01退職しようかな
「辞めよっかなぁ」
タバコの煙を吐き出しながら、上司であり兄である将人の前で私はそんな言葉をつぶやいた。
兄は深くタバコを吸いこんだあとに煙で輪っかを作って吐き出している。
「とりあえず今のプロジェクトは終わらせろ。そのあとでまた話を聞いてやる」
喫煙所から兄が先に出て、私はもう一本タバコを吸ってから喫煙所を出た。
次の打ち合わせて使う資料を用意しながら時計に目をやる。
(そろそろ17時か)
17時からは私が担当するVtuberの子の一人が配信をはじめる予定だ。
念のため『そろそろ配信ですね。お願いします』とメッセージを送るが、既読はつかない。
「大丈夫かな、あの子」
つい口に出てしまう言葉。
私はマネージャーとして何人か請け負っているのだが、そのうちの一人に桜野おはるという子がいた。
今メッセージを打ったのもおはる宛てだ。
おはるはここ数日元気がない。
配信自体はしてくれているのだが、数か月前の配信と比べてみるとあからさまに覇気がなかった。
おはるはここ最近は登録者も伸びているし、スパチャもそこそこの額を叩きだしている。
いってしまえば会社の稼ぎ頭のひとつである。
(17時か……)
予想通り、配信ははじまらなかった。
あいかわらずメッセージは返事どころか、既読すらついていない。
SNSで公式アカウントをチェックしてみるが、そちらにも今日のことについての音沙汰はない。
さすがにこれはまずいだろうと今度は電話をしてみるが、繋がることはなかった。
「みくー、おはる配信してねぇぞー」
「わかってます。今確認してます」
離れのデスクから兄の声が飛んでくる。
再度電話してみるがやはり繋がらない。
とりあえずおはるの代わりにSNSで『本日の配信は中止させていただきます』と投稿する。
マネージャー権限として担当のVtuberのSNSはログインすることができる。
こういった事態や何かしらの対処が必要になったときようである。
いくら連絡してもシャットアウトされたようにスマホに返事も折り返しもない。
「はぁ……」
こうなったら仕方がないと、ジャケットとバッグを持って席を立つ。
ホワイトボードの橘美玖と書かれた欄に『外出中、直帰』と書くとオフィスをあとにした。
◇
マネージャーにメンター的な役割までやらせるなよと常々思う。
夕方の混雑する道路に車を走らせながら考える。
業界に入って思ったことだが、Vtuberの子たちは社会人としての経験が少ない子が多い。
それゆえに一般的