02私はママじゃない
帰宅、即酒。
これは世界の掟であり、破ってはならないものだ。
自宅に戻り、即冷蔵庫を開けると缶ビールを一気に流し込んだ。
あぁ、生きている。このために生きていると言っても過言ではない。
今日は外部との打ち合わせもあったためにスーツを着ていた。
スーツのなんと息苦しいことか。さっさとジャケットとパンツを脱ぎ捨てシャツを放り投げ、下着姿で腰に手を充てて二本目を流し込む。
「おほー、生きてりゅううううう」
まだ酔ってはないが、そんな声を出してベッドにダイブする。
いいんだ。私は独り暮らし。何をしても自由。
だが、仕事がすべて片付いたわけではない。
社用スマホをチェックすれば担当している子たちからメッセージが届いている。
それらを確認、もしくは返信して、明日の予定を確認してやっと今日の業務はすべて終了である。
『みくちゃん、今日はありがとう。カレー美味しかった』
『次はオムライス食べたいな』
なんてメッセージがおはるから着ていた。
本当ならば既読無視したいところだが――ここで無視をすれば彼女のメンタルはまたブレてしまうかもしれない。
『お口にあって良かったです』
『来週配信したら作ってあげますね』
なんて返す。
オムライスか。仕方ない。
来週ちゃんと配信ができたらなら橘家特製オムライスを作ってやろう。
母親譲りのオムライスはお店に負けないくらい美味しい自信がある。
ふわとろのたまごに、中はケチャップではなくカレー粉を使った特製のライスなんだ。
なんて考えると、少しばかり実家が恋しくなってしまう。
母親の手料理を食べたのは――もう一年は前か。
『やったー』
『みくちゃんしゅきしゅき』
『配信がんばるね』
ピロンピロンうるせぇメッセージ。
おはるからはしばらくメッセージが続き、私もしばらく相手をした。
『みくちゃんが男だったら彼氏にしたのになー』
私が女で良かったよ。
本音は厚いコンクリートで覆い隠し、おはるにはビジネスな返事を続ける。
『あ、でも、この際女でもいいかも。みくちゃんが彼女だったらなぁー』
最近の子は同性にも躊躇しないのだろうか。
だが、残念。私は百合には興味がないんだ。
ビジネスな返事を続ける。
『みくちゃんしゅきしゅきー』
こちらがいくらビジネスライクな返事をしても、返ってくる言葉はおはる節が続いてため息が出る。
ビールを流し込み、換気扇の下タバコに火をつける。
男だったら――惚れそうだなぁなんて思う。
きっと小悪魔な彼女に振り回されつつも、好き好き言われたらデレデレしてしまう。
そんな姿が頭に浮かぶ。
だが、わたくし橘美玖は女。そして百合には興味がない。残念ながら。
『みくちゃんちゅっちゅー♡』
……。
百合には興味が、ない。
◇
『今日も配信みてくれてありがとー♪ また次回の配信でお逢いしましょぉー♪』
翌週、おはるは無事配信を行うことができた。
1時間半の雑談配信はスタートと同時に謝罪と反省の言葉が述べられたが、リスナーたちは温かく迎えてくれた。
ドキドキしながら配信を見ていたがおはるはいつも通りに――笑っていたし、むしろ以前よりも楽しく配信ができていたように思う。
担当が無事復活したことと、リスナーの反応に安堵のため息が漏れる。
『みくちゃー! 配信できたー! オムライス―!』
配信が終わって間もなく、そんなメッセージがおはるから送られてきた。
おはるは自宅から配信していたが、私はまだ社内だ。
約束してしまった以上は作ってやらなければならないだろう。
オムライスの一品で担当のメンタルが保てるのならば、安いものだ。
『今からきてー!』
こちとらまだ出勤中だっていうのに。
マネージャーである私は普通の会社員と同じように会社に出社しなければならないが、Vtuberはそうではない。
フル3Dを使わない配信ならば自宅からすることができることもあり、担当の子たちが会社に顔を出すのは週に数回しかない。
出社せずにいられる彼女たちを、たまに羨ましく思う。
なんてったってVtuberだから、満員電車に乗ることもないし、出社のためにメイクもしなくていい。
3Dというガワを被れば中身がどうなっていようとかまわないし、出勤や退勤の時刻を気にすることもないのだから。
まだパソコンに向かう私は画面隅の時刻を見つめる。
現在時刻は21時を過ぎている。22時までには退勤できたらいいな、なんて思う。
ある程度の事務作業が終わり、パソコンで退勤ボタンを押す。
22時までには絶対に終わらせるぞという鋼の意思のおかげもあって、22時01分には退勤ボタンを押せた。
明日は休みだし、このままおはるの家に行くか迷う。
できればさっさと自宅に戻ってお酒飲んで風呂入ってお酒飲んで寝たい。
社用スマホを見れば、おはるからのメッセージが溜まっている。
やっぱり行く気がしなくて、オムライスは後日にしてもらおうと返事を送る。
『じゃ、おはるがみくちゃんち行く』
やめてくれよ。こっちはもう休みたいんだ。
とは言えず。
『みくちゃんち遠いっけ? タクるから住所おしえてー』
やんわり断ってるんだから気付いてくれよ、とは思えどもおはるには培われるべき社交性がない。
そういえば、履歴書にも大学中退でそこからは配信してたって書いてあったな。
学生生活で学ばれるのはなにも勉学だけではない、自分以外の他人と付き合うことによって社交性を学ぶこともある。
今になってわかる学生時代の大切さ。おはるは今学生時代に学べなかったことを学ぶべきなんだろうなと思う。
――けれど、やっぱり本音はいえず。
だって、私はマネージャーだから。
しかたなく住所を送る。既読はついたけれど返事がないから、きっともう自宅へ向かう準備をしているのだろう。
「はぁ――……」
自宅だし、お酒を飲むくらいはいいだろう。
オムライスを食わせたらさっさと帰ってもらえばいい。
そう思っていた。
◇
おはるが食べ終えたオムライスの食器を洗いながら、リビングから聞こえる笑い声に耳を傾ける。
彼女は私の家のソファでくつろぐとTVに映った動画を見て楽しそうだ。
……こいつはいつ帰るんだろう。
缶チューハイ片手に顔を赤くして笑い声をあげる。
本来ならばそうなっているのは私のはずなのに。
今すすめているプロジェクトが終わったら――……。
毎日の残業も、こういったプライベートに侵食してくるやりとりも、メンターとしての役割もすべて終わるのだろうか。
「ねぇー、みくちゃんも一緒にみよーよぉ」
「……おはるもう遅いしそろそろおうちで寝たほうがいいよ」
「やだー」
今週はどれくらい残業したっけな。
明日は休み。お酒飲んでプライベートな平穏な時間を過ごしたいのに。
「今日はこのままみくちゃんち泊るー」
「本当に言ってるの?」
「泊るー。お布団貸してー」
ボン、ボン、ボン。
耳のすぐ傍で何かが爆発するような音が聞こえる。
「うち自分用のベッドしかないから」
「じゃー一緒に寝よー、あ、朝まで一緒にゲームでもいいよ」
私は、お酒飲んで、寝たいんだ。
ガシャン。
「え、みくちゃんどうしたの? コップ割れちゃってるよ」
割れたのはコップだけじゃない。
「みくちゃん? 泣いてる?」
おはるが駆け寄る。どうやら私は無意識に涙を流していたらしい。
たぶん、疲れがたまっていたせい。精神的疲労のせい。お酒のせい。
だから、つい口もすべらせてしまう。
「あのね、私もう辞めようと思ってるの」