14、恋は意図せずしてしまうもの
毎日通っていた夏期講習も終わり、二学期が始まると、「初めて夏休みが早く終わって~って思った~……」と晩ごはんを食べながら成海は嘆いていた。
まだまだ暑いと思っていたが、朝晩が急に冷え込むようになり、いつの間にか、秋の味覚を謳う商品が、多くの店頭に並ぶようになっていた。
塾がない日の夜だった。俺の部屋をノックすると、成海が入ってきた。
「お兄ちゃん、ここ教えて?」
化学変化とエネルギーの〈化学電池〉の問題を指差され、
「懐かしい~、こんなのやってたわ」
と、俺は走馬灯のように昔を懐かしみながら教えた。
「これは、あーだから-極で、こーだから+極で……まあ、溶けたら負けだから負極って覚えたら楽だから」
と説明すると、
「ほんとだ! 凄い! お兄ちゃん、分かりやすい!」
と、褒められた。
次は、力学的エネルギー保存の法則……これも懐かしい。
成海が指差したレール上の物体の問題で、
「これは、静止の高さで数字を決めてしまったら楽だから。後は、数学の座標みたいに、それぞれを書き込んでいって確実に点を取っておいた方がいいよ」
と説明すると、
「なるほど! 分かりやすい! お兄ちゃん、ありがとう!」
と、またもや熱く感謝されてしまった。
大学の就職課の前の廊下には、山ほど家庭教師のアルバイトを募った貼り紙があったから、時給もいいしやってみようかなぁとか思った。
その後もいくつかの質問に答え、納得した成海が出ていこうとしたので、俺は、「成海」と呼び止めた。
「なに?」
「成海は好きな人と同じ高校には行かないのか?」
すると、成海はきょとんとした顔をした。
「突然、どうしたの? なんで?」
「いや、第一志望が女子高なんだーとふと思って……」
「好きな人と同じ高校を目指すとか、そんなことしないよ。少女漫画じゃないんだし。みんな、行きたい高校に行くに決まってるじゃん」
「そりゃまあ、そっか」
「それに、どうせフラれるから告白しないし」
「なんで? 成海だったらモテるだろうし大丈夫だろ」
「そんなことないよ。それに、友達と好きな人が被ってるとかもあるしね。中学生の世界にも、いろいろあるんだよ」
「そっか」
「いいの。そんなことより今は受験の方が大事だから。お兄ちゃん、ありがと! おやすみ~」
忙しそうにしている成海に、俺は、
(成海にもいろいろあるんだなぁ……)
と、改めて思った。
当たり前のことだが、家族だからお互いに全てを知っているわけではない。
俺の知らない成海の世界があるんだな……としみじみ思った。
三月になった。
塾の公開テストで最終的にC判定まで上がっていたが、残念ながら、第一志望の女子高はダメだった。成海は第二志望の共学にいくことになった。
その日の夕方、成海の部屋に入ると、成海はベッドの上で身体をうつ伏せたまま、顔は壁側を向いた状態で力なく倒れこんでいた。全身でしょんぼりを表していた。
「お母さんがごはんだってさ」
「うん……」
成海の後ろ頭が、微かにこくん……と頷いた。俺はベッドの脇にしゃがみこむと、成海の頭をなでなでしてあげた。
すると、
「お兄ちゃんも勉強、教えてくれてたのに、ごめんね……」
と、ぽつりと呟いた。
(自分のことよりも俺のことを思いやれるなんて……!)
