第33話: グレンの修行①
朝。村の家々の屋根に残る夜露がきらめき、東の空が白み始めていた。
戸口を叩く音で、俺は目を覚ます。まだ少し寝癖の残る髪を手で押さえながら戸を開けると、そこにはアルトが立っていた。
「おい、セレン!」
彼は息を弾ませ、額の髪を乱暴に掻き上げている。
「どうしたの? こんな朝早く」
「爺ちゃん―村長からの命令だ。グレンから闘い方を学べってさ。俺とお前、それにノーラも呼ばれてる」
「ノーラも?」
「ああ、だが屋敷にはいなかった」
アルトは眉をひそめ、ため息をつく。
「……懲りないな」
俺は顎をしゃくった。
「屋敷にいないなら、山だろ。またひとりで魔法の練習してるんじゃないか」
アルトは肩をすくめて笑った。
「まあ、それだけ真剣なんだろ。とにかく行くぞ」
俺は慌てて上着を羽織り、靴を履いて外へ出る。二人で村の広場へ向かった。
そこにはすでに、仁王立ちする傭兵グレンの姿があった。
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朝靄の中、グレンは岩のように立ち尽くしていた。腕を組み、村の子供たちを鋭く見渡している。
その眼差しには、荒々しさと同時に、確かな経験に裏打ちされた静かな厳しさがあった。
その時、駆け足の音。
山の方からノーラが現れた。髪に草を絡め、額に汗を滲ませている。それでもその瞳は真剣で、怯みなど微塵もなかった。
「ごめん! ……遅れた」
グレンは俺たち全員を見つめ、微笑んだ。
「全員来たか」
低い声が響く。
俺とアルトは思わず背筋を伸ばした。
「今日はお前らに“戦い方”を教える。この前の魔物とのたたかい、あれはたまたま運が良かっただけだ。魔物ってのは本来、子供が相手してどうこうできる相手じゃない」
低く唸るような声が響き、皆の背筋が自然と伸びる。
だが、その眼差しは決して子供を見下してはいなかった。むしろ、真剣に“戦力”として扱うような色を帯びていた。
「けど……お前らは逃げずに踏ん張った。その根性は買ってやる。ならば次は、無駄に死なずに済む戦い方を教えてやろうじゃねぇか」
子供たちの目が輝いた。アルトは腰の剣を握り、ノーラは落ち着かぬ様子で指先に微かな雷を踊らせている。セレンは胸の奥でどくどくと鼓動を響かせていた。
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グレンは村の外れに積んであった木材を引きずり出し、簡易の訓練場をつくる。
丸太を組み合わせ、的代わりに縄で縛りつけた。それは人間の背丈ほどの高さを持ち、角ばった影を広げていた。
「敵はお前らの思い通りには動かない。剣を振った先にいなければ無駄死にだ。……じゃあ、どうする?」
問いかけに、アルトが即座に答える。
「速く動けばいい!」
グレンは首を横に振った。
「速さだけじゃ足りん。相手がもっと速ければどうする?」
アルトは口をつぐみ、悔しげに下を向く。グレンはそこで叱らず、穏やかに続けた。
「考えろ。剣はお前一人のためのものじゃない。隣に仲間がいることを忘れるな」
ノーラが小さくつぶやいた。
「……仲間の動きに合わせる?」
グレンは頷いた。
「そうだ。雷と剣を合わせれば強くなる。だがタイミングがずれれば仲間を殺す。―じゃあ、二人の息を合わせるには?」
彼の視線が、俺に向けられる。
胸が高鳴り、思わず一歩前へ出る。
「……声で、合図を出す。みんなが動きやすいように」
グレンの目が細まり、静かに口角が上がる。
「いい答えだ。試してみろ」
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アルトが剣を構え、ノーラが雷を溜める。
俺は息を整え、声を張った。
「アルト、構えて! ノーラ、準備!」
二人の動きがぴたりと揃う。胸の奥が熱く震えた。俺の声が、二人を結びつけている。
「―いまだっ!」
剣が丸太を斬りつけ、その刹那、雷が炸裂した。轟音と共に木が爆ぜ、火花が散る。
「やった……!」
アルトとノーラが振り返る。
グレンはにやりと笑った。
「ほう……思った以上に形になったな」
グレンはノーラを一瞥し、少し間を置いてから言った。
「ところで、ノーラ。お前……戦いの基本が身に付いてないな。実家じゃ先生はいなかったのか?」
ノーラが一瞬たじろぎ、唇を噛む。
「それは……何よ。しょうがないじゃない。『何もするな』って言われたんだから!」
強がるように言い返すノーラに、グレンは眉をひそめつつも声を荒げなかった。
「そうか。なら今から学べばいい。お前は雷の力を持っている。だが力だけじゃ仲間を守れない。知恵と息を合わせてこそ戦える」
