表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/63

第42話: 旅立ち、冒険者への決意

春の風が村を抜けていく。

芽吹き始めた畑の土は、柔らかく、まだ冬の冷たさをわずかに含んでいた。


丘の上の鐘楼から、昼の鐘が鳴る。

鐘の音はいつもと同じように村を包んだ。

けれど、今日のセレンの胸には、なぜか重く響いた。


家に帰ると、母リーナが封筒を手にしていた。

茶色の封蝋には、王都の紋章と「王立アルテリオ魔法学院」の文字が刻まれている。


息をのむ。

グレンが推薦状を送ってくれてから、もう半月。

ようやく届いたそれが、何を意味するか、セレンにもすぐに分かった。


母が封を開け、震える手で文面を広げた。

そこには、丁寧な筆致でこう書かれていた。



「臨時鑑定の儀の記録を精査したところ、“音属性”なる系統は、当学院において未だ承認された魔法学体系に存在しません。ついては、貴殿の入学資格を棄却と致します。」」


セレンの胸の奥が、静かに沈んでいった。


“存在しません”たった六文字。

それだけで、努力も、夢も、未来も、すべて線を引かれたように感じた。

母リーナは、言葉を探すように息を吸った。


「……そんな、グレンさんの推薦まであったのに」


手紙の下には、補足のように冷たい文言が並んでいた。


「音属性は、前例がなく、実証も不十分。学院としては教育課程に組み込めません。また、鑑定の際に観測された不安定な反応も、判断に影響しました」


“ぽよん”。


あのとき、光の柱が微かに震えた、あの、間の抜けた音。

村人たちが笑ったあの瞬間が、今さらのように心を刺した。


(体面、か……)


セレンは静かに手紙を握りしめた。

王都の学院。貴族や大商人の子息たちが集う世界。

そこに「音魔法」という格式の低い存在を受け入れる余地は、最初からなかったのだろう。


カイルがぽつりとつぶやいた。

「……俺たちも、そうだったのかもな。勝手に“光属性”だと決めつけてた」


その言葉は静かで、けれど痛いほど真っすぐに胸に刺さった。


その夜、集会所に呼ばれた。

村長ハルド、マルタ婆、父ゲイルも、母リーナ、兄たち。

囲炉裏の火が、橙色の光を壁に踊らせていた。


ハルドが口を開いた。


「……王都からの返答、拝見した。厳しいのう」


深い皺を刻んだ顔に、どこか申し訳なさそうな影が落ちている。


「音属性……わしも長いこと人を見てきたが、聞いたことがない」


マルタ婆がうなずく。


「この村でも初めてじゃ。けれど、前例がないというだけで拒むとはのう……。学び舎とは、人が未知を受け入れる場所のはずじゃろうに」


リーナがゆっくりと立ち上がる。


「簡易鑑定で“属性なし”って出ただけで、みなさんがこの子を“不吉の子”って呼んでたこと、私は忘れてないですよ」


声は穏やかだった。怒鳴り声でも、責めるような調子でもない。けれど、その穏やかさが逆に痛かった。


広間の空気が一瞬にして凍りつく。

誰も目を合わせようとせず、椅子の軋む音さえ響かない。

薪のはぜる音だけが、やけに大きく聞こえた


「学院というのは、そういうところなんだよ」


レオンが苦い顔をした。


「俺が士官学校を受けたときも、家柄や属性で格付けされた。学校ってところはどこも“力”より“型”を見てる」


兄カイルが、静かに口を開く。


「村の畑と違って、彼らは“結果の出ている種”しか植えない。新しい種は、芽を出す前に摘まれるんだ」


沈黙が落ちる。

囲炉裏の薪がはぜ、静かな音を立てた。

やがてハルドが、重い口を開いた。


「……セレン、わしら庶民が学院に入るには、二つの道しかない。ひとつは“希少属性”と認められること。もうひとつは、“冒険者ランクC”以上を取ることじゃ」


「ランク……?」


セレンがつぶやく。

マルタ婆が補足するように言葉を継いだ。


「冒険者というのは、魔物を狩り、素材を集め、世界を旅して己を鍛える者たちじゃ。王都は彼らの“実績”を、学院入学の証明として扱っておる。前例のない者でも、“結果”を出せば無視できぬということじゃ」


