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第29話: 夜襲戦

村は、夜を前にして張り詰めた空気に覆われていた。

門は半ば閉じられ、見張り台では松明を掲げた大人たちが交代で周囲を睨んでいる。

広場には槍や鍬を手にした男たちが集まり、村長ハルドが帳面を片手に指示を飛ばしていた。


「見張りは二人一組で半刻交代。鐘の合図は三つ。警戒は二打、集結は三打、退避は連打。火は節約するが、門と見張り台の灯りは絶やすな。女衆は夜食を回せ。子どもは日暮れ以降、門から先に出すな」


張り詰めた声が、石畳を伝って村全体に響く。

返事の声はそろったが、喉の奥は乾いている。誰もがわかっていた。

昨日の戦いは「終わり」ではなく、「始まり」にすぎないことを。

井戸端では母たちが水桶を抱きしめ、声を潜めて囁く。


その時だった。

古びた教会の主、オルド神父が広場に現れた。白い法衣の裾が冷たい風に揺れる。杖をつきながらも、その瞳は泉のように澄んでいた。


「ハルド村長」


神父の低い声に、広場が静まり返る。


「昨夜の魔物は去ったが、決して遠ざかったわけではあるまい。むしろ、群れが近づいている気配がある。籠城に向かぬ村だ。壁も物資も足りぬ。守るなら、迎え撃つしかあるまい」


