第45話: 半額の報酬
湿地の泥が乾ききる前に、俺たちはギルドの扉を押した。
喧騒、酒の匂い、鍛冶槌の音。さっきまでの静かな湿地が嘘みたいに、世界は音で満ちている。胸の奥で、まだ“震え”の余韻が小さく跳ねた。
「戻りました。スライム二体、討伐完了です」
受付台に札と現地の証拠を置く。セラは半歩下がって穏やかに微笑み、護衛の女性は人混みの死角を読むみたいに視線を巡らせていた。
「セレン! き、君……本当に倒してきたの!」
ミロが人垣をかき分けて飛び出してくる。目を丸くして、次の瞬間には満面の笑みになった。
「やるじゃん!」
「うん、なんとか……」
俺が笑うと、カウンターの向こうでリディアが片眉だけ上げた。
手際よく札を抜き取り、帳簿に挟みながら、唇の端をゆるめる。
「……楽しそうね。けど、初依頼で笑って帰れる人なんて、滅多にいないのに。」
「よほど良い護りがついているのかもしれません」
セラが静かに言う。その声は鈴みたいに軽いのに、周囲の空気を凪がせる。
「護り、ね」
リディアは小さく肩をすくめ、そっと札を秤に置いた。
カウンターの向こうでリディアが片眉だけ上げる。手際よく札を抜き取り、帳簿に挟みながら唇の端をゆるめらそして、指先でカウンターの一点をとん、と叩いた。
「で、魔石は?」
「……え、魔石って何?」
俺が聞き返すと、リディアは小さく息をついて、しかし責めずに説明口調に切り替えた。
「討伐証明の核。魔物は死ぬと核だけが“石”として残るの。大きさや色は種で違うけど、スライムなら淡い青の欠片。流通も管理するから、まず“現物確認”が基本」
(核。あの濁った粒!)
血の気が引く。
(やばい、知らなかった……拾ってない!)
「す、すみません、核が魔石だって知らなくて。湿地に」
「こちらです」
落ち着いた声。セラの護衛が一歩前に出て、革の鞄から小さな布包みを取り出す。そっと開けば、淡青の欠片が二つ、昼の光を飲んで微かに明滅した。
「お忘れのようでしたので。現場に落ちていたものを、私たちが回収しておきました」
「助かる……!」
リディアは欠片をピンセットで摘み、灯の下へ。手元の小さな鑑定板に触れると、板面の紋がかすかに反応する。
「……導魔痕、膜由来の波紋、純度低め、スライムの魔石で間違いないわ。片方は少し欠けてるけど、証明には十分」
安堵が胸に落ちる。ミロが肘で小突いてきた。
「初回あるある。次からは“魔石回収”までが討伐ね」
「うん、覚えた」
リディアは包みを丁寧に閉じ、札と一緒に証憑へ綴じ込む。
「じゃ、改めて依頼処理に入るわ。はい、こちらが報酬。規定どおり“半分”。」
「半分?」
ミロが素っ頓狂な声を出す。
「え、なんで? 二体だよ?」
リディアは事務的な口調に戻り、帳簿を指先で叩いた。
「初の討伐依頼は評価期間だから。現場での行動、危険判断、撤退時の報告……いろいろ見るの。支払いは“見習い率”で半額。規定よ」
そのとき、隣の窓口から別の受付嬢の声が聞こえた。
「供給比率に基づく結果です。公平ですよ」
あまりにも機械的な響きだった。
俺は、思わず小さく呟いていた。
「……“公平”って、誰が決めたんだ?」
受付嬢はペンを止めずに答える。
「もちろん、全員でです。そして、署名はあなたの手でされました」
帳簿の余白に、ぱちん、と朱印が降りる。
目に入った印影に、思わず息が止まった。
《戦闘記録・供給データ》
(……戦闘“記録”? 供給“データ”?)
