第39話: ノーラの決断
グレンが村を出てから、季節がひとつ巡った。
夜明けの風の匂いも、朝の鐘の音も、少しだけ寂しく感じるようになった。
あの人が残していったものは、剣でも技でもなく“生き方”だった。
誰かを守るために強くなりたい、という心。
それが今も、村のみんなの中に息づいている。
その日、私は丘の上の雷樹の下にいた。
枝葉の間からこぼれる光が、白銀にきらめく。
掌の上に小さな雷球を生み、形を保つように集中する。
「……落ち着いて、丸く、閉じ込めて……」
ひと筋の稲光が、ぱち、と弾けた。
でも以前のように暴発はしなかった。
掌に残る熱だけが、静かに鼓動していた。
「……ふふ、できたじゃない」
雷はもう、暴れるだけの力じゃない。
今は私の意思に応える。
あの夜、泣きながら暴走した自分を思い出すと、少しだけ胸が温かくなった。
「ノーラ様ぁー! お嬢様っ!」
風を切るような声がして振り向くと、丘の下からアルトとお婆ちゃんのフィーナが駆けてきた。
フィーナはいつも私に付き従ってくれている老メイドで、銀髪をお団子にまとめた背の小さな人。
王都にいた頃からの唯一の味方でもある。
「なに? フィーナ、そんな息を切らして」
「お嬢様っ……! 王都から……王都から、お手紙が……っ!」
「王都……?」
その言葉に、雷のように胸が高鳴った。
アルトが封筒を掲げる。
蝋印には王国の紋章。
その印章を見た瞬間、空気が変わった気がした。
震える指で封を切る。中には厚い羊皮紙。
⸻
《推薦状》
王立魔法学院入学候補として、以下の者を推薦する。
エレオノーラ=フォン=ライヒヴァルト
セレン=アルディス
推薦者:グレン=ハーヴィル
王国直属特務騎士団・外郭任務部
⸻
文字を目で追うたびに、息が浅くなる。
「……王国直属特務騎士団?」
フィーナが思わず手を口に当てた。
「お嬢様……まさか、グレン殿がそんな身分の方だったとは……!」
アルトもぽかんと口を開けた。
「騎士団!? あのグレンが? 傭兵だと思ってたのに……!」
その場にいた全員が言葉を失った。
私の心臓も、雷みたいに高鳴っていた。
◇
夕暮れ、村は大騒ぎになった。
「王国直属の騎士だと!?」
「外郭任務って何をするんだ?」
「まさか俺ら、監視されてたのか……?」
ざわめく人々の前に、オルド神父が歩み出た。
静かな声で言った。
「……おそらく、女神の加護を調べに来ていたのでしょう」
村人が一斉に神父を見た。
「調べる……?」
「この村には、女神の奇跡が宿っている。
それが、王国にとって“祝福”なのか“脅威”なのか。
彼はそれを確かめるために派遣されたのでしょう。」
「けれど、最後まで、彼は人を見ていた。疑いではなく、希 望のために」
ざわついていた声が、いつの間にか静まっていた。
オルド神父は目を閉じて言葉を結ぶ。
「……彼はこの村に、信じる理由を見つけたのです」
その言葉に、胸が熱くなった。
(そう……やっぱり、あの人は信じてくれてたんだ)
◇
翌朝。
村長ハルドの家に呼ばれると、机の上に二通の封筒が並んでいた。
一通は私宛、もう一通はセレン。
「王立魔法学院からの正式な返答だ。お前たち二人が、候補として受理された」
村長の声はどこか誇らしげだったが、少し驚きも混じっていた。
「まさかあのグレン殿が、そんな高位の者だったとはな……」
セレンが戸惑いの表情で立ち尽くす。
「でも……俺、まだ七歳ですよ? 鑑定の儀は十歳になってからじゃ……」
村長はうなずいた。
「学院側が前倒しを求めている。グレン殿の推薦文に“鑑定を実施する価値あり”と明記されていた。農民としては異例だが、特例で許可が出た」
セレンが目を見開く。
私は微笑んで言った。
「そんなの普通じゃない?」
セレンがこちらを見る。
私は軽く髪を払って言った。
「貴族の子は生まれてすぐに鑑定を受けるのが一般的よ。
早く属性を知って家の進路を決めるために。
私ももう受けてるし、だから、別に不思議じゃないわ」
そう言いながらも、心の中では思っていた。
(……本当はすごいことなのよ、セレン。王国直属騎士に“価値あり”って言わせたんだから)
村長が封筒を指で叩きながら、ゆっくりとこちらを見た。
「ノーラ様、貴方の方も正式に受理されている。
だが……王国に戻るには、ご両親の許しが必要なんじゃないのか?」
すぐに、フィーナが一歩前に出て言葉を添えた。
