11激務のあとには
もう何日事務所に泊まり込んでいるだろう。
何回か自宅に戻りはしたが、着替えや必要なものを持ってくるとまた事務所にとんぼ返りしていた。
深夜まで事務作業におわれ、日が昇ると進行仲のプロジェクトの打ち合わせや他事務所に足を運び。
そろそろ満身創痍だ。
事務作業中に寝落ちすることも増えたし、今も私は少しだけ横になろうと思ってソファに横になったが最期夢の中へと旅立ってしまった。
ごそ。ごそごそ。
服の上をなにかが蠢く。
ごそごそごそ。
うぅん、なんだ。猫か。犬か。
ごそごそごそ、もみもみもみ。
腹を揉むな。っていうか服の中に入ってくるな。
耳元には湿度の高い熱い吐息がかかる。
あぁ、犬かと思って私は寝返りを打つ。
犬が耳を舐めてきたので手で追い払う。これで引き下がってくれたと思ったが、今度は上に乗っかってくる犬。
事務所に大型犬を飼うなんて、兄もバカなことをするなぁと思う。
犬がまた服の中に手をいれてくる。
ばか、おっぱいを触るな。このエロ犬め。
耳に熱い吐息をかけるな。ブラジャーの中に手を突っ込むな。
……。
ていうか、事務所に犬いなくね?
え、なに。どういうこと。
あ、ちがう。これ夢だ。
「わぁ!」
「きゃああ!!!」
慌てて飛び起きる。
事務所内に犬などいない。リアルすぎた感覚に虫でも衣類の中に入ってきたのかと服を脱いで確認する。
良かった虫はいない。
だが、いきなり飛び起きた私の傍にはおはるがいた。
尻餅をついて目を点にしてあわあわとしているおはる。
「お、おはようおはる」
「おおおお、おはよう、みくちゃん」
「今すっげー変な夢みたわ」
「どどどどおど、どんな夢?」
「犬に耳舐められておっぱい揉まれる夢」
「へ、へ、へえええええ、し、しょんな夢みたんだぁぁぁ?」
「疲れてんのかな。うぅ、あれおはるいるってことは今日打ち合わせだっけ」
「ううう、うん、10時から打ち合わせって」
「あーあーー、あ、そうだっけ? いけない。ちょっとシャワーだけ浴びてこようかな」
「う、うん、いってらっしゃい」
ありがたいことに事務所の更衣室には何故かシャワーもある。
こういった泊まり込みのときは大変助かるので、特に考えていなかったが他の事務所にもシャワーなんてあるのだろうか。
数日着ていた衣類を脱ぐ。そろそろ臭いそうだ。
ため息が出るが、これを乗り越えれば――。乗り越えればどうなる?
頭からぬるま湯を被りながら考える。
そういえば最近は“退職”という思考が頭から抜け落ちていた。
最初、私は兄に辞めようかと告げていたが、最近は退職するほど嫌な職場でもないなと思い始めてすらいる。
確かに激務だ。客観的に見ればブラックかもしれないし、社長が辞めるなんてやべぇ会社だなと思う。
担当している子たちは当たり前に遅刻はするし、寝坊はするし、社会不適合もいいところだ。
だが、いいところもある。
なんだかんだプロジェクトは今のところ問題なく進行している。
おはるも遅刻はなくなったし、寝坊することもなくなった。今日だって打ち合わせ前にはちゃんと事務所に顔をだしていた。
「変わってんだなぁ、みんな」
部長だった兄は空いた穴を埋めるためとはいえ、現在は社長という肩書になった。
あれ、変わってないの私だけじゃね?
私だけなんも変わってなくね?
ぐらついたメンタルは一気に谷底に落ちていきそうだったので、シャワーからあがって意識を戻す。
「みくぢゃっっっ!」
シャワーからあがると、私の脱いだ衣類の臭いを嗅ぐおはるがいた。
「違うの、これは……これは……」
普段だったら『くちゃいからやめて!』とか『何してんのきもっ』とか思ったかもしれないが、今の私にはどちらも浮かばない。
むしろ、おはるはそんなに私のこと好きなんだなーって思う。
気持ちはわからなくない。
「ち、ちが、あの、これは、そのね」
「好きな人の匂い嗅ぎたくなるよねー、わかる」
「あっ、あっ、あっ」
何事もなかったように着替えて、ドライヤーをして。
私は打ち合わせのために印刷した資料を会議室へと運んで行った。
打ち合わせ中、おはるはずっとこちらをチラチラみては恥ずかしいような申し訳ないような顔をしていた。
可愛いなーと思う。そうだよね、服を嗅いでるところ見られるのは恥ずかしいよね。
打ち合わせが終わったら少しからかってやろう。
そう思いながら、私は手元の資料を読み上げた。
◇
お昼休憩は、外食する余裕も外に出る余裕もなくて食事は配送してもらった。
デスクの上で海藻サラダをもぐもぐする私、隣の席にはおはるが座っていておなじものを食べている。
「くさかったでしょ?」
「ん゛っっっ!?!?!」
噴き出すおはる。
「2、3日は着てたから」
「え、あ、あの、あのあのあのあのあ、あのね……」
「はぁー、色々落ち着いたら箱根でもいきたいね」
「う、うん、箱根、かぁ。いきたいね……」
「一緒いく?」
「うん、行きたい! 行きたい!」
事務所には誰もいない。
兄は外回りに出ているし、編集などをしてくれる社員やアルバイトは自宅で業務をしている。
事務所には、私とおはるだけ。
「おはる」
「な、なに?」
まだ匂いを嗅いでいたのをバレたことを引きずっているおはるはどうも言葉がしどろもどろだ。
これから私が言う言葉に、おはるはどう反応するだろうか。
想像するだけで楽しみだ。
「このプロジェクトが終わったらさ」
「うん」
「付き合おっか」
おはるは泡を吹いて倒れた。




