8、「付き合っている」の定義とは
五月に入り、大学生活も少しずつ慣れ始めた。朝晩が冷え込む四月から、いつの間にか過ごしやすい柔らかな気候に移り変わっていた。
空きコマだったので一人で食堂で課題をやっていたら、知らない女性に声をかけられた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「一年生よね?」
「……はい」
「私は三年。いつも誰かといたから、一人でいるのを待ってたの」
「……そうですか。すいませんけど、同じ学部でしたっけ? どっかで会いましたっけ?」
「時々、ここで私があなたを見かけただけ」
「じゃあ、俺は知らなくてあってたんだ」
「あってるあってる」
「良かった良かった」
ほっとして、同じリズムで笑って返した俺に、彼女は「ふふっ」と笑うと俺の向かいに座った。
「カノジョさんはいますか?」
ナンパだった。
大学内で一番広い食堂だったため、学生は疎らにいたが、距離があるため会話が聞かれることはなさそうだった。
とは言え、大胆な人だなと思いながら、俺は返した。
「……いません」
「募集してます?」
「募集して……ます!」
「私とかどうですか?」
臆することなく、さらりと言って柔らかく笑う彼女に驚いた。恥ずかしがることもなく、怖じ気づくこともない。
素直に、(カッコいい性格だな)と思った。美人で自分に自信がある人だからこそできる技だ。
おそらく、募集していないと返したら、「あら、残念」と、スマートに去るつもりだったのだろう。惜しいことをしたなと思わせる女性だと思った。
思わず、
「凄くいいと思いますよ」
と、俺は笑った。
彼女は、松田愛実と名乗った。
「みんなからは『まっつん』って呼ばれてるの」
と教えてくれたが、すぐにこう続けた。
「あ、でも、浩平くんからは『まっつん』呼びじゃない方が嬉しいなぁ~」
「じゃあ、先輩だからまっつんさん」
「それはどうかな~。下の名前がいいんじゃないかな~」
「じゃあ、愛実さん」
「さんもいらないかな~」
「じゃあ、愛実」
「それがしっくり来るわね。それで行きましょ!」
「最初から『愛実って呼んで』って言えばいいのに」
思わず呟いた俺に、愛実はちょっと控えめなトーンになった。
「……あんまりグイグイ行って引かれても悲しいじゃない?」
「これでグイグイ行ってなかったんだ……。今後が恐ろしいわ……」
怯える俺に、愛実は爆笑していた。
何度かデートをした。といっても、大学の帰りにあちこち食べたり買い物したりとお店に立ち寄るくらいで、俺から誘うことはなかった。何度か愛実から誘いがあり、俺がそれに乗るくらいだった。
愛実と出会って丸一ヶ月が過ぎた頃だった。
オープンしたばかりの居酒屋で食べてみたいと誘われ、二人とも遅い授業がある日に行くことにした。
和モダンの空間がオシャレな店で、隣同士が仕切られた半個室の席に案内されると、俺たちはお互いに向かい合って座った。
大根サラダや定番の唐揚げや焼き鳥を頼み、愛実はカルーアミルク、俺はもちろん、まだ十八歳だからノンアルのレモンサワーを頼んだ。
待っている間、他愛ない会話をした後、愛実は俺のアディダスのリュックに付いているボールチェーンでぶらさがった五cmほどの大きさのキーホルダーを指差した。
「ずっと思ってたんだけど、それマリモ? 可愛いわね」
角が丸い長方形の、透明なプラスチック性の容器をしたそれには、満杯に入れられたブルーの水の底に二つのマリモが浸かっていた。
「ああ、これは家族で北海道旅行した時に妹とお揃いで買ったんだ。これはブルーの水だけど妹はピンクなんだよ。俺とお揃いにしたかったんだってさ」
「妹さんと仲良いのね」
愛実はニコニコ笑って聞いていた。
今までの店と違って、居酒屋は時間の流れが早かった。オープンしたてで混んでおり、席に通されたのが遅かったこともあって、気付けば十一時をまわっていた。
「うちに来る?」
愛実は大学生を機に一人暮らしをしていた。大学の寮は空きがなかったらしく、マンションを借りて一人暮らしをしていた。
あっという間にお持ち帰りされることになってしまった。こっちは全然いいんだけど、あまりにうまい話に思わず、「ドッキリ?」と聞いたら、「違うわよ」と笑われたので、マジのやつらしい。いや、念入りに仕込まれたドッキリなのかもしれない。最後まで気を抜いてはダメだ、と俺は自分自身に言い聞かせた。
部屋に通され、「狭くてごめんねー。ソファに座っててー」とクーラーの電源を入れながら促され、俺は二人掛けのソファに座ったら、
「なんか飲む?」
と、冷蔵庫を覗きながら聞かれた。
「なんでもいいよ。水でもいい」
と言ったら、水道水で良かったのに、愛実はちゃんとグラスに氷を入れてミネラルウォーターを注いでいた。同じようにもう一つのグラスにも注いで、二つのグラスをソファの前のテーブルに並べて置いてくれた。なんと、皮が剥かれたメロンとオレンジのカットフルーツも置かれていた。
「食べる?」
一口サイズに切られたメロンにつまようじを刺して聞いてきた愛実に、俺は聞かずにはいられなかった。
「わざわざ用意してくれたの?」
「朝ごはんに食べようと思ってたんだけど寝坊しちゃって。たまたまあったから出しただけ。あ、正直に言わなきゃ良かった~。いい女っぽかったのに~」
「いや、正直に言ってくれて良かった。そうじゃなかったら、めちゃくちゃ計画性あるじゃんってなって、このソファの底が抜けて俺は落下させられるのかもってなって帰ってた」
愛実は「そんなわけないじゃない。食べてる時に笑わせないでよ」と笑っていた。そして、俺の隣に座ると、
「じゃあ、帰らないんだよね?」
と、聞いてきた。
「終電、逃したし、今更帰れないよ」
「どっちからお風呂に入る?」
当たり前のように聞いてきた。
どう考えても、男の人を部屋にあげるのが初めてではなさそうだ。
「あのさ」
「なに?」
「エッチしていいの?」
「ダイレクトに聞いてきた……。こんな人、初めて……」
「駆け引きとか面倒臭くて。合意かどうか聞いといた方が無難かなぁと。って言うか、俺たち付き合ってんの?」
「これって付き合ってないの?」
口に手を当てて驚く愛実に、確認しておいて良かったぁ~と思ってしまった。
「正直なところ、愛実のことをまだそんなに知らないから、好きか嫌いかで聞かれたら普通だよ」
「じゃあ、今から知らない私のことをたくさん知ってほしいなぁってことで」
愛実は照れ臭そうに笑った後、慌てたように付け足した。
「あ、でも、もし浩平が嫌なんだったら、もちろん無理することはないから。全然、私のことは気にしないで――」
俺の隣にいることに居心地が悪くなったのか、ソファから立ち上がろうとした愛実の腕を、俺は無言で引き寄せた。
読んでくださって、ありがとうございました。
次回に続きます。