「つまり……」


セレンは拳を握る。


「学院に入れないなら、自分で“実績“を作ればいい」


リーナが、思わず息をのむ。

その顔は不安と希望が入り混じった複雑な表情だった。


マルタ婆が微笑む。


「そうじゃ。世界は広い。村を出れば、音を“魔法”として見てくれる者もおるかもしれん。お主が響かせた声を、きっと誰かが聞いておる」


ハルドが頷いた。


「行くか、セレン」


「……はい」


迷いはなかった。

農家の三男坊として村に残る理由もあった。

家を継ぐ兄、支えてくれる母、認めてくれた村の人たち。

だが、それ以上に、心の奥に“知りたい”という渇きがあった。


なぜ、魔力を帯びるのか。

なぜ、誰もが魔法を使えるのか。

なぜ、誰も知らない“音魔法”が存在するのか。

それを確かめるには、世界を見るしかない。


ハルドは少し考えてから、ふと笑みを浮かべた。


「……そうだな。もし行くあてがないなら、“モルヴァ”という街がいい。昔、行商人から聞いたんじゃ。冒険者の受け入れが手厚くて、初心者にも仕事が多いらしい。“新しい者を歓迎する街”そう言っておったよ」


マルタ婆がうなずく。


「へぇ、そんな街があるのかい。そりゃ都合がいいねぇ」


リーナも少し安心したように微笑む。


「……それなら、少しは安全そうね」


セレンは頷きながら、小さく息を吐いた。


「モルヴァ、か……。うん、そこに行ってみる」



夜。

村の丘にひとり立つ。

空は満天の星。風が吹き抜け、鐘楼の鐘がわずかに揺れた。


(学院が無理でも、学ぶ場所は世界にある)


あのときノーラが言った言葉が、ふと蘇る。


女神様が“音魔法”とした理由は、きっとあるわ。

どう使ってほしいか、その想いを、あなたに考えてもらいたいから。


「……考えるさ」


セレンは静かに呟く。

目を閉じ、喉の奥に魔力を流す。

喉の末端魔孔が、かすかに震えた。

風がその振動を拾い、空気が共鳴する。


ひゅう、と微かな音が夜空を渡る。


小さな“音”が、遠くの山に反響した。

ほんの一瞬だが、それは確かに届いた。

まるで、世界が「聞いている」とでも言うように。


「俺の声を、世界に響かせる」


胸の奥で、魔力が脈を打つ。

それはまだ幼く、不安定な“音”だった。

けれど、その震えの中に、確かな“意志”があった。


背後で、足音がした。

振り返ると、マルタ婆が立っていた。

月明かりに照らされた皺だらけの顔が、柔らかく笑っている。


「決めたのかい、セレン」


「はい。明日の朝、荷をまとめて」


「そうかい。……寂しくなるねぇ」


マルタは杖を突きながら、空を見上げた。


「昔な……まだわしが若いころ、こう言われたんじゃ。“音は心の形。誰かを想うほど、遠くまで届く”ってね」


セレンは黙って聞いていた。


「お主の声は、優しい音をしておる。この世界がどれほど騒がしくても、きっとその音は届くさ」


「マルタ婆……ひとつ、聞いてもいい」


「ん? なんじゃい」


「俺の鑑定の儀のとき、言ってた言葉……“震えが響きとなり、響きが波を生み、そこから光と火と大地が生まれた”って。あれ、どういう意味なの?」


マルタは一瞬、目を細め、遠い昔を見るように夜空を仰いだ。


「……セレン、“世界の始まり”ってのを聞いたことはあるかい?」


セレンが眉をひそめる。


「創世神話ってやつ? 光の神が大地を照らした、とか、教会でちょっとは聞いたけど……退屈だった」


マルタは鼻で笑った。


「わしが昔に聞いたのは、もっと荒っぽい話だ。光や炎より前に、この世には“振動”しかなかったっていう神話だよ」


「振動……?」俺が思わず声を漏らす。


「無から有が生まれるとき、最初に走ったのは震えだそうだ。揺らぎが響きとなり、響きが波となり、波がぶつかって光が生まれ、火が灯り、大地が固まり、やがて命が芽吹いた……。」


