4、俺と紫織さんの三者懇談
「ええ~っ!? 三十分間~っ!?」
俺の三者懇談のプリントを受け取った紫織さんは、目を丸くして叫んだ。
同居生活が始まって三ヶ月が過ぎた頃だった。
「小学校は十分間だったのに、何をそんなに先生と語り合わなきゃいけないのよ?」
「進路の話に決まってるじゃん。俺、大学受験するんだけど」
「こっちは高校受験の知識もないのに、大学受験のことなんか分かんないわよ。小学校みたいに、学校での様子を先生が話してくれるとかじゃないの?」
「そんなんじゃないし。学校での俺の様子は、勉強したり友達と喋ったり部活したり、至って普通な様子です。俺自身が説明できます」
「どこの大学にするの? もう決めてるの?」
「ある程度もう決めてるから。これ、高一からの通知表、目を通しといて」
「……浩平くんはしっかりしてるわねぇ~……。お母さん、安心だわ~……」
「俺、特進クラスで推薦枠とかないから。一般選抜でいくから」
「なに言ってるのかよく分からないけど、お母さん、応援するわ!」
「分からないなら、『本人の希望に任せます』って言うだけでいいよ」
「ありがとう~っ! しっかりした息子で良かった~。お母さん分かんないし、浩平くんに任せるわよ! 合格に向かってゴーゴー!」
拳を突き上げておどける紫織さんに、俺は紫織さんが笑顔なら、まあいっか、と思った。
三者懇談の当日。
紫織さんは、白いブラウスに紺のガウチョパンツのスタイルだった。化粧も、ナチュラルで清楚な感じに仕上げていた。三十五歳だが、とてもそうは見えない。二十代半ばくらいに見えた。
行きの電車の中で、俺と紫織さんは、懇談用資料のプリントを片手にあーだこーだと進路について話した。
「一応、第一志望がここで、滑り止めはここにしてるから」
「それはいいけど、こんなに評定?って言うんだっけ?」
「そうそう、評定であってる」
「こんなに評定がいいのに、推薦とかはなんでダメなの?」
「いや、だから、俺は特進クラスだから一般選抜で受験するんだって」
「特進クラスじゃないクラスは推薦枠があるの?」
「そうそう」
「特進クラスは推薦枠は全然ないの?」
「そうそう」
「一個もないの?」
「一個もない」
「一個も!?」
「一個もない」
「そんなのズルくない?」
「ズルないよ。特進クラスは一般選抜向けの授業内容になってんだよ。そんなこと俺に言われても、ズルいと思うなら特進クラスを選ぶなよってことなのよ。だから、二年からのクラス選択をする時に、よ~く考えて~って高一の終わりに言われてたのよ」
「それで浩平くんは特進クラスを選択したの?」
「俺の成績なら特進クラスに行けるぞって担任に言われたし、もともと国公立を目指そうと思ってたし。そんで、特進クラスを選んだら審査に通ったんだよ」
「ええ~っ、大変だしやめなよ~」
「今更そんなことを言われても、もう引き返せないのよ。紫織さんは俺にどこの大学に行ってほしいんだ?」
「浩平くんが幸せなら、お母さんはどこでもいいの」
「どこでもいいんかい」
「浩平くんが幸せなら、お母さんはなんでもいいの」
「なんでもいいんかい」
「浩平くんが幸せなら、お母さんも幸せなの」
「なんじゃそれ。進路の話はどこいった?」
「お母さんは……」
「しっ!」
俺は人差し指を口の前に立てて紫織さんを黙らせた。なぜなら、乗客の「え? え? 親子だったの?」という驚きの視線が山ほど俺たちに集中していたからだった。
紫織さんを見て、担任の園部は、
「え? え?」
と、明らかに戸惑っていた。
禿げ上がった額の汗を拭うと、黒縁メガネを何度もかけ直している。コントの世界だった。
「この前に話してた、俺の新しいお母さんです」
「浩平くんの母です。いつもお世話になっております」
ぺこりとお辞儀をする紫織さんに、園部はまた無意味に黒縁メガネを上げ下げしていた。相当、状況を理解できないようだった。
一通りの話も終わり、園部は横で聞いているだけだった紫織さんに話を振った。
「お母さんのご意見はどうですか?」
「本人の希望に任せます」
俺の教えた通りの台詞を口にした紫織さんに、俺は気になって聞いてみた。
「お母さんも分からないなりでいいから、意見を言っていいよ」
すると、紫織さんは突然、ぽろぽろと涙を流し出した。俺はびっくりした。
「ど、どうしたっ?」
「今、お母さんって呼んでくれた~……」
すすり泣く紫織さんに、俺は、
(え~? 今、そこで感動する~?)
と、戸惑う。そして、気になったので思わず聞いてみた。
「……お母さんって呼んでほしかったのか?」
「うん……浩平くん、ありがとう~……」
涙を流す紫織さんに、園部も「良かったですね~……」と、もらい泣きをしている。
俺の進路の話そっちのけで、二人は家族愛について語り始めた。俺はもう、参ったの降参をするしかなかった。
「先生の前で思わず泣いちゃうし……なんにも母親らしいことも言えなかったなー……」
校舎を出て、しょんぼりしている紫織さんに、俺は(なんだ? なんだ?)となった。こんな落ち込んだ紫織さんはついぞ見たことがない。
こっちは知らなかったが、突然できた高三の息子の母親というプレッシャーは、かなりのものだったらしい。
「母親らしいことってなに? 母親らしさなんかどうでもいいよ。 紫織さんは俺のお母さんなんだから、もうそれだけでいいよ」
「浩平くん……」
「ごはんとか掃除とか洗濯とか、毎日、当たり前にやってくれてるけど、俺はそれがどれほど大変なことか知ってるよ。家事をやってくれてるのに三者懇談まで来てくれて、俺、マジで嬉しいよ」
「浩平くん……」
「あまりにも若いしお母さんって呼ぶのに違和感があるから紫織さんって呼んでるだけだよ。紫織さんのことは、ちゃんと俺のお母さんだと思ってるよ」
「浩平くん……うわ~ん……」
紫織さんは、俺の胸にしがみついて、またわんわん泣きだした。
そんな俺たちの横を、運動部の奴らがじろじろ見ながらランニングで通りすぎていく。
(感動してくれるのは嬉しいけど、泣かれるし、抱き付かれるし、見られるし、なにより胸が当たってるし――!)
って、俺は思った。
翌日からとんでもない目に遭った。不倫だの年上キラーだの隠し子の姉がいただの変な噂は流されるし、いろいろ聞かれるし、新しいお母さんと妹のことを一から説明しなきゃいけなくなるし、羨まけしからんと怒られるし。
ひっそりとした平穏な暮らしを望む陰キャな俺にとっては、しばらく注目されることはかなりストレスな出来事となった。
読んでくださって、ありがとうございました。
次回に続きます。