「お嬢様、奥方様と旦那様には……まだお伝えしておりませんね? 先の暗殺者の件もございますし……軽率に動けば——」
私は、その言葉を遮るように一歩前へ出た。
心臓が鳴る。雷が胸の奥で小さくはぜる。
「まだ親の許しは得てないけど、私は行く」
村長も神父も息をのんだ。
フィーナが慌てて声を上げる。
「お嬢様! そんなことをなさっては!」
私は首を振った。
「王都に戻るのが怖くて、誰かの許しがないと動けないままじゃ……私は一生、“外れもの”のままよ。
私は私の意思で、行く。自分の力でこの世界を見てやるの」
強く言い切ると、部屋の中の空気がぴんと張り詰めた。
セレンが息を呑み、アルトが目を丸くしていた。
オルド神父が静かにうなずいた。
「……覚悟があるのですね」
「ええ」
私は背筋を伸ばして微笑んだ。
「雷はもう、暴れない。私の意思で、どこへでも飛べる」
その瞬間、誰もが納得していた。
ノーラ・ライヒヴァルトという少女が、ただの“落ちこぼれ貴族”ではなく自分の意思で立つ者になったことを。
◇
その日の夜。
私は部屋の灯を落とし、推薦状をもう一度開いた。
グレンの筆跡は、力強く、それでいて丁寧だった。
読むだけで、彼の声が聞こえてくる気がした。
「……あなた、最初から私たちを見てたのね」
胸の奥がじんと温かくなった。
雷のような力が心臓の中で微かに鳴る。
私はもう、怖くない。
◇
出発の日の朝。
村の門前に、セレンとアルトが立っていた。
その後ろで、フィーナが大きな荷を背負いながら慌てて追いついてくる。
「ノーラ様っ、もう少し軽くまとめませんと王都までは」
「いいの、フィーナ。荷物の重さなんて、たいしたことじゃないわ」
私は笑って言った。
王都、政敵がひしめく、私の家がある場所。
昔の私なら怯えたかもしれない。けれど今は違う。
雷を暴発させた。あの日の私じゃない。
セレンが静かに言った。
「ノーラ……王都には、怖い人たちもいるんでしょ?」
私はふっと笑った。
「そうね。雷の一撃で焼いてやりたい顔も、何人か思い浮かぶわ」
セレンとアルトが苦笑する。
「でも、今の私は負けない。あいつらがどんな顔しても、ちゃんと前を見て言ってやるの。“私は、ここまで戻ってきたわ”って」
その瞳は、まるで雷光のように強く輝いていた。
フィーナが涙ぐみながら頭を下げた。
「セレン様、アルト様。どうか……お嬢様のこと、忘れないでくださいませ」
アルトが手を挙げて笑う。
「忘れるもんか! 次会ったとき、俺の剣見て驚けよ!」
私は少しだけ近づき、セレンの胸の前で人差し指を立てた。
「セレン」
「うん?」
「魔法が好きなら、絶対また会おう」
セレンが小さく頷いた。
「うん。俺も必ず追いつく。魔法学院で会う時には胸を張って“俺の魔法だ”って言えるようにしておく」
その言葉を聞いた瞬間、胸がじんとした。
寂しさと誇らしさが混ざって、胸の奥で雷が小さく鳴った気がした。
「……ならいいわ。あんたがまた“本気”を見せるなら、私も負けない」
セレンも頷いた。
私は二人を見つめ、唇の端を上げた。
「ふふ。じゃあ、精々努力なさい。私が驚くくらいに、ね」
風が吹く。雷樹の葉がざわめき、朝日が村を照らした。
◇
馬車の方からフィーナが声をかけた。
「お嬢様、出立のお時間です!」
私は深呼吸をして、セレンとアルトを見た。
「二人とも、ちゃんと食べて、ちゃんと訓練して。……次に会う時まで、絶対に元気でいなさいよね」
アルトが笑い、セレンが手を振る。
背を向けると、朝の光が昇っていた。
風が頬を撫で、指先に小さな静電のきらめきが走る。
(もう逃げない。王都でも、私の雷で、自分の道を貫いてみせる)
馬車の扉が閉まる音がして、車輪がゆっくりと土を踏む。
村の景色が少しずつ遠ざかる。
窓越しに見える二人の姿が、小さくなっていく。
「また、会おうね」
心の中でそうつぶやくと、胸の奥の雷がやわらかく鳴った。
まるで“約束”のように。
門を越えると、草の香りが違った。
遠くの風。王都の匂い。
胸が高鳴る。
フィーナがそっと尋ねる。
「お嬢様……怖くは、ありませんか?」
私は前を見たまま、笑って答えた。
「怖いわよ。けどね、怖いからこそ“生きてる”って感じるの」
雷が、胸の奥で静かに鳴った。
(待ってなさい、“外れ”の雷が、本当の音を響かせてあげる)
澄ました顔で、私は光の中へ踏み出した。
その背中を、風が追いかけていった。