「つまり……“震え”が、世界の始まりってこと?」


マルタは微笑んだ。


「そうじゃ。だからのう、セレン、お主の力は、全ての起こりの始まり“ゆらぎ”そのものを呼び起こすのかもしれんよ。」


セレンは黙って夜空を見上げた。

星々が震え、まるで世界そのものが微かに歌っているように思えた。


「……ありがとう、マルタ婆」


マルタは笑って、背中を軽く叩いた。


「行ってこい。外の世界を“見て、聞いて、響かせて”おいで」


その言葉に、セレンは深く頭を下げた。


夜明け。

村の門の前。

背負い袋ひとつの旅支度。


「食えない時はいつでも帰ってこい」

ゲイルが力強く抱きしめた。


兄カイルが黙って袋を持ち上げた。


「水袋、詰めといた。無茶するなよ」

「レオンから預かった短剣だ。護身用にしろ」


二人の兄の言葉に、セレンは微笑んだ。


「ありがとう。……俺、行くよ」


リーナがそっと息子を抱きしめた。


「あなたの魔法は、人を傷つけるためじゃない。人を繋ぐために生まれたの。忘れないでね」


「うん。母さん」


門の向こうに、朝焼けの光が広がる。

まだ誰も踏みしめていない道。


ぽよん。


鑑定の儀で鳴ったあの情けない音。

けれど今は、不思議と心地よい。

まるで「運命の始まりの合図」だったように。


セレンは空を見上げた。

雲一つない青空。

その先に、無数の未知が待っている。


(光でも、火でも、土でもない。俺は、音だ)


レオンから貰った短剣を腰に差し、ゆっくりと歩き出す。

草の音、風の音、鳥の声。

それらすべてが混ざり合い、世界がひとつの“旋律”のように響いていた。


足取りは軽い。

けれど、その一歩一歩に、確かな決意が宿っている。


(前例がないなら、俺が前例になる)


丘を越え、村が小さくなる。

鐘楼の上で、セリオの鳴らす鐘が鳴り響いた。

その音は、まるで“行ってこい”と背中を押すように温かかった。


セレンは立ち止まり、振り返る。

小さな村。母の家。

すべてが、初めての“原点”だった。


「ありがとう、俺を愛してくれた。俺の家族。」


朝の光の中で、少年の声が風に乗った。

その音は、確かに空へと溶け、遠くへ、遠くへ。


そして、世界のどこかで誰かが、

ほんの一瞬、心の奥が震えた。


それが“音魔法”の第一歩だと、

まだ誰も知らなかった。


————————————————

その頃。

はるか南方の王都近く。

“神聖アルセリア聖堂”の最奥、白亜の祈祷室、

そこに、ひとりの少女がいた。


白いベールが静かに揺れ、長い漆黒の髪が肩に流れる。

祭壇の前で、彼女はそっと祈りの手を止めた。

その瞳は、夜明け前の空のように澄みきっていた。


静かな風が、ステンドグラスを震わせた。

光が差し込み、聖水の表面に細かな波が立つ。


少女は瞳を閉じた。

唇がかすかに震え、やがてゆっくりと開く。


「……神託がおりました。魔饗と贄の街 モルヴァに向かいます」


その声は、まっすぐで、澄んでいて。

それなのに、なぜか空気がわずかに震えるほどの静かな力を孕んでいた。


ベールの下の唇が、ごくわずかに歪んだ。

それは嘲りでも狂気でもない

神の意志を受けた者だけが知る微笑だった。


風が吹く。

聖堂の扉が、ひとりでに開いた。

白い光の中で、黒髪の少女の影が長く伸びる。

その影は、美しく、どこまでもまっすぐだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