俺が眉を寄せるより早く、リディアは帳簿を半ば閉じ、淡々と続ける。
「次からは割合が上がるわ。あなた、魔物と闘ったのに、びびって手も足も震えてないし、悪くない線いくと思う」
「震えは、いい震えでした」
セラが横でそっと付け足す。穏やかに、でも芯のある言い方だ。
「ふふ。そう」
リディアは目だけで笑い、金貨袋を俺に押し出した。
「はい、“半分”。」
袋の重みは、想像より軽かった。初勝利の高揚が、ほんの少しだけ現実に削られる。そんなとき——
「待ちなさい」
正面から、落ち着いた男の声。
ざわめきが、自然に割れた。
黒い上衣に、金具の少ない丈夫な外套。背は高いが威圧はない。整った顔に、形だけ目を細める微笑。
ギルド長ディルク・ホロウ。
「新人の初討伐、拝見しました」
ディルクはまっすぐこちらに歩み、カウンター越しの帳簿に目を落とす。動作に無駄がない。
「湿地帯でのスライム二体。時間、証拠、帰還の足取り、どれも誠実です。規定通り“半分”……ふむ」
一度だけ、静かに首を傾けた。
それから、笑った。
「訂正してください、リディア。」
受付嬢が瞬きする。
「支部長、規定では初回——」
「“基準”は守るためにある。ですが、努力は、ちゃんと見える形にして返すべきだ」
ディルクは、静かな声で言い切った。
「手順も記録も優秀だ。嘘も虚勢もない。満額で」
周囲がどよめく。
リディアは一拍だけ沈黙し、肩をすくめてから金貨袋をもう一つ重ねた。
「……了解。訂正するわ」
袋が二つ、俺の掌の上で重なった。
想像した“初勝利の重さ”に、やっと手が届いた気がした。
「君がセレンくんだね」
ディルクが正面から手を差し出す。手のひらは硬く、温かい。
「は、はい。セレン=アルディスです」
「よくやった。努力する者は必ず報われる。ここは夢を掴む冒険者のための楽園だ」
彼はまっすぐ目を見ながら言った。
「安心して挑戦してほしい。私たちは“挑む人間”の味方だ」
心臓の横で、“響きの石”がぽん、と鳴った気がした。
こういう人を、俺は信じたい。
胸のどこかで素直にそう思ってしまう。
「それと……」
ディルクの視線が、ふと俺の後ろへ滑る。白い衣の少女へ。
「アルセリア聖堂の紋……ようこそ、ギルドへ。お噂は聞いています。」
礼を尽くす角度で、丁寧に頭を下げる。
「聖女候補、セラ様。モルヴァはあなたの訪れを歓迎します」
セラは驚いたように瞬きをし、それからやわらかく微笑んだ。
「そのように扱われる身では、まだ。 ですが、街と人を尊びます。あなた方の働きにも」
「光栄です」
ディルクの微笑は崩れない。
ただ、その瞳の奥で、声にならない影がひとつだけ呟いた。
(興味深い“素材”だ)
一瞬の、言葉にならない寒気。
だが彼が口にしたのは、終始温かい言葉だけだった。
ディルクは微笑みを崩さない。
「この街は“公平”なんです。 みんな、努力した分だけ報われます。冒険者にとって、これ以上の場所はない」
セラは一歩も引かず、瞳を真っ直ぐに向けた。
「公平……。それは、神が最も慎重に扱う言葉」
ディルクが穏やかな声で続ける。
「公平とは、能力に応じた報いのことだ」
セラははっきりと告げた。
「報酬のために戦う者に、真の救いは訪れません」
一瞬、空気が止まる。
ディルクは微笑を崩さず、しかし目の奥がほんの少し冷えた。
「……それぞれの信仰がある、ということですね」
理知的に受け流し、彼はわずかに頭を垂れる。
「ギルドは、挑戦する全ての人に開かれている。聖堂にも、冒険者にも」
セラは礼を返すだけで、それ以上は言わなかった。
「新人教育は段階的に。無茶な依頼は私が止めます。リディア、ミロ、しっかり頼みますよ」
「もちろん」
ミロが胸を張る。
「セレンは僕が連れてきた冒険者ですから!」
「はいはい、書類が先。浮かれるのは支払いの後にして」
リディアが帳簿をこちらに向け直し、必要事項を示す。
「ここ。討伐体験の詳細を簡潔に。“震え”で崩した、で伝わる?」
俺は頷いて、震える手でペンを取る。
視界の端で、朱の印がもう一つ、ぱちんと落ちた。
《戦闘記録・供給データ》
(……さっきも押されてたやつ、だよな)
僅かな違和感が喉に引っかかる。けれど今は、インクが乾く前に記録に残すほうが先だ。
「……はい、これで合ってます」
「ええ、分かったわ」
リディアは書面を手際よく束ね、金貨袋を正式に俺へ押し出した。
「支払い、満額よ。初討伐にしては上々ね。」
「それから」
リディアは、金貨袋を指先で軽く叩いた。
「僅かだけど、スライムの魔石の分も上乗せしておいたわ。……他で売る場所なんて知らないでしょうから」
ミロが笑う。
「田舎者丸出しってバレてるぞ、セレン!」
俺は耳まで熱くなりながら頭を下げた。
「……ありがとう。次からはちゃんと拾う」
「それと、セラさん」
呼ばれたセラが小首を傾げる。
リディアは、彼女にだけわかる声音で言った。
「……ビギナーズラックほど後々怖いものは無いのよ」
セラは微笑みのまま、視線だけで礼を返す。
「今日は笑っていい一日でした。彼が、ちゃんと歩いたから」
ミロが俺の肩をがしがし叩く。
「よし! 今日は屋台で肉! 僕が半分出す!」
「いや、今日は俺が出すよ」
金貨袋の重みが掌で馴染む。初めて、金が金として感じられた。
俺はセラのほうを振り返る。
「……ありがとう。あの時の声、助かった。スライムを倒せたのもきっとセラのおかげなんだと思う」
「私は何もしていません」
セラは首を振る。
「あなたの魔法が、あなた自身を前に押しただけ」
ディルクが満足げに頷いた。
「いい仲間に恵まれたね、セレンくん。ここでは、努力も信頼も、必ず実を結ぶ。 そういうギルドにしたいんだ」
理想の言葉。まっすぐな声。
信じたくなる。自然と、そう思わせる力があった。
「それじゃ、今日は解散」
リディアが帳簿をぱたんと閉じる。書類の端に、さっきの朱印がほんの少し覗いた。
彼女は視線を落としたまま、誰にも聞こえない音量でつぶやく。
「……この笑顔が、いつまで続くかしら」
その呟きだけが、夜の始まりに薄い影を落とした。
でも俺は、気づかない。
初勝利の熱がまだ冷めず、ミロの声と、セラの静かな微笑みと、満額の金貨の音が、胸の中で心地よく鳴っていたから。
ギルドの扉を出ると、モルヴァの空は茜色に傾き始めていた。
世界は広い。
次も勝つんだ。そう思えた。