俺は思わず泣きそうになった。
自分が中三の時、こんなにも相手のことを思いやれただろうか。もっと自分勝手に生きていた気がする。
成海の頭をなでなでしながら続けた。
「俺も高校はダメだった。滑り止めの高校だったんだ。でも、滑り止めでも楽しかったし、最終的にはこの高校で良かったって思ったよ」
「うん……」
「また上を目指したくなったら、大学受験で頑張ればいいよ」
「うん……」
成海は素直にこくこくと頷いていた。
少しすると、成海はむくりと起き上がった。ゆっくりとベッドから出るが、もう一度、しょんぼりした顔のまま深い溜め息を吐く。
「しばらく好きなことをして遊ぼう」
「うん……」
「頑張ったな」
もう一度、頭をなでなですると、成海はたまらなくなったのか、ぎゅっと俺の胸にしがみついてきた。
その瞬間、思わず息がつまった。
久しぶりに抱き付かれて驚いた。あんなに小さかったのに、いつの間にこんなに背が伸びていたんだろう。
出逢った頃は子供体型で細くて小さかったのに、もうそんなんじゃない。そんな感覚じゃない。
少しずつだが、確実に女性になっていく成海に、俺は不意についていけず、戸惑いと困惑の感情が湧いた。
確かに見た目は成長していると認識はしていたが、それでも俺は、今の今まで成海のことを小動物というか、パン太郎みたいな感覚でいた。
でも、当たり前だが、そうじゃない。抱きつかれて、初めて実感した。
一瞬、固まった俺に気付いたのか、成海が抱きついたまま不思議そうに見上げてきた。
「どうしたの?」
「いや……なんか、大きくなったなぁと……」
成海は、「お母さんと同じこと言ってる~」とようやく笑った。
「三年間で十cmも伸びたんだよ。凄いでしょ?」
「ああ……」
「えへへ」
笑っている成海に、戸惑いを隠すように俺も笑い返し、久しぶりに触れるだけの軽いハグを返す。
(いつまでもパン太郎じゃないんだな……)
と、ふと思った――
三月の半ばだった。
成海の中学校の卒業式が終わり、三人が家に帰ってきた。
朝は寒かったが、昼になった今は日差しがちょうど心地よい、柔らかな暖かさに変わっていた。
家の前で、お父さんとお母さんと卒業証明書を持った成海を、俺がカメラマンになって撮影した。
お父さんとお母さんが家に入っていったが、成海は入らずに、玄関のそばに植えられたシマトネリコの木を見上げて、
「また枝が伸びてきたね」
と、言った。
「夏になる前に切らなきゃな」
「成海がまた枝をまとめる役をする!」
毎年、道路側にはみ出しそうになった枝をお父さんが切り、俺が地面に散らばった枝をまとめて束にしていたが、去年は俺が切り、成海が枝をまとめる役をした。
あれから、もう一年も経ったのか……とふと思う。月日が経つのは本当に早い。
「そういや、成海は好きな人に告白しなかったのか?」
「してないよ」
「しなくて良かったのか?」
「うん。告白しないって決めたから」
「そっか」
「大丈夫、哀しいけど大丈夫だよ。だって、恋は叶えることに意味があるんじゃないよ。恋はすることに意味があるんだよ」
「…………」
「恋が叶えば二人のためになったけど、叶わなくても私のためになったから。やっぱり恋はすることに意味があるんだと思う」
「…………」
「成海の恋は叶わなかったけど、成海は恋をして良かったと思う」
笑った成海に、俺はまた、いつかのように頭をなでなでしてあげた。
すると、不意に成海のくりくりおめめから涙が静かに流れ始めた。
「お兄ちゃん……ハグして」
「うん」
いつものように軽いハグをすると、成海は鼻を啜りながら続けた。
「恋って……自分の意思とは関係なく、不意にしてしまうものなんだね。自分じゃどうにもできないから……ちょっと疲れたな……」
「そうだな……。叶わない恋は疲れるよな」
「新しい恋したいなぁ……」
「高校に行ったら、また好きな人ができるよ」
「うん……がんばる!」
頑張ってできるものなのかは分からないが、成海は自分に言い聞かせるようにそう言った。
一緒に暮らしていて思う。
成海は高校生になっても、きっと俺と普通に話してくれるだろう。
反抗期はあるかもしれないが、親や兄と口をきかなくなるようなことはないと思う。
実際、そうだった。出会った頃のまま何も変わらず、そのまま時は過ぎていった――
読んでくださって、ありがとうございました。
遅くなって、すいませんでした。
次回に続きます。




