのですね」


それは呆れでも、恐怖でもなかった。

ただ、人が“未知”と出会った時の、純粋な畏敬。


「……でも、“止める”までだな。完全には壊せない」


セラが静かに頷いた。


「あなたの魔力と魔法の出力では、“止める”が限界のようです。けれど―」


セラの瞳が柔らかく光った。


「あなたがもっと強くなれば、“止める”を超えて“壊す”ことも“消す”こともできるでしょうね」


「“止める”を超える……」



その時―

世界が、内側から“鳴った”。


胸の奥で鐘のような音が二度、響く。

「キーン!」

鐘にも似て、風鈴にも似た、不思議な音色。

セレンとセラの体が淡い光に包まれる。


筋肉が蘇り、視界が広がる。

血流が一瞬で整い、頭の芯が澄み渡った。


「……これって……!」


セラが驚いて自分の掌を見つめる。

その指先から微かに金の粒が舞い上がっていた。


「……レベルアップ、だ」


セレンは息を呑む。

あの時―アルトとノーラと狼型の魔物を倒した時も、森の狼のリーダーを倒した瞬間にも、同じ“音”を聞いた。

世界そのものが共鳴するような音。

そして今、再びそれが響いたのだ。


(……間違いない。俺たちは、“認められた”。魔力の器が、またひとつ広がったんだ……)


胸の奥で循環する魔力の流れが、明らかに太くなっている。

感覚でわかる。自分の中の“回路”が深くなった。


筋肉が、熱を持って膨らむ。

骨が軋み、神経が研ぎ澄まされる。

指先の感覚が一段階深くなり、視界の解像度が上がる。

魔力だけじゃない。体そのものが“整えられていく”そんな感覚。


セラも息を整えながら、驚いたように言う。


「魔力が……満ちています。体が軽い。視界が澄んでいる……」


「たぶん……俺たち、レベルが上がったんだ」


セレンは微笑みながら頷いた。


「これが、レベルアップ……女神様からの祝福。……神の兵の昇格……」


「昇格?」


セレンが問い返すと、セラは小さく頷いた。

その瞳には、まるで神の奇跡を見たかのような光が宿っている。


「女神の敵たる魔物を倒した時、女神は“光の鐘”を鳴らして、その魂を上位の兵へと導くといいます。―私たちは今、女神の兵として一段階、昇格したのです」


セレンは一瞬、言葉を失った。


(昇格……女神の兵、か。俺にはただ、世界の奥で“音”が鳴ったように感じたけど……なるほど、この世界ではそれを“祝福”って呼ぶのか)



「戻ろう。報告できることは少ないけど、顔は見せたい」


二人はギルドへ戻ることにした。

登録外の討伐ばかり続けて、技は伸びたが、街との接点が薄くなるのは危うい。


ギルドの扉をくぐった瞬間、違和感が走る。


昼下がりのはずなのに、空気が妙に冷たい。

見慣れたはずの顔が、いくつか、消えていた。

背筋を撫でる冷たい感覚は、明確な“異変”だった。


セラが静かに辺りを見渡す。


「……十日前までは、もっと賑やかでした。皆さん、同じ時間に出入りしていたのに」


「俺たちが森に籠ってた間に、何があったんだ……?」


二人の声が、ギルドの静けさに吸い込まれていく。

外の風が扉を鳴らした。

その音が、まるで“誰かが欠けた”ことを告げるように響いた。

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