21、兄妹の境界線3
紫がかったグラデーションの空には、宝石を砕いたような、たくさんの星屑が瞬きだしていた。冬の一日が終わるのはとても早い。
ちょうど、街路樹のイルミネーションが点灯を始めた。
「そろそろ帰るぞ」
「帰りたくないなぁ~……」
「そういうわけにもいかないだろ」
「晩ごはんも食べたい!」
そう言われ、俺はスマホを取り出した。
(クリスマスらしいことしてあげてないな。イベントとかあるかな)
検索したら、ここから歩いて五分ほどの広場でクリスマスマーケットのイベントがあるようだった。
大橋家のグループLINEに、
『成海が晩ごはんを食べたいらしいから食べて帰っていい?』
と打つと、お母さんから返事が来た。
『了解でーす! ごめんね~! 成海のことをよろしく!』
の後に、『ありがとう』と言っているクリスマスの格好をしたキャラのスタンプが送られてきた。
「やったっ!」
自分のスマホでお母さんからの返事を確認した成海は、俺の手を繋いできた。
イルミネーションが点灯している街路樹を二人で並んで歩く。しばらくすると、
「さすがに手が冷たいね~」
と言ってきたので、手を繋いだまま俺のジャンパーのポケットに二人の手を入れたら、成海が、にへら~と笑ってきた。思わず笑ってしまう。こんなんでそんなに幸せになってくれんの?と、こっちも嬉しくなってしまう。
だが、ふと、これは兄妹の境界線を越えているのだろうかと俺は判断に迷った。
イベントの広場には、多くのキャンピングカーやマーケットが並び、たくさんの人で賑わっていた。
すっかり日は暮れていたが、辺りはオレンジの柔らかな明かりが集まって、まるで昼間のように明るかった。
なぜだろう。どういうわけか、今年のクリスマスは例年よりも気持ちが高揚した。
食べ物以外にグッズも多く売られていた。雪景色にサンタが描かれたハガキや、クリスマスリースの描かれたマグカップなど、比較的安価な物もあれば、そうでもないお値段にドン引きすることもあった。
「このスノードームは一万五千円するのか……」
「お兄ちゃん、こっちのランタンは二万円だよ……」
周りに聞こえないよう、二人で小声でぼそぼそと話し、
「ということは、このサンタの陶器が六千円、めっちゃ安いなぁ~。買おか~?」
「騙されないで、お兄ちゃんっ」
成海は笑いながらツッコんでくれた。めちゃくちゃ庶民派な俺たちがいた。
お腹がすいてきたので、まずは、ビーフシチューを食べてみた。コクのあるビーフシチューにお肉はほろほろにほどけるほど柔らかく煮込まれ、二人でずっと「おいしい~!」と笑いながら食べていた。
次に、リースの形のピザを二人で半分個して食べてみた。ブロッコリーとコーンとぷりぷりの海老にチーズがとろとろに乗っていて、こちらもあっという間に平らげてしまった。
気になる串焼きも買ってみた。豚肉とソーセージが交互に刺さっているのだが、あまりにもボリュームがあるので、一本を二人で食べることにした。最初の豚肉を食べてみたら、めちゃくちゃジューシーでこれもおいしかった。
「次は成海が食べたい!」
と言うので、食べさせてあげようと向けてからの俺が食べるというお約束をしたら、
「お兄ちゃん!」
と、きちんと怒られた。俺は笑ってしまった。定番の流れなのに無性に笑えてしまう。
なぜか、めちゃくちゃ楽しい。クリスマスってこんなにも楽しいイベントだったっけ?って思った。成海といると、俺も子供みたいにはしゃいでしまう。
最後にマシュマロの雪だるまが浮かんだホットココアを飲み干すと、成海はあるデパートを指差した。
「ここの屋上に行きたい!」
そこは成海と初めて出会った場所だった。スマホで検索しながら俺は返した。
「屋上はなにもイベントやってないぞ」
「いいのいいの。ちょっと見るだけだから」
成海に手を繋がれて、俺たち二人はデパートの屋上へ向かった。
エレベーターを出て屋上に出ると、辺りは申し訳程度の明かりが灯っているだけだった。
俺たち以外は誰もいない。
人工芝も、木々やベンチも、石で組まれた溝に流れる人工の川も、今はひっそりと闇に溶け込んでいた。
あの時とは時間も季節も違っているが、懐かしさに胸が僅かに締め付けられた。思わず、出会った時と同じ木のベンチに座ってみた。
初めて出会った時、俺の隣にちょこんと座った成海のことを思い出す。
(あの時の成海は小さかったなぁ~)
と思い出しては、しみじみと感慨に耽った。
「ここからの夜景を見てみたかったんだ~」
イルミネーションを見下ろして満足げな成海に、俺も隣に立って見下ろした。真下に、先程までいたクリスマスマーケットのイベントが見えた。
「そろそろ帰ろうか」
「うん……」
「淋しがってるけど、帰る所は一緒だから淋しくないだろ」
「ほんとだ! そういえば、そうだね。淋しくない。でも、デートが終わるのは淋しいけど」
「また遊びにくればいいし」
「うんっ」
えへへっと成海は目を細めて笑った。
背が伸びて身体も成長し、雰囲気も少女というより大人びて女性らしくなってきたが、笑顔は出会った頃と少しも変わらなかった。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なに?」
「お兄ちゃんは、まだ嫌々生きてる感じなの……?」
突然、心配そうに見上げて聞いてきた成海に、俺は虚をつかれた。まさか、そんなことを聞かれるとは夢にも思っていなかった。
「ずっと心配してくれてたのか。あの時は命の恩人だってことを説明したくて言っただけだよ。今はもう大丈夫だから」
