第37話: 戦いのあとに残ったもの
暗殺者との死闘から、まだ数日しか経っていなかった。
俺は寝床から起き上がるたび、胸の奥が焼けるように痛んだ。声を発そうとすれば喉から背骨にかけて痺れが走り、魔力を循環させようとすると、全身に針を突き刺すような激痛が駆け巡った。
あの時、無理やりアルトの剣に魔力を通した。その代償だった。
「無茶をやったねぇ」
マルタ婆の声は、苦い薬湯よりもしみる。
「魔脈は小川みたいなもんさ。流れを一気に押し広げれば、護岸は壊れる。畑の用水も同じ。焦っちゃだめさ」
俺は情けなく目を伏せた。
「……でも、あの時は……」
「守りたいものがあったんだろ?」
婆の皺だらけの指が俺の額に触れる。すっと冷たい薬草の湿布が置かれ、土の匂いが広がった。
「なら、後悔はいらない。ただ休むんだよ。畑だって、休ませなきゃ土は死ぬ」
痛みは消えなかったけれど、その言葉で少し呼吸が軽くなった。
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歩けるようになった頃、村の鐘楼へ登った。そこには鐘守のセリオがいた。背は高いが猫背気味で、ぼさぼさの髪に隠れた目は眠そうだ。だが、大きな鐘の綱を握る手つきは真剣そのものだった。
「おや、セレン。傷んだ顔だな。……ここは静かだ。好きに休んでけ」
セリオは人付き合いが少ない男だが、鐘の前ではよくしゃべる。
「鐘は、人を集める。祝いの時も、魔物の襲来の時も、音を聞けば誰もが駆けつける。……お前の声も、きっと同じなんじゃないか?」
俺は思わず足を止めた。
「……人を、集める?」
「そうさ。お前の声は仲間を呼んだ。アルトを導き、ノーラを繋いだ。鐘と同じだ」
二人で綱を引いた。
ゴォォン。
大地を震わせるような音が、腹の奥にまで響いた。セリオが目を細めて言った。
「共鳴ってのはいいもんだ。鐘と人の胸が重なって、大きな響きになる。声も同じ。独りじゃ小さいが、仲間と重なれば強くなる」
その言葉は胸の中で深く残った。
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午後、マルタ婆に連れられて山の斜面に入った。雨上がりの土は重たくて、足を踏みしめるたびにずぶっと音を立てる。婆はそんなこと気にもせず、迷いなく草を摘んだり、根を掘ったりしていく。
「セレン、これ見な」
婆がひょいと差し出したのは赤紫の葉っぱだった。
「これ、煎じりゃ熱を下げる。けどな、生で食ったら喉を焼く毒になる。同じ草でも、使い方ひとつで命を救ったり、奪ったりするんだよ」
「へぇ……同じ草なのに、そんなに違うんだ」
俺は不思議そうに葉っぱを指でなぞった。
婆は口元をくいっと上げて笑う。
「違う顔を持つのは草だけじゃない。人間だってそうさ。優しそうに笑ってても、心の中じゃ牙を隠してる奴もいれば、きつい声で叱ってても、本当は気づかってる奴もいる。結局は“どこに向けるか”だ」
俺は思わず自分の喉に手を当てた。
「じゃあ……声もそうなの?」
「そうだよ」
婆は深くうなずいた。
「声は人を癒す。赤ん坊に歌ってやりゃ泣き止むし、祈れば心が落ち着く。けどな、声は人を殺すこともある。罵りゃ魂をズタズタにするし、命令ひとつで戦争も始まる。……声も薬草と同じさ。薬にも毒にもなる」
胸の奥がずきんとした。
戦いのとき、俺の声はアルトやノーラを繋いだ。でも同時に、無理やり魔力を押し込んで、自分の身体をズタズタにした。
「……じゃあさ、声って危ないものなんじゃない?」
そうつぶやくと、婆は薬草籠を背負い直し、じろっと俺を見た。
「危ないのは声じゃない。草だってそうさ。ただそこにあるだけ。毒にするか薬にするかを決めんのは、使う人間の心だよ。……セレン、お前の声も同じだ」
俺はぎゅっと拳を握った。
(声はただの力じゃない。俺がどう使うかで、命を救うことも、壊すこともできるんだ)
胸の奥で、鐘の音と婆の言葉がひとつに重なった。
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グレンの訓練が終わり、俺たちが担がれるようにして山を下りたあの日、広場ではグレンが村長ハルドや父ゲイル、母リーナの前に立っていた。
「暗殺者の侵入を許した。子供を危険に晒したのは俺の失策だ。申し開きはしない」
グレンの声は淡々としていたが、その背筋は真っ直ぐだった。
ゲイルは腕を組み、険しい顔で言う。