ノーラは悔しそうに視線を逸らしたが、拳を固く握りしめて頷いた。
「敵を一人で倒そうとするな。仲間と連携して叩け。それが生き残るための鉄則だ」
グレンは丸太を足で蹴りながら言い、アルトとノーラを指差した。
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グレンは次々に条件を加えた
「敵が横に動いたら?」
「剣の角度を変えてみろ」
「雷はどこに撃つのがいい?」
グレンは問いを投げ続け、答えを導かせた。
俺はその都度、声を張り上げ、合図を変えた。
アルトの剣筋を見て、ノーラの魔力の高まりを感じて、タイミングを計る。
「右からだ! 合わせろ!」
「いまだ! 一歩下がってから!」
声を発するたびに、胸の奥が熱を帯びていく。
アルトの剣が鋭くなり、ノーラの雷がより正確に標的を貫いていく。
それはまるで、俺の声が二人の力をつなぐ糸になっているかのようだった。
「剣と雷。相性は悪くねぇ。ただし問題は、どうやって同時に当てるかだ」
「セレン、お前の声で合図を出せ。剣と雷を合わせるにはタイミングが命だ。仲間を見て、感じて、指示を飛ばせ。それができりゃ、ただのガキでも戦力になる」
何度目かの試技で、丸太の標的が根元から折れ、地面にごろりと倒れた。
子供たちから歓声が上がる。
アルトとノーラが息を切らしながらも満足げに笑った。
「……いいじゃねぇか」
グレンの声が広場を静めた。
彼は俺をまっすぐに見て言った。
「セレン。お前は光属性の子供かと思ったが……違うな」
胸がどきりと鳴る。
「ち、違うと思います……」
実際俺のは、魔法でもなんでもなく魔力を声に乗せ、仲間の魔孔に共鳴させているだけだ。魔法というより技術だと思っている。
「ふむ。やはりな。だが―」
グレンは唇の端を釣り上げる。
「お前の声は仲間に届き、実際に力を高めている。これは偶然じゃねぇ。お前の資質そのものだ」
仲間の背を押す力……それが俺の魔法?
アルトがにかっと笑った。
「だろ!? セレンの声があると、オレ、剣が振りやすいんだ!」
ノーラも小さく頷く。
「私も……集中しやすい。いつもより力が出せるの」
胸の奥が熱くなる。
仲間が、俺の声を必要としている―。
昼まで続いた訓練が終わる頃には、全員が汗だくになっていた。それでも、アルトもノーラも目に自信の光を宿していた。
「今日覚えたことを忘れるな。お前らはただの村の子供じゃない。仲間と動けば、一人分以上の力を出せる」
グレンの言葉に、皆が一斉に頷いた。
俺の胸には、彼の言葉が強く刻まれていた。
声は武器になる。
その響きが、これからの道を照らしていくのだと信じられた。
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昼は、グレンが料理を用意してくれた。
傭兵として各国を渡り歩いた時に覚えたものを、村で調達できる野菜や肉、穀物に合わせて作り替えたという。
「お前ら、料理はいいぞ」
焚き火の上で鍋をかき回しながら、グレンがぽつりと言った。
「その土地の文化や人々の暮らし、いろんなものが分かる。何より楽しい」
鍋から立ち上る香ばしい匂いに、思わず腹が鳴る。
素朴な麦粥に干し肉を崩し入れ、森で採った香草を散らしただけのものだったが、味は驚くほど豊かだった。
「村で採れるもんでも、やりよう次第で立派な料理になる。……覚えとけ。旅に出りゃ、食えるだけでその先への道がつながる。」
アルトもノーラも目を丸くし、俺も夢中ですくった。
硬い訓練の合間にあって、そのひと匙は何より心を和ませてくれるものだった。
休憩の合間も、グレンは自然に話を振ってくる。
「黒狼の群れ、頭はどのあたりで倒れた?」
「喉の中央……段差の二段目、火が入った直後」
「ふむ。風向きは?」
「北西から。だから火は押され気味だった」
「鐘の合図は?」
「三打が“討ち”。連打が退避。角笛もあった」
「……よく整っている。指揮は?」
「村長。現場はゲイル父さん。狩人はラッド」
「レベルの上がった者は?」
「アルトと、ノーラと、俺と……猟師のライナー」
グレンはそこで初めて、少しだけまぶしげに目を細めた。
「いい村だ。こういう村は、また立ち上がる」
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昼食後、
広場の端に集まると、グレンは木棒を数本並べ、短いナイフを一本だけ俺に渡した。刃は落としてある練習用だ。
「午後はそれぞれ一人一人の力を伸ばすことにする」
「セレン、おまえは“声を剣にする”練習をする。剣そのものは俺が見る。だが、お前の本当の武器は喉だ。二つをつなげ」
