昭和100年、昭和の頃を思い出してみました
バブル景気、都市部は凄かったみたいですが田舎はこんなもんでした。(;^_^A
ネットで当時のエピソードを読んでみても、テレビの世界にしか感じられません。
今年、2025年は昭和百年にあたるそうです。という訳で昭和生まれのアラフィフが過去を思い出してみます。
なお私は、田舎で生まれ育ちました。
同世代の方と、思い出にずれがあるかもしれませんがご容赦ください。
①広告の裏でメモ用紙を作成
これは、現代も行っている方がいるかもしれません。
コピー機が一般的になる前は、紙は貴重でした。子どもが絵を描くのに、ノートは贅沢品です。朝刊に挟まれる広告で裏が白いのを、我が家では姉妹で取り合ってました。
②届いた封筒のリサイクル
切れ目をいれ裏返し、糊で貼り付け再利用します。ご家庭だけでなく、一般企業でも行っていました。人手が余っていた古き良き時代です。
③木に登って、木の実を食べる。
自宅の近くに桑の木が何本も生えており、初夏に黒い実を沢山付けます。甘くて美味しいです。口の中を真っ黒にしながら食べてました。
また、祖父母の家に大きな柿の木とサクランボの木が植わってました。
こちらも季節になると遊びに行き、よじ登ってむしゃむしゃ食べてました。
今思えば、ずいぶん贅沢な思い出です。
市販のサクランボ、高くて買えません……。
④よその敷地に入り、遊ぶ。
土管や大きな醤油樽が置いてある、企業の敷地に入り込み潜ったりよじ登って遊んでいました。
社員さんに見つかっても、「気を付けて遊べよ~」と言われ野放し状態でした。
今やったら大問題です。
⑤道端に生えている草を、夕食のために持ち帰る。
春先になるとナズナやヨモギ、タンポポの葉を集め持ち帰りました。
母がおひたしやテンプラなどにして、夕食のおかずになりました。
大人になった今も、ヨモギを見ると摘みたくなります。新鮮な葉を使ったヨモギ団子、手間はかかりますが美味しいですよ。
⑥手芸
女の子たちの間で人気だったのは、布小物やお菓子やビーズアクセサリーの手作り。手芸、一時はダサいとすたれ気味になりましたが、また流行しているみたいですね。
手編みのセーターは少女漫画のお約束エピソードでした。いま考えると、普通の女子高生がセーターが編めるって凄い時代だったなと。私も簡単なマフラーなら何本も編みました。妹が登下校の時に使ってくれて、嬉しかったです。
また、鉱石ラジオなど工作系も盛んでした。
最近、若い人に「材料とやり方さえあれば、ラジオ作れるよ」と言ったらビックリされました。
当時は小学生の自由研究だったのに……。
思い返すとネットが普及している現代よりも、手先や身体を使う事が多かった時代でした。
テレビではディスコやフレンチレストラン、高級マンションなど華やかな都会を写していました。しかし田舎ではとなりのトトロの映画と見まがうような、ゆったりとした時が流れていました。
校内暴力やパワハラなど、問題も多かった時代なので戻りたくはないです。けれど懐かしいです。
それでは令和になってからの思い出です。
最近、仕事上の大先輩とお話しする機会がありました。
「俺らの頃は戦後で、みんな貧乏だったよ。小学生の頃は、道端に落ちている電線を拾って屑屋さんに持ち込んで小遣いにしていた」
※屑屋 = 廃品回収業を営んでいるお店
「私も同じようなことしていました! 高校生の頃、工事現場を見かけると、廃材置き場から電線拾ってました! 電気工事士の試験の練習用に! 」
※現場の工事業者さんに許可をもらってからです。
~しばらく、お待ちください~
沈黙の後、大先輩は重い口を開きました。
「歳、サバよんでない? 本当は俺と同世代(団塊世代)でしょう!?」
一応、バブル生まれの氷河期世代です……。
高校生の頃、資格試験用の教材を工事現場で手に入れていた理由。資格試験のテキストや受験代を自分で捻出していたため、節約したかったからです。父に女の子には危ないからとエンジニアになるのを大反対されていたため、費用を強請れなかったのです。
高校はバイト禁止だったため、休日に家業(ガス配管工)を手伝って小遣いをもらい資金にしていました。
大先輩に理由を話したら、ますます年齢を誤魔化している疑惑が強まってしまいました(;^_^A