どよめきが広がった。


「迎え撃つだと……外に出ろと言うのか?」

「村の柵じゃ持たねぇってのか……」

「や、やだ……俺は戦えない!」


農夫の一人が、鍬を落とし、その場にへたり込んだ。目に涙を浮かべ、声を震わせる。

「俺は、魔物なんて見たこともねぇんだ……! 畑を耕すしか知らねぇんだよ……!」


他の者も顔を引き攣らせ、次々と声を上げた。

「そうだ、戦えって言われたって無理だ!」

「昨日の奴らは子どもだろ!? 俺らが敵うはずがねぇ!」


恐怖は村人を呑み込み、あっという間に混乱へ変わる。


「静まれ!」


村長ハルドの怒声が広場を叩いた。杖を鳴らし、白髭の下から鋭い眼光を放つ。

「泣き叫んで魔物が退くなら、誰も苦労はせぬ! 我らは逃げ場のない村に生きておるのだ! 腹を括れ!」


静まり返る村人たち。

オルド神父が続けた。


「恐怖はわかる。だが、恐怖に縛られては滅ぶだけだ。戦うのは、己のためだけではない。隣人のため、家族のため、村全てのためだ」


村人たちの顔に、わずかな理性が戻っていく。


その時、広場に駆け込んだ影があった。

猟師ラッドだ。息を荒げ、顔を蒼白にしている。


「見た! 森の縁に……八だ! 八匹の影! おそらく昨日のは群れの物見だった!」


広場が凍りついた。


「八……か」


村長ハルドは短く息を吐き、すぐに顔を上げた。迷いの影は、一瞬で凍土の下に押し込められる。


「ラッド、位置は?」


「三叉の鹿道の先、黒松の林沿いです。巡回の足跡が新しい。夜目を利かせて囲む気かと」


ハルドは頷き、手近の台に帳面を広げた。

「ゲイル、ベイナ、マルク、それと鍛冶のトル。前へ。――作戦を詰める。オルド神父、ご助言を」


呼ばれた大人たちが輪を作る。いずれもこの村で腕の立つ者ばかりだ。

オルド神父は杖を軽く地に当て、静かな声で言う。


「籠城は利がない。柵は脆く、油も矢も乏しい。迎え撃つ――だが、ただ突っ込むのではない。地を選べ」


ハルドが地図代わりの土に指で線を引く。

「村の北西、涸れ沢がある。両側が切り立ち、幅は牛車一台ぶん。そこを“喉”にする。前後を荷車で塞ぎ、中央に狩人を置く。側面はカイルの土壁で抑える」


名を呼ばれた少年カイルが喉を鳴らす。

「や、やってみる。厚くは無理でも、足を取らせる段差くらいなら」


「よし。炎はどうだ、トル」


「松脂は樽に半分。藁縄に染み込ませておけば、ひと束は持つ。油は家々から少しずつ集めりゃ、壺が三つ」


「惜しまず使う。――ただし“点”で、だだ撒くな。焔は目印にもなる」


そこへハルドが杖を突き、重たい声を出した。

「……よいか、まず戦える者を確認する。恐怖で身を竦める者に任せれば、守りは崩れる」


広場の中央に、男たちが一歩ずつ進み出る。

「レベルが2以上の者、前へ」


ざわめきの中、数名が輪の内側へ歩み出た。


「猟師頭ラッド、レベル3」

「猟師ドルン、同じく3」

「猟師マルクス、3」

「猟師ライナー、3」


屈強な四人の猟師が並ぶ。彼らは日頃から山に入り獣と渡り合う者たちだ。


「ノーラ、レベル3」

「アルト、レベル2」

「セレン、レベル2」


年少の三人が加わると、村人たちの目に驚きと不安が入り混じった。


セレンは横目でノーラを見やり、声を潜めた。

「……ノーラ、レベル3もあったのか……」


ノーラは肩をすくめ、得意げに顎を上げる。

「当然でしょ。貴族は普通、レベル上げのために騎士団を連れて狩りをするものよ。あなたの村みたいに、ただ遊んでたわけじゃないの」


そして、杖を支える老人が一歩前に出る。

「……わしも数に入れよ。村長ハルド、レベル5。ただし老いさらばえた身だ。前に立つことはできぬが、采配と声はまだ振るえる」


言葉に重みがあり、場が静まり返った。


次にゲイルが腕を組んで踏み出す。

「土属性、ここにいるぞ」

彼に続き、息子カイル、さらに寡黙な農夫ヨアン、屈強な石工フェリクスらが続く。合わせて七名。


「火は誰だ」

松明を掲げた鍛冶師ローレン、炭焼きのエルデ、赤髭の農夫カスパルらが前に進む。こちらも五、六人。


ハルドがその顔ぶれを見渡し、声を張った。

「犬狼型―やつらの属性はおそらく風、最悪なら闇だ。正面からぶつかれば呑み込まれる。だからこそ、こちらは土と火を集める。大地で奴らの足を封じ、炎で退路を断つ!」


土と火の戦士たちが頷き、輪の空気が熱を帯びる。だが輪の外では、農夫の一人が膝をついて泣き声を漏らした。

「そんな……八匹も……勝てるはずがねぇ……!」

別の男も顔を覆って叫ぶ。

「無理だ! 家族を連れて逃げよう!」


恐怖でざわつく声を、ハルドは杖で石を叩いて鎮めた。

「逃げ場はない! 籠城もできぬ! 物資も援軍もない以上、ならば決死の覚悟で迎え撃つしかない!」


「……これが、この村の全戦力だ」

ハルドの声が夜気を裂く。輪の外では、農具を手に震える農夫たちが涙を拭い、女たちは赤子を抱えてすすり泣いている。


そこへ俺―セレンが一歩踏み出した。胸の中で、あの低い唸りがまだ鳴っている。


「村長。狼型の群れなら、必ず“群れの頭”がいるはずです。昨日の個体より一回り大きい、背中の棘が太い、動きが早い。そいつだけを落とせば、残りは散る可能性が高い。戦力が乏しい今は、頭を落とすことに集中すべきです」


輪の視線が俺に集まる。年少者の進言に眉をひそめる者もいたが、オルド神父が短く頷いた。


「理に適う。群れの秩序は“先頭の意志”に依る。頭を折れば、躊躇が生まれる」


ハルドが考える間も、俺は続ける。言葉は自然に出た。


「狙撃役はノーラ。初手は外してもいい。僕が合図を出す。アルトは喉の入口で“見せる”。頭をこちらに向けさせる囮です。大人の盾隊は左右に二列、押し込まれたら交互に前後を入れ替えて受け続ける。カイルは狼が身を沈めた瞬間に土を盛って“足場”を崩して。火は最後に重ねて、逃げ道を炎で切る」


ゲイルが腕を組み、低く唸った。

「頭に集中しすぎて横から噛まれたら終いだぞ」


「だから“喉”です。道幅を絞って、同時に掛かれる数を減らす。頭さえ前に引きずり出せれば、後ろは詰まる。――鐘の合図は三打が“討ち”。そこから全力で頭を叩く。外したら退避連打。無理はしない」


輪の空気が緊張で更に引き締まる。だが、ここでハルドはもう一つ、口を開かねばならないことを知っていた。


「群れのリーダーともなれば、おそらく我々の攻撃程度では通じないだろう。だが、我々は決め手に欠ける。ただ一つノーラの雷の全魔力を集中させ、最大火力をぶつけられれば、まだ望みはある」