「喉と、剣を?」
「そうだ。まずは呼吸。四歩吸って、二歩止めて、四歩吐く。その拍に合わせて、足と腕を動かす。―やってみろ」
俺は息を吸い、止め、吐きながら、木の杭に向き合った。
グレンの声が静かに響く。
「今、心が散っている。胸、喉、足裏―三つを一列に重ねろ」
(胸、喉、足裏……)
意識を一本の棒のように通す。
その瞬間、体の中の“流れ”が一本にまとまる感覚がした。
「よし。次は声だ。―『ひと拍遅れろ』と言ったら、腕ではなく、声で相手を遅らせるつもりで、喉の奥で『遅れろ』と唱えろ」
「唱えるだけで、遅れるの?」
「お前はできる。違うか?」
喉の奥に熱が集まり、言葉にならない波が生まれる。
俺は杭に向かって、囁くように言った。
「―遅れろ」
空気がわずかに重くなり、俺の踏み込みが杭の影を追い越した。
木の表面に、乾いた音がひとつ刻まれる。
「……今の感覚だ」
グレンの声は淡々としているのに、確かな手応えを肯定していた。
「次。アルト、前に」
アルトが木剣を構え、俺と対峙した。
グレンは二人の間に入ると、指で短く合図を刻む。
「合図は三つ。『離れろ』『遅れろ』『軽くなれ』。セレンは喉で波を作り、アルトは足で受け取る。息を合わせろ」
「行くぞ、セレン!」
アルトが踏み込み、俺は喉の奥で波を弾く。
「―離れろ!」
アルトの足元の力が一瞬だけ抜け、振り下ろした木剣が紙一重で俺の肩先を外れた。
間を逃さず、「軽くなれ!」
アルトの体がふっと前に転がるように軽くなり、その勢いで次の一歩が伸びる。
グレンの指が鳴った。
「今!」
アルトの木剣が俺の後ろの杭の節に“芯”を食い、鈍い割れ音が響いた。
「……っしゃあ!」
アルトの顔がぱっと輝く。
ノーラが腕を組んだまま、小さく頷いた。
「次は私。雷は撃たないけど、指先だけでタイミングを合わせる」
グレンはノーラの立ち位置を半歩だけずらし、俺に目で合図した。
「囁きは短く。芯は細く。『一点で刺せ』」
俺は喉の奥で、針を作るみたいに細い波を立てた。
「……刺さって」
ノーラの中指が弾けるように空を切り、乾いた裂き音が草を走った。
雷は出ていない。ただの空気の振動なのに、そこに“芯”が見えた気がした。
「ね、できる」
ノーラの横顔は、昨日よりもずっと晴れていた。
俺の胸に、小さな灯がともる。
(補助でも……役に立てる)
広場の端で腕を組み、沈黙のまま立つグレン。
赤い夕日が彼の横顔を照らし、その眼差しはどこか遠くを見ているようだった。
(……こいつら、なかなかどうして)
グレンは心の中で呟いた。
(辺境の村で、これほどの逸材が揃っているとはな。アルトの剣には恐れを知らぬ踏み込みがある。ノーラの魔力は荒削りだが、純度が高い。そして―セレン。声を武器にできる子供なんざ、聞いたこともない)
彼はわずかに口元を歪めた。
(正しい師が正しく導いてやりゃ……もしかしたら、この世界の在り方を変えるかもしれん)
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グレンは広場の中央へ歩み出た。靴音が石畳を打つと、俺たちは慌てて立ち上がる。
燃え残る火が、ちろりと赤い舌を揺らした。
「おまえら……なかなか見どころがある」
低い声が広場に響く。アルトは目を輝かせ、ノーラは息を呑み、俺は胸が高鳴った。
「今日のは手習いにすぎん。明日からは俺特製の、本格的な訓練をする。剣も、魔法も、そしてお前ら自身も、もっと追い込む」
夕日が完全に沈み、広場は赤から紫へと変わっていく。
グレンの瞳だけがなお鋭く、俺たちを見据えていた。
「期待に応えろ。……それがお前たちの未来につながる」
その言葉に、俺たちは自然と頷いていた。
疲労の奥に、不思議な熱がまだ燃えていた。
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昼は練習に付き合い、夕方は見回り、夜は焚き火。
グレンは誰にでも同じ目線で話し、笑い、褒めるときは短く、叱るときは静かだった。
村の男たちと槍の握りを見直し、女衆とは避難の段取りを整え、オルドとは祈りの時間帯を調整し、マルタ婆とは薬草の在庫と分配を確認した。
母リーナには台所の火の回し方を褒め、子ども達には縄跳びの遊びを教え、セリオの鐘楼には自ら登って、鐘の縄の磨耗を指摘した。
(堂々と先に立つ“隊長”じゃない。けれど、どの持ち場でも要の小さな“芯”を直して回る、そういう人だ)
焚き火の光に照らされたグレンの横顔を見つめながら、俺はふと胸の奥で思った。
この人との出会いが、きっと俺のこの世界での生き方を決める。そんな予感が、確かにあった。