「……あの夜、もし誰かが死んでいたら、俺はお前を斬っていた」
「だろうな」
グレンは受け止めるように短く返した。
村長は長く沈黙し、やがて深い息を吐いた。
「だが、結果として子らは生き残った。グレン、あの子らを導いた責任もある。」
その場にいた母リーナは、ただ強く唇を結んでいた。
謝罪を終えた後も、グレンは村に溶け込むよう努力している。柵の増強、避難路の確認、鐘楼の補修、毒草の識別。
どんな作業でも率先して泥をかぶり、誰よりも働いた。
「ここは浅すぎる。杭はもっと深く打て。雨で崩れちまうぞ」
「お前、傭兵のくせに鍬が似合うな」
「戦場でも塹壕を掘るんだ。生き残るためにはな」
父ゲイルと肩を並べて汗を流す姿は、もはや村の一員のようだった。
村人たちが笑い、汗を流し、柵は二重三重に強化されていった。
薬草を煎じるマルタ婆に「毒見」を申し出て笑わせ、鐘楼に登ってセリオと語り、女衆と避難の動線を確認する。
だがその合間に、村人の何気ない言葉を拾い、酒場では流通の噂を聞き、炊き出しの列では「どこから来たのか」をさりげなく尋ねていた。
ある日の夕暮れ、俺は柵の修繕を手伝いながら、背後に立つグレンの気配に気づいた。
「よぉ、セレン」
振り向くと、彼はいつものように片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で木の杭を軽く叩いていた。
「悪かったな。死ぬような目に合わせちまって」
「……俺たちは生きて帰れた。それだけで、十分です」
グレンはふっと笑う。
「強くなったな。魔力の調子はどうだ?」
「だいぶ落ち着いてきました。喉の奥が前より温かくて……声を出すと、魔力が通る感覚が分かるんです」
「そうか。なら上等だ」
短く言いながらも、その目には満足げな光が宿っていた。
グレンは柵の影に腰を下ろし、手にした枝を弄びながらぽつりと口を開いた。
「お前らも、もう“闘うための基礎”は身につけた。村もようやく落ち着きを取り戻してきたし……俺の仕事も、そろそろ終わりだな」
彼の声は、どこか遠くを見ているようだった。
軽い調子に聞こえるのに、その奥には“一区切り”の響きがある。
「……仕事って、傭兵の、ですか?」
俺が問うと、グレンはかすかに笑った。
「そうだな。……いや―それだけじゃねぇ」
枝を土に突き立て、目を細める。
「この村の女神の加護ってやつも、結局のところ“魔物”にしか効かないらしい。人の悪意には、どんな光も届かん。」
「人の悪意……」
俺が繰り返すと、グレンは肩をすくめた。
「まぁ、気にするな。お前らが守るべきは村と仲間。それで十分だ」
グレンは空を見上げ、赤く染まる雲を眺めながら呟いた。
その声音には、ほんのわずかに“別れ”の気配が混じっていた。
夕暮れの風が吹き抜け、焚き火の灰が小さく舞った。
その横顔には、どこか“終わりを受け入れた人間”の静けさがあった。
「ところで、セレン」
彼は静かに俺へ向き直る。
「お前は、この先どうするんだ?」
「どう……生きていくかってことですか?」
「ああ」
グレンの声には、命令ではなく、導くような響きがあった。
俺は少し考えてから、まっすぐに答えた。
「俺は……誰かの役に立ちたいんです。自分の力を使って。そのために、魔力を―魔法をもっと知りたいと思ってます」
グレンはしばらく黙って俺を見つめ、やがて口の端を上げた。
「そうか。お前はそれがいい。……なら、動くのは早い方がいいな」
彼の言葉は穏やかだったが、その奥には含みがあった。
まるで、どこか遠くへ続く道を、すでに見据えているかのように。
その日、夕暮れの風が吹き抜ける中、俺はグレンと並んで立っていた。
赤く染まる空の下で、彼の横顔はどこか寂しげで、それでも、確かに誇らしげだった。
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俺が療養している間も、アルトとノーラは訓練を続けていた。
「力任せじゃ剣は鈍る。踏み込みの角度を変えろ」
グレンの指示で、アルトは何度も地面を踏みしめる。汗まみれの剣先が夜明けの光に揺れていた。
「くそ……でも、わかる。切っ先が軽い!」
アルトは息を荒げながらも、確かに手応えを掴み始めていた。
その姿を見ながら、俺は心の奥に引っかかっていたことを切り出した。
「アルト……剣をダメにして、悪かった」
アルトは驚いたように顔を上げ、しばらく沈黙してから苦笑した。