「本当に?」
「まあ……」
「本当に~?」
言い淀む俺の声に、成海は疑うように畳み掛けてきた。成海に隠し事はできないなぁと改めて思った。
「まあ……そうだな。まだ少しだけ生きるのが嫌かなぁ……」
「成海が思うに、生まれた以上生きなきゃならないって考えてるから息がつまると思うのよ」
「え? この考え方、間違えてんの?」
「間違えてるというよりも、お兄ちゃんみたいに真面目な思考の人は、もっと肩の力を抜いて生きた方がいいよ」
「どうすんだよ?」
「ただただ、おいしいものを食べるために生きるとか、好きなアーティストのライブのために生きるとかさ」
「そんなんでいいのか?」
「もちろんもちろん! コンビニのスイーツの新商品のためにとか、好きなゲームをひたすらやるとかでもOKだよ! 自分の時間を好きに過ごす人生なんて楽しいじゃない? そういう自分の好きな時間を積み重ねて築いた人生も、立派な人生だと成海は思うわけよ」
そう言われると、確かに気が楽になってきた。自分の人生なんだし、自分の好きなように過ごす人生なんて、きっと楽しいに違いない。今は大学生で時間もあるんだし、今のうちに自分の好きなことに気持ちを全振りして人生を楽しむべきなんだろう。
「そうだな……ちょっと気が楽になってきた。お堅く考えずに、リラックスしながら楽しく生きることを心掛けます」
「堅っ!」
「前向きに善処します」
「堅っ!」
わざと驚愕した顔でツッコミを入れる成海に、俺は笑ってしまった。そんな俺に、成海も同じように笑い返してくれた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「心が疲れてる時に、急に人生を楽しむってなかなか難しいかもしれないけどさ……。でも、とりあえず人生を楽しめるように、まずは楽しいことをたくさん経験していこうね!」
「楽しいことなぁ……。急にそんなこと言われてもなぁ……」
「お兄ちゃんは、もっとワクワクドキドキする経験をした方がいいよ」
「ワクワクドキドキなぁ……。毎日、遊びに出かけるわけにもいかないし。そんな簡単にはいかないだろ」
「簡単にできるよ」
「簡単に? どうやんの?」
不思議に思って聞き返した途端、目の前に成海の顔が迫ってきて、あっという間に唇が塞がっていた。
頭が真っ白になった。
俺と成海の唇が重なっていた。
あまりにも柔らかくて温かい成海の唇の感触にびっくりした。息をすることを忘れた。
そっと成海が離れた時、微かに成海の吐息が俺の顔にかかった。
呆然としている俺に、成海は、ほんのり頬を赤くしてウシシ笑いをしている。
「ほらね! 簡単にドキドキしたでしょ?」
確かに―――めちゃくちゃドキドキしている。正直、痛いくらいだ。
「……これは兄妹の境界線を越えてるだろ」
「そかな? 仲がいい兄妹ならキスくらいすると思うよ?」
「めちゃくちゃだな」
ツッコむ俺に、成海はけらけら笑って逃げ出した。
その時、空から天使の羽が降ってきた。成海の周りを、たくさんの羽がゆっくりと静かに舞っている。その光景は成海を明るく浮かび上がらせていた。
「見て見て! お兄ちゃん、雪、雪~っ!」
それは、ぼたん雪だった。
成海がはしゃいで俺に笑いかけてくれている。
ここだけ、現実の世界ではないようだった。
本当に天使の羽が舞ってるのかと思った――
大橋家の最寄駅まで、俺と成海は電車で揺れていた。成海がうとうとしだしたので、反対の乗客にもたれないよう俺の肩にもたれさせた。俺も疲れたので、成海の頭に顔を乗せる。そうして、お互いにもたれあって揺れていた。
心の底から安心した。俺が泣いた時に、まだ小さな身体で抱き締めてもらった時のことを不意に思い出した。
周りからは恋人同士に見えているのだろうか。それとも、仲の良い兄妹に見えているだろうか。
目を閉じて、成海と恋人同士になったことを想像してみた。デートをしてみた。今日と変わらなかった。凄く楽しかったし、やっていけそうな気がした。
俺からキスをしてみた。鼓動が微かに速くなった。だが、他の女性には感じない息苦しさが湧いた。
深いキスをしてみた。更に、俺の鼓動が速くなった。息苦しさは増した。
キスをしながら、服を脱がせてみた。更に息苦しさが増してきたが、考えないようにしながら下着のところまで脱がせた。水着姿の成海を何度か見たことがあるので、そこまでは想像できた。恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、俺に笑いかけてくれている。愛おしい。めちゃくちゃ可愛かった。
それなのに―――なぜか、それだけではなかった。腹の底から突き上げるような別の感情もあった。それは、何か大切な宝物を壊そうとしている感覚に似ていた。
息苦しさを振り払うように、ブラジャーをはずそうとした瞬間、強制的に画面が真っ暗になって、微かに痙攣して目を覚ました。
成海は俺にもたれたまま寝ていた。
寝顔も可愛い。愛しい。
だが、妹としての愛情だと思った。
成海とセックスをしたら、幸せな気持ちよりも奈落に堕ちる感覚があった。
――なんか……成海はなんにも変わらず、俺の妹のまんま、そのまんまでいてよって感じなんだよ。
いつか自分が言った言葉を思い出す。
俺の妹のまんま、そのまんまでいてほしい。
そして、ただ純粋に、いつまでもこのままずっとそばにいてほしいと思った――
読んでくださって、ありがとうございました。
次回に続きます。




