第40話: 家族の灯、鑑定の儀前のぬくもり
夕暮れ。
畑の向こうで太陽が沈む。
明日には、ここを発って王都へ向かう。
道のりは遠い。
王都まではおよそ千里―馬車を乗り継ぎ、街道を越え、山を抜け、
早くても二か月。
“辺境の果て”と呼ばれるこの土地から、王国の中心へ。
まるで別の世界に行くような距離だ。
そんな中、久しぶりに家の前に人の気配があった。
「……レオン兄ちゃんだ!」
戸口を開けたセレンの声に、家の中が一斉にざわめく。
玄関の外には、革の胸当てを身につけた少年が立っていた。
肩には街の兵士団の紋章。
まだ若いが、瞳に宿る光はもう少年のものではない。
「ただいま。……久しぶりだな、セレン」
「兄ちゃん……!」
思わず駆け寄って抱きつく。
火と鉄の匂いがした。懐かしい、けれどどこか遠くなった匂い。
「おいおい、泣くなよ」
レオンは苦笑して、セレンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「王都行きの話、聞いたぞ。まさかお前が学院候補だなんてな。街の駐屯所でも噂になってる」
「……噂、になってる?」
「“辺境の子供が王都に呼ばれた”ってな。半分は笑い話だけど、俺は誇らしかった」
背後から、落ち着いた声がかかった。
「立ち話もなんだ、入れ」
振り向くと、鍬を肩に担いだカイルが立っていた。
長男らしく、口数は少ないが目が優しい。
「道、凍ってただろ。手ぇ冷えてるじゃねぇか」
「カイル兄……ありがと」
「まぁ、たまには顔見せろってこった」
そう言って、三人は家の中へ入った。
食卓では、母リーナが湯気の立つ鍋をかき混ぜ、父ゲイルの笑い声が響いていた。
「ほれほれ、祝いの肉団子だ! レオンも帰ってきた、セレンも旅立ちだ! 今日は飲むぞ!」
「お父さん、飲み過ぎはだめよ」
母の苦笑を背に、父は気にせずどっかりと座る。
「いいんだ、今日は特別だ。家族がそろう日なんて、そうそうない」
囲炉裏の火がぱちぱちと鳴る。
セレンはその光の中で、兄たちの顔を交互に見た。
カイルはいつも通り寡黙で、淡々と皿を並べている。
レオンは笑いながらも、どこか誇らしげに背筋を伸ばしていた。
それぞれが、違う道を歩んでいる。
鍋から立ちのぼる湯気が、家の梁に溶けていく。
母リーナが「まったくもう……」と苦笑しながら、火を操って炎の加減を調える。
炎の揺らめきが、家族の顔を赤く染めた。
「セレン。お前、王都ってのはな……広いぞ。地平線が見えねぇぐらい、家と人が並んでる。空の色まで違う」
父の声は大きく、けれどどこか寂しげでもあった。
「それでも忘れるな。腹が減りゃ人は倒れる。土を耕して、水を飲む。それが生きる基本だ。お前の声がどんなすげぇ魔法でも、まず“生きる”ために使え。いいな」
「うん……覚えとく」
「よし」父ゲイルは大きく笑い、鍬のような腕で息子の肩を叩いた。
「お前の声は、立派な力だ。誰がなんと言おうと、それだけは変わらん」
父は満足げにうなずくと、杯を掲げた。
「よし、ならば祝おう! “アルディス家の誇り”に!」
兄たちも声を合わせ、家中に笑い声が広がった。
母がふと火を弱め、湯気越しに優しく言った。
「セレン。声ってね、炎と似てるの。強くすれば相手を焼くけど、穏やかに灯せば人を温める。あなたは、温める方の声を持ってるわ」
セレンの胸に、あの子守歌の音が甦る。
小さいころ、夜泣きするたびに聞いた声。
あの声があったから、自分は安心できた。
(俺の“魔力”の始まりは、母さんだったんだ)
セレンはその言葉を胸の奥に刻んだ。
「……うん。ありがとう、母さん」
⸻
その夜は、久しぶりに兄たちと同じ部屋で寝た。
カイルは黙って布団に入り、天井を見つめていた。
「セレン」
「なに?」
「……気負うな」
短い言葉。でもその声は穏やかで、力があった。
「お前が行くのは、俺たちみんなの願いだ。畑を耕すのも、兵士になるのも、学びに行くのも、どれも“アルディスの働き”だ」
セレンは胸が熱くなった。
カイルの言葉は、土のように静かで重い。
その隣で、レオンが笑いながら続ける。
「なーに、兄貴は相変わらず無口だな。でもな、セレン。王都は広い。兵士でも毎日迷うくらいだぞ」
「兄ちゃんは……もう怖くないの?」
「怖いさ。戦うのも、命令されるのも。でもな、怖いからこそ、“自分で選ぶ”んだよ。誰のために剣を抜くかを」
レオンの声は静かで、どこか誇らしかった。
「お前も、魔法で戦うんだろ? だったら覚えとけ。誰のために“響かせる”のか、それを間違えるな」
セレンは布団の中で頷いた。
(父も、母も、兄も……みんな“自分の力”を信じてる)
(俺も、俺の力を信じよう)
「だよな。でも、俺も怖い時あるよ。畑でミスったり、親父に怒られたり。でも、そのたびに思うんだ。怖いのは、“やってみなきゃ分からないってことだって」
セレンは黙って頷いた。
(……やってみなきゃ分からない。そうだよな)
その言葉が、少しだけ胸の重さを軽くした。
レオンが、ぽかんとした顔で兄を見つめた。
「……カイル兄ちゃんでも、怖いことあったんだ?」
カイルは眉をひとつ上げて笑った。
「あるに決まってるだろ」
「へぇ〜」
レオンがいたずらっぽく笑い、セレンも思わず吹き出す。
「なんだお前ら、笑うなよ」
「だって、兄ちゃんが“怖い”なんて言うの初めてだもん」
「そうそう、“畑の鬼”って呼ばれてるのに」
「誰が鬼だ!」
カイルが半分照れたように言い返し、三人の笑い声が部屋いっぱいに広がった。
その笑いは、冬の終わりの家を確かに温めていた。
⸻
翌朝。
夜明け前の空はまだ青く、息が白く立ちのぼる。
家の前で荷をまとめていると、母が小さな包みを手渡してきた。
「これは、お父さんの願い」
布を開くと、丸く磨かれた石がひとつ入っていた。
「井戸の底から拾ったの。響きを持つ石よ。あなたの声
が迷わないように」
セレンはその石を胸に抱きしめた。
「ありがとう。……絶対、大事にする」
背後からレオンの声がした。
「セレン」
振り向くと、レオンが軽く手を上げていた。
「俺、街に戻る前に見送る。お前の“鑑定”の結果、楽しみにしてるぞ」
セレンは笑った。
「うん。兄ちゃんの火に負けない力を見せてやる」
「言うじゃねぇか」
レオンが笑い、拳を突き出す。
セレンも拳を合わせた。
小さな音が鳴った。
ぽん、と。
朝日が昇り始め、家の煙突から白い煙が立ちのぼる。
セレンは家族の笑顔を胸に刻み、王都への道を歩き出した。