「村長からもらった剣だったんだろ?」
「ああ。親父の使ってた剣だったらしい」
「……そうか。ごめん」
「いいんだよ。俺たちが生き残れただけで奇跡だった」
アルトは剣の柄を見つめ、拳を握った。
「それに……俺は何もできなかった。お前がああしてくれなきゃ、全員死んでた。ちくしょう、悔しいな。もっと、絶対、絶対、強くなってやる。次は俺が、お前らを守る番だ」
その言葉に、胸がじんと熱くなった。
あの夜の鉄の音がよみがえる。
一方でノーラは、雷を掌に宿す練習を繰り返していた。
「暴れる力を抑えろ。雷は縛れ。お前の意思で枠に閉じ込めるんだ」
ノーラの額に汗が光る。震える指先の雷は、やがて小さな球となり、消えた。
「……できた……」
その瞬間、彼女の目には涙が滲んでいた。
ノーラは訓練の後、まだ微かに焦げた匂いの残る掌を見つめていた。
その指先には、うっすらと雷の残光が揺れている。
俺は隣に腰を下ろし、静かに声をかけた。
「……調子、どうだ?」
ノーラは少しだけ笑って首を振った。
「思ったより、うまくいってる」
そう言って、彼女は掌を見つめた。
そこにはまだ、焦げ跡のような黒い痕が残っている。
風が吹き、雷の匂いがほのかに漂った。
しばしの沈黙。焚き火の火がぱち、と弾ける音だけが響く。
ノーラの横顔は穏やかだったが、その奥に微かな影が差していた。
やがて、彼女は小さく息を吐き、視線を落とした。
「……ねぇ、セレン。どうして私が狙われたのか、考えたことある?」
俺は返事を飲み込んだ。ノーラは続ける。
「私の家は“ライヒヴァルト家”っていって、王都でもそこそこ名のある貴族なの。代々、雷の加護を受けて生まれる家系。……でも、私はその雷を制御できなかった。だから“外れ”として家を出されたのよ」
言葉の端に、苦笑とも自嘲ともつかない響きが混じる。
「けどね……もし、私が雷を完全に制御できるようになったら、私は正式な後継者としての資格を取り戻すことになる。……それをよく思わない連中がいるの」
風が枝葉を揺らし、夜の気配が森を包む。
ノーラはその音を聞きながら、静かに続けた。
「継承の座を狙う親戚たちよ。あの家は、誰かが落ちれば誰かが笑う場所。私が“戻る権利”を得た瞬間、誰かが地位を失う。……だから、消そうとしたんでしょうね、私を」
俺は言葉を失った。ノーラの横顔は強がって見えるが、肩の震えがその内側の痛みを物語っていた。
「……怖くないのか?」
と問うと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「怖いわよ。あの家のことを思い出すだけで、胸が痛くなる。
でもね―」
ノーラは微かに笑って、涙をぬぐう。
「今は、少しだけ救われてる。雷を抑えられるようになったら、少しだけ“自分で生きてる”って思えたから」
俺はその言葉を胸の奥で噛みしめ、ただ静かに頷いた。
しばらく沈黙が流れ、やがてノーラは瞳を細めた。
その瞳に、もう迷いはなかった。
「いい度胸よね。私に喧嘩を売った報いは、必ず受けさせてやる」
ノーラは小さく肩をすくめて笑った。
「……でもね、あの時、あんたが守ってくれたの、ちゃんと分かってたよ。」
彼女は頬を赤らめ、そっぽを向いた。
「……嬉しかった。……ありがと」
雷のように短く、それでいて温かく響いた。
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夜、布団に横になりながら、俺はこの数日の出来事を反芻した。
鐘の音。マルタ婆の草。グレンの謝罪と訓練。
どれも「生きるため」に響いていた。
(……声も、そうなんだ)
人を集め、癒す声。
人を欺き、傷つける声。
その両方が俺の中にある。
なら、俺はどんな声を響かせたい?
誰のために、何を伝えたい?
ノーラの涙、アルトの拳、グレンの背中。
誰もが、何かを守ろうとしていた。
俺もきっと、その輪の中で息をしている。
弱さも、痛みも、もう逃げたくない。
それが俺の“声”の意味なら受け止めてみせる。
月光が差し込み、白い天井に淡い影を描く。
心の奥で、誰かの声が静かに響いた。
「お前の声は、人を繋ぐ」
その言葉に導かれるように、俺は目を閉じた。
胸の奥で、まだかすかに疼く痛みが、確かに“生きている”と告げていた。
(……この世界で、俺は何を守り、何を残す?)
答えはまだ見えない。
けれど、ただ確かなことは、明日になったら、俺はまたみんなに会いたい。




