第11話: 恐怖の魔物、そしてレベルアップの決意
母はすっかり教育熱心になった。
「セレンは魔法の才能があるんだから、今からちゃんと聞いて育てなきゃね」
そう言って、夜ごと古びた羊皮紙の本を持ち出すようになった。
村の子供たちに読み聞かせることもある祈りの本や、隣村の行商人から手に入れた古い写本。
どれも神話や魔法の逸話を綴ったものだ。
「むかしむかし、、創世の女神は、この世界に力を与えました」
母の声は優しく、俺の耳にすっと入ってくる。
赤ん坊の俺でもわかるくらい、ゆっくりとした語り口。
物語の内容は、前世で読んだ神話と似ていてもどこか違っていた。
炎の神が戦場を焼き尽くした話。
水の精霊が民を守った話。
そして、力を得るために人々が「試練」を重ねる話。
「人は試練を越えるたびに“段階”を進むの。それを“レベル”って呼ぶんだって」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
レベル。
ゲームや物語の中の話ではない。
この世界では、人の強さや成長を示す概念として“当たり前に存在している”のだ。
「レベルが上がるとね、体も魔力も強くなるのよ。
村で一番の狩人も、若いころは小さなウサギしか仕留められなかったのに、今じゃ熊を倒すんだから」
母の声は誇らしげで、兄たちも目を輝かせて聞いていた。
俺は胸の奥で震えていた。
(……そうか。どんなに循環を繰り返しても俺の魔力が増えないのは、、レベルが上がっていないから)
魔力循環を毎日繰り返しても一向に魔力自体の総量が増えていないことに俺は疑問を持っていた。
ずっと疑問だったことに、答えが与えられた気がした。
母は続ける。
「だから、焦らなくてもいいのよ。
努力を重ねて、試練を乗り越えて、人は少しずつ強くなっていくの」
俺は小さな拳を握った。
焦ってはいけない。
でも待つだけでも嫌だ。
(試練を越えて、必ずレベルを上げる!)
赤ん坊の心に、新しい決意が芽生えた瞬間だった。
◇
母の読み聞かせで「レベル」という言葉を知ってから、俺の頭はそればかり考えていた。
試練を越えれば、人は強くなる。
ならば俺にも、試練を探すことができるはずだ。
まず試したのは、、家の中を動き回ること。
赤ん坊の俺にとっては大冒険。
土間から板間へ、囲炉裏の横を通り抜ける。
「ふ、ふぬっ!」
汗だくになって進む。
兄たちが笑って応援する。
けれど何も変わらなかった。
胸の奥の流れも、体の感覚も。
次は、食べ物。
固い干し芋を兄からもらい、必死にかじってみた。
歯もしっかりしてない赤ん坊には大試練だ。
涙目でぐちゃぐちゃにして飲み込む。
「んんんっ!」
だがやはり何も起きない。
ただお腹を壊しただけだった。
(やっぱり……簡単には上がらないのか)
布団に横たわりながら、俺は小さな拳を握った。
試練を探して努力しても、レベルが上がった感覚はない。
母の言葉を聞いて胸を高鳴らせた分、落胆も大きかった。
そんなある日。
父が畑から戻り、腰を下ろして兄たちに話していた。
「お前たち、知ってるか? 人はな、魔物を倒すとレベルが上がるんだぞ」
「えっ、ほんと!?」
「じゃあ狩人のおじさんが強いのは」
「そうだ。獣や魔物を倒して試練を越えるからだ」
俺は耳を疑った。
「魔物を、倒すと?」
その瞬間、胸が大きく跳ねた。
小さな試練ではなく、本当の意味での“命のやりとり”。
それこそがレベルを上げる条件だったのだ。
「じゃあ俺も魔物を倒したら強くなれるの?」
兄たちは目を輝かせた。
父は一度頷いたが、すぐに表情を曇らせた。
「だがな。魔物は、人間にとっては恐ろしい存在だ。
スライムひとつでも、農具で挑んだら返り討ちに遭う」
俺は耳を澄ませた。
「スライムですら?」
前世ではゲームで散々倒してきた“かませ役”の魔物。
だが、この世界のそれは現実の脅威だった。
父は続ける。
「農民にできるのは、畑を耕すこと、家畜を育てること。
