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第21話: 秋、うたと炎と村の誓い

収穫の匂いが、村じゅうに満ちていた。

干し架に吊るされた麦束、軒先で乾く豆鞘、囲炉裏からは煮込みの香り。夕陽は赤く、藁屋根の縁をやさしく照らしている。


つい昨日、街の教会でレオンの鑑定の儀が終わった。

火属性、補助能力《瞬間点火》。農を継がず、士官の道へ。

家に戻ると皆が祝い、笑い、ときどき少し泣いた。


そして今日は、村の秋祭りだ。


~

村の広場に、丸太の舞台が臨時で組まれた。

父、ゲイルは大鍋を担いで歩き回り、湯気の立つ芋と肉の煮込みを次々よそう。

長兄、カイルは収穫物の計量を手伝い、無駄のない手つきで俵を積み上げている。

母、リーナは前掛け姿で、子どもたちに甘い焼き菓子を配っては、困った顔で笑っていた。


俺は母の裾をつまみつつ広場の端を歩く。

足裏から伝わる土の固さ、踏まれた藁のやわらかさ。

(……音が違う)

人の足音、笑い声、鍋を混ぜる木杓子のこすれ、どれも微妙に高さが違って、重なりあって、広場全体が一つの歌みたいに響いている。


「ほら、セレン。落ちないでね」


母が手を引いてくれる。その手はあたたかく、掌の奥でやさしく魔力が揺れていた。


~

日が沈みきる前、村長の家の方角から太鼓が鳴った。

ドン、ドン、とゆっくり始まり、やがて早足になる。

人々が自然に中央へ集まり出し、丸く輪になっていく。


「収穫に感謝、冬を無事に越せますように」


年長の男が声を張ると、女たちの澄んだ歌声が重なる。

どこか懐かしい旋律。前世の俺には知らない歌なのに、胸の奥の魔力が、すうっと整っていく。


(……歌に合わせて、流れが丸くなる)


胸の大きな“魔孔”(俺が勝手に名付けた基幹の穴)が、歌に共鳴するように呼吸と揃う。

太鼓が近づけば脈は強く、笛が伸びれば流れは細く長く。

俺は小さな掌を胸に当て、輪を描くイメージを重ねた。


「セレン、楽しそうだな」


レオンが横にしゃがみ、いたずらっぽく笑う。


昨日より少し、顔つきが大人に見えた。


「ほら、見てろよ。―ファイア」


兄の指先に、豆粒みたいな炎がともる。

《瞬間点火》のせいだろう、火は合図のようにすぐ生まれ、歌の拍に合わせてちろちろと揺れた。


「おお、景気がいいねぇ」誰かが笑い、また歌声が厚みを増す。


その時、背中に影が落ちた。


「おい、火は舞が始まってからにしろ。藁が乾いてる」


木剣を肩に担いだ少年アルトだ。村長の孫。

レオンは「へへっ」と舌を出し、火をぱっと指でつぶした。

アルトは俺を見ると、ほんの少しだけ表情をやわらげる。


「セレンも来たんだな。……お前も今日は少し兄貴に見えるな」


そう言って彼は輪の外へ下がり、太鼓の列の横で木剣の手入れを始めた。

剣筋はまだ少年のそれなのに、置く気配は妙に静かで、揺れが少ない。


(……この人、音が小さい)


胸で流れを回しながら耳を澄ますと、アルトの周りは風の擦れる音さえ薄い。

無駄のない動きが、音を削る。剣の家の子、という気配。


「レオン、あんたも見習いなさい」


母の声に、兄は「う、うん」と肩をすくめた。



~

祭りの舞が始まると、父の鍋は大忙しになった。

芋に塩、肉に香草、湯気は人を笑顔に変える。

俺は母に抱えられて長椅子に座り、熱の引いた小皿を少しずつ口に運んでもらう。

舌先に広がる塩気と、芋の甘み。その食感が、胸の循環と同じリズムでやさしく広がった。


「食うか、坊主」


どっしりした影が目の前に立つ。狩人頭のブラン爺だ。

腰に短弓、背に網袋。冬支度の話をするときは、いつも目が鋭くなる。


「今年は山の手を深く入らん。境を越えたら、奴らの気配がある」


「奴ら?」と若い衆。


「魔物だ。雪の前は腹が減る。うかつに近づくな。……スライムでも舐めると死ぬぞ」


周りがどっと笑ったが、爺は笑わない。


「本当だ。弱いってのは昔の話さ、油断すると、群れに飲まれる。

 レベルってやつは、命を賭けた場でしか上がらん。農民には機会がない。だから無茶はするな」


父が鍋をかき混ぜながら、相槌を打つ。


「食わせることが仕事の俺たちには、うねを守る方が先だからな」


ブラン爺は「そうだ」と短く頷き、酒をあおる。


「兵や狩人は命で稼ぐ。農民は季節で稼ぐ。どっちも尊いが、線は越えるな」


(……レベル。やっぱり、そうなんだ)


俺は母の肩にもたれ、静かに目を閉じた。

前世のゲームみたいに、数字が勝手に増える世界ではない。

この世界の“力”は、命の境でしか育たない。

だからこそ、レオンは家を出る。アルトは剣を握る。


(そして俺は)


胸の輪をゆっくり大きくし、溢れないように絞る。

急いで水をやれば根が腐る、というマルタ婆の声が頭の隅で響いた。


~

夕闇が濃くなると、舞台の中央で火柱が上がった。

祭りの合図、“祈り火”。

若者が持ち寄った薪の塔に火が移り、橙の光が夜空を舐める。

人々は一歩下がって円になり、歌は祈りの節へと変わる。


「……今年も、どうか」


母の声が小さく震えた。

俺はその胸に耳をあて、鼓動の速さを数える。


(歌に合わせて、胸の中枢の魔孔がひらく)


呼吸と、鼓動と、太鼓。三つが同じ拍になったとき、胸の大きな穴がふっと軽くなり、流れが全身へゆるく伸びていく。


レオンが俺の前にしゃがみ込み、囁いた。


「セレン、ちょっとだけ手、貸してくれ」


俺はうなずき、掌を兄の掌にそっと重ねる。

二人の指先に、目に見えない“穴”が並ぶ。末端の魔孔。

俺は胸の輪を少し早め、兄の呼吸に合わせてゆっくり落とす。


(いま)


レオンが短く息を吐く。「―ファイア」


兄の掌に灯った小さな灯は、祈り火の拍に合わせて、驚くほど長く形を保った。


「おお」


近くにいた村人が目を細め、母が息を呑んだ。

アルトは遠巻きにそれを見て、ほんの少しだけ顎を引いた。

父は鍋を止め、片手を腰に当てて黙って頷く。

カイルは何も言わず、普段より長くその火を見つめていた。


(……共鳴だ)


兄の末端の穴と、俺の胸の大孔。

歌の拍、太鼓の鼓動、人の輪。全部が少しずつ重なって、火は“無理のない形”で留まる。

俺は喉の奥で笑いそうになり、でも笑わない。

この感覚を、ぜったい忘れたくなかった。


「……ほぉ、お前さんら。上手に水やりができてきたようじゃの」


背中から、乾いた声。マルタ婆だ。

背は曲がり、手には編み籠。薬草の匂いが、祭りの匂いに紛れて少し強く香る。


「魔法は畑と同じじゃ」


婆は祈り火を顎でしゃくる。


「急いて水をやれば根腐れ、怠れば枯死。

 土の温みと風の通りを読んで、ちょびっとずつ、しかし毎日やる。

 そうすりゃ、芽も根も、勝手に太る。……なぁ、坊や」


俺はこくこくとうなずく。

婆は俺の胸元を指でちょんと突いた。


「そこ、いちばん大事な“元の穴”。そこが荒れておると、どこをいじっても長続きせん。

 歌や子守歌は、そこを撫でてくれる。忘れるでないよ」


(……やっぱり、分かる人は分かるんだ)


マルタ婆は“魔孔”なんて言葉は知らない。

けれど、実感で同じ場所を指差す。

俺が名付けた秘密の穴。魔孔。そのいちばん大きい“元”。

胸の真ん中の、大きな呼吸の門。


母が小さく笑って会釈する。


「マルタ婆、いつもありがとう」


「礼はいらん。うまくいったら、干し草団子でも分けてくれりゃいい」


そう言って婆は踵を返し、踊り輪の向こうへ消えた。


~

夜が深まるほど、歌は静かに、火は高く。

人の影が揺れて、笑い声は柔らかくほどけていく。


「レオン」


父がゆっくり呼んだ。


「お前が家を出る日は、もうそう遠くない。

 だが焦るな。焦って山へ踏み込みゃ、命を落とす。……狩人頭の爺さんが言ってただろう」


「うん」


兄は素直に頷いた。


「俺、セレンと練習する。ちゃんと回して、ちゃんと使う。……家にいる間は、できるだけ手伝いもする」


カイルが、珍しく口を開いた。


「俺の分まで鍬を振れとは言わない。……でも、畑の歩き方は、兵でも役に立つ。

 疲れてるときほど、歩幅を崩すな」


レオンは目を丸くし、すぐに笑った。


「分かった! 兄ちゃん、頼りになるなぁ!」


母は二人と俺の頭を順番に撫で、最後に父の腕をぽんと叩いた。


「ほら、ゲイル。あなたも飲みすぎないの」


父は「はは」と笑い、鍋をもう一度かき混ぜた。


~

祈り火の熱が和らいだころ、歌は終わり、太鼓も止んだ。

人々は名残惜しそうに解散していく。

星がはっきりと増え、夜風が冷たく頬を撫でた。


俺は母に抱かれながら、胸の輪をそっと小さくする。

祭りの間じゅうゆっくり回し続けた大孔は、いまは満ち足りた湖みたいに静かだ。

末端。指先の穴は、兄と重ねた拍の名残で、まだ温かい。


(……音は、人の力になる)


歌、太鼓、足音、笑い声。

それらは全部、俺の内側の流れと噛み合って、無理なく強くしてくれた。

無茶に押し広げなくていい。拍を合わせれば、流れは勝手に“太る”。

マルタ婆の言うとおりだ。


アルトが木剣を背に、星空を一度だけ見上げた。

その横顔に迷いはなく、静かな線が夜の中にまっすぐ落ちていた。

レオンは帰り際、もう一度だけ小さな火を灯し、すぐに消した。


「……よし。今日はここまで」


その火は祈りではなく、誓いの印に見えた。


~

家に戻る道すがら、父が背中でぽつりと呟く。


「セレン。お前も、そのうち自分の道を選ぶ」


俺は父の肩に頬を押しつけ、こくりとうなずいた。


「焦んな。自分の生き方を探せ、そうすれば道はおのずと通じてる。」


父の背は広く、歩幅は一定で、揺れは心地よかった。

胸の奥で、父の言葉がやさしく反響する。

俺は小さく、胸の輪をもう一度だけ回した。

祭りの余韻が、音のない歌になって、体じゅうを巡る。


いつか、火でも剣でもない、今日の祈り火みたいに、みんなの拍をそろえて、折れない力にする。


俺は、眠い目をこすりながら、そう決めた。

秋の空気は冷たく澄み、星はいつもより近く見えた。

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