その言葉に、誰かが息を飲むのが分かった。火力を一点に集中するという賭けは、成功すれば勝機、失敗すれば壊滅を意味した。


ハルドはしばし目を瞑り、深く考え込んだ。やがてゆっくりと瞼を開き、輪の中心にいるノーラとセレンを真っ直ぐに見据える。

その瞳には、村の命運を預ける覚悟の重さが宿っていた。


「……ノーラ様。やってくれますかな?」


広場に一瞬、息を呑む気配が走る。

呼びかけられたノーラは僅かに肩を震わせ、だがすぐに強く顎を上げた。


「……やるわ。やらせて。今こそ完璧に制御してみせる」


彼女の声には恐怖も迷いもなかった。昨日まで“暴発”と呼ばれていた雷の奔流を、今度は自らの意思で撃ち抜くと宣言するその姿に、大人たちも言葉を失った。


ハルドは深く頷き、次にセレンを見た。

「セレン。お前も必要だ。昨日と同じようにノーラの魔力を制御できるか? ……いいや、やってもらわねば、この村は滅ぶ」


喉に手を当てる。掠れた熱が、まだそこにあった。

セレンは唇を結び、静かに頷いた。


「できる。いや、やる。必ず」


静寂。

ハルドはしばし俺の顔を見て、やがてゆっくりと頷いた。


「採用する。―頭を獲る。総力をそこに集める」


輪の空気が変わる。迷いが消え、意思が形を得る。


「配置を指示する。

一、荷車二台を以て涸れ沢の両端を固めよ。車体は泥と湿布で覆い、係索を堅く結べ。門番は車の付近を離れるな。


ニ、盾隊はゲイルの指揮で二列布陣。前列は押し、後列は突け。交代は厳守、疲労が見えたら直ちに交替せよ。副指揮はフェリクス。


三、左右の土手に猟師四人を張れ。矢は頭と喉のみを狙え。視界を確保し、無駄撃ちはするな。狙撃隊長はラッド。


四、前衛の囮はアルト、補助二名はアルトに従え。囮は誘導に徹し、囲まれたら決して前に突っ込むな。退避線を必ず保て。


五、土工作はカイルの班が受け持つ。喉手前に二段の段差を作り、踏み込んだ瞬間に足を取る構えを作れ。石は固定せよ。


六、中央後方にノーラを据え、セレンは直近で合図および制御を行え。ノーラの発動はセレンの合図とトルの最終確認を待て。


七、火の管理はトルの一任とする。松脂縄と油は束ごと管理し、点火は合図後に限る。風向きを再確認し、延焼対策を講じよ。


八、退避の道は東の畦道。鐘の連打で全員直ちにそこへ下がること。転倒者は引きずってでも連れてこい。退避経路は塞ぐな。


九、医療班はヴァルとシモンを東に待機させ、担架と包帯を荷車に装備せよ。軽傷はその場で手当て、重傷は速やかに東へ送れ。


十、合図は三種を用意する。鐘三打=討ち、鐘連打+角笛連打=退避、角笛一声=集合。合図はハルドが発する。見張りに伝令を置け。


十一、予備隊を二名ずつ盾隊の後方に待機させ、急変時に即座に補充できるようにしておけ。補給係は油と矢を管理せよ。


十二、非戦闘民(婦女子・老幼)は村の中央から速やかに屋内へ避難させ、戦力外の者は厳禁。逃走の誘惑に駆られる者は強制的に留め置け。


以上だ。各人、役割を果たせ。命を粗末にするな、だが命を賭す覚悟を忘れるな。」


「了解!」


声が重なった。先ほど涙をこぼした農夫も、震える手で鍬を握り直している。

恐怖が消えたわけではない。だが、名前のついた恐怖は、殴れる。


ハルドは最後に短く付け加えた。

「言っておく。無事じゃ済まん。誰かは傷つく。それでも―“ここ”を渡さぬために、前に立つ。よいな」


オルド神父が目を伏せ、祈りの言葉を短く紡ぐ。

「音は先に在る。おのれの鼓動を数えよ。隣人の息を数えよ。恐怖を数え、踏み越えよ」


俺はアルトとノーラ、カイルの肩に目をやった。

アルトが笑った。

「任せろ。俺が前に立つ。セレン、お前の合図、遅れんなよ」


ノーラは顎を上げ、しかし指先をぎゅっと握っている。

「外さない。……だから合図、ちゃんとちょうだい」


カイルは唾を飲み込みながらも頷いた。

「土は、僕がやる」


空の色が、ゆっくりと鉄に傾いていく。

村人たちは荷車を押し、藁縄を運び、油を集め、矢束を束ねる。

足並みが、ひとつになっていく。


夜は、すでにこちらへ歩いていた。

俺の喉の奥で、見えない鐘が、小さく震え始めていた。

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