第22話: 兄の旅立ち、赤子転生の誓い
朝露に濡れた畑の土が、ひんやりとした匂いを立ちのぼらせていた。
今日は特別な日。家の空気はいつもより重く、そして静かだった。
次兄、レオンが家を出る日だった。
二歳の俺はまだ物事を深く理解できる歳じゃない。だが、それでも家族が背負う空気の違いくらいは分かる。母リーナの瞳が赤いことも、父ゲイルが笑おうとしながら口を引き結んでいることも。兄カイルが黙って畑に鍬を入れ続けていることも。全部が「別れ」を告げていた。
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「レオン、荷物はまとめたか?」
父ゲイルの声はいつもより低く響いた。
「うん、父ちゃん! ほら、見ろよ!」
まだ十歳の少年が、背丈に合わぬ大きな袋を背負ってみせる。中身は村で用意された干し肉や乾パン、少しの着替え。それと、父が打ち直してやった短い鉄の刃。剣と呼ぶには頼りないが、それでも村の少年にとっては立派な「武具」だった。
「お前も、もう家を出る歳か」
父はぽつりと呟いた。その背中は広く、頼もしいはずなのに、今はどこか寂しげだった。
この村、この社会では次男には二つの道しかない。
長男を助けて家を守るか、それとも外へ出て新しい道を歩むか。
カイルはすでに元服を済ませ、家を継ぐと決めた。だからレオンが選ぶべきは家を出ること。士官見習いとして鍛えられ、兵の道を歩む。それが決まっていた。
「母ちゃん、泣いてんのか?」
レオンが笑いながら母リーナの顔を覗き込む。
「泣いてなんか、、ないわよ」
そう言いながらも、リーナの指は布袋に余計な干し果物を詰め込み、何度も紐を結び直す。涙で潤んだ瞳を拭っては笑顔を作ろうとする姿に、俺は幼いながら胸が詰まった。
「体を壊さないで、、ちゃんと食べるのよ」
「わかってるって!」
レオンは声を張り、胸を叩いた。その顔はどこか誇らしげで、それでいてまだ子供らしいあどけなさも残っていた。
「兄ちゃん」
カイルが鍬を脇に立てかけ、ゆっくりと近づいてきた。
「お前は、外で剣を握れ。俺は家を守る。だから安心して行け」
それだけを言い、肩を叩いた。
短い言葉だったが、そこには兄弟だからこその確かな絆があった。
レオンは一瞬、言葉を失ったように固まったが、すぐに大声で笑った。
「おう! 俺は必ず立派になって帰ってくる!」
その言葉に、父は「それでこそ俺の息子だ」と豪快に笑い、母は堪えきれずに泣きながら抱きしめた。
俺はといえば、母の背におんぶされながら、兄たちのやり取りを見ていた。
二歳の俺に分かるのは、ただひとつ。
もうレオンは、この家にはいなくなる。
それが怖くて、寂しくて、胸がぎゅっと縮むようだった。
「セレン、ちゃんと元気でな!」
レオンは俺の頭をぐりぐり撫でた。小さな俺には少し乱暴すぎるけれど、それが兄らしい優しさなんだと分かっていた。
「また会えるさ。泣くなよ」
俺は泣いてなんかいなかった。けれど、目頭が熱くなったのは確かだった。
村人たちも集まってきた。
「レオン、頑張れよ!」
「兵士になったら手紙をよこせ!」
子供たちは憧れの眼差しを向け、大人たちは少し誇らしげに見守る。
次男が家を出て士官を目指すのは、この村では珍しくない。だが、それでも誰もが祝福と不安を抱いて送り出すのだ。
「行ってまいります!」
最後にもう一度家族を振り返り、レオンは大きな声で叫んだ。
腰には短い鉄の刃。足取りはまだ頼りないけれど、決意に満ちていた。
母は泣きながら手を振り、父は腕を組んでその背を見送った。
カイルはただ黙って頷き、俺は幼い手を精一杯伸ばして兄の背中を目に焼き付けた。
(兄さんたちは、それぞれの道を歩き始めた。
なら、、俺は?)
これまでの四年間。
俺は、母に抱かれながら少しずつ魔力の感覚を掴んできた。
魔孔を探り、魔力を学んでいる。
小さな発見の積み重ねが、今の自分を形づくっている。
けれど、それが家族の助けになるのか、この村に必要とされるのか、まだ分からない。
兄たちはもう、自分の道を歩き始めている。
カイルは家を継ぎ、レオンは兵士を目指す。
じゃあ、俺は?
「……俺は、何を継ぐんだろう」
小さな声で呟いた。答えは闇に溶けて消えていった。
カイルの背中。
レオンの瞳。
父と母の手。
村で出会った人たちの顔。
ただ火を灯すためではなく、誰かを守るために。
誰かの涙を止めるために。
そのすべてを胸に刻みながら、俺は小さく呟いた。
「俺も……必ず」
翌朝。
畑へ向かう父の背を追いながら、俺は小さな靴で土を踏みしめた。
その一歩一歩が、自分の未来へと続く道のりだと信じて。
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こうしてセレンの幼児期は幕を閉じました。
次に待つのは、六歳の春。
村に新たな来訪者、本作ヒロインであるノーラが現れる季節となります。