魔物を狩るのは、訓練を積んだ兵士か、命知らずの冒険者だけだ。
俺たちにレベルを上げる機会なんて、ほとんどないんだよ」
兄の一人が悔しそうに言った。
「じゃあ、農民は一生弱いままなの?」
父は黙った。
その沈黙が、答えそのものだった。
その夜、母の子守歌を聞きながら俺は考えていた。
(そうか。レベルは全員にあるけれど、農民には“届かない仕組み”になっているんだ)
前世でも味わった「社会の壁」。
生まれや立場で可能性が区切られる理不尽さ。
(でも、俺は諦めない)
自分の手で魔物を倒しレベルを上げてみせる。そのためにも今から上手く魔力を扱えるようにしておかなければいけない。
◇
しばらく経ったある日。
外で兄たちが慌ただしく走り回っていた。
「お父さん! 森の方で魔物を見たって!」
その言葉に、家中の空気が張りつめた。
父は鍬を持って立ち上がる。
「いいか、外に出るな。村人は皆、家にこもれ!」
布団に寝かされていた俺は、窓の隙間から外を覗いた。
村のはずれ、森の影から黒い影がのそりと姿を現した。
森の影から現れたのは。
大きな犬に似た体躯。
だがその眼は赤黒く濁り、獲物を射抜くたびに空気そのものが淀む。
ただ視線を浴びただけで、胸の奥を冷たい鎖で締め上げられたように呼吸が止まりそうになった。
全身を覆うのは、獣の匂いではない。
それは負の塊、呪詛そのもの。
生き物というより「人を喰らうためだけに形を持った災厄」だった。
(これが、、魔物!?)
本能が告げていた。
人間では勝てない。
松明を振り、鍬や鎌を構える村の大人たちの姿は、勇ましいどころか無力な抵抗にしか見えなかった。
俺の胸の奥を巡るかすかな魔力も、比べれば塵に等しい。
触れる前から分かる。
この怪物に向けて放ったところで、何ひとつ傷をつけられないだろう。
魔物が牙を剥いて一歩踏み出す。
その足音だけで大地が軋み、村全体が凍りついた。
絶望。
ただ一歩近づいただけで、「人はこの存在に勝てない」と思い知らされた。
(ダメだ……気を失う……!)
赤ん坊の体はあまりに無力だった。
意識が闇に落ちかける。
必死に胸の奥の輪を思い出し、魔力を巡らせる。
小さな呼吸とともに、流れを押し出し、循環させる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
それは幼子の命綱。
かすかな流れが、途切れそうな意識をどうにか繋ぎとめた。
やがて松明の炎と男たちの怒鳴り声に押されるように、魔物は森へと退いた。
安堵が広がった瞬間―。
「っ!」
堪えていた緊張が一気にほどけ、体が勝手に痙攣する。
口の中に酸っぱいものがこみ上げ、俺は母の腕の中で小さく嘔吐した。
胸に残ったのは、焼き付いた赤い眼と、どうにもならない無力感。
(俺の魔力程度では、どうにもならない)
汗と涙と吐き気でぐしゃぐしゃのまま、俺は震える拳を握った。
恐怖に押し潰されそうになりながらも、決して忘れまいと心に刻む。
震える心に刻まれたのは、恐怖と絶望。
母は「今日は疲れたのね」と微笑み、布団を直してくれた。
目を閉じながら俺は決意する。
(魔物なんかと戦えるはずもない。
だが、唯一可能性があるとしたら魔力を武器に変えること)
俺の胸の奥で、ぐるぐると練られた魔力が、静かに震えていた。
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次回予告
赤黒い眼の恐怖は、セレンの胸に今も焼き付いている。
レベルは魔物を倒さなければ上がらない。
だが、魔物を倒すにはレベルが必要だ。
堂々巡りの罠に縛られた幼子は、それでもあきらめず、自らの魔力の響きを探し続ける。
外の大地、森、水の流れ。
そして胸の内を巡る小さな輪。
それらが重なったとき、セレンは己の全身に眠る“魔孔”を知ることになる。
だがその調和の先に待つのは、進化か、それとも破滅か。
次回 第12話
『レベルアップの欠陥! 魔物か? 魔力か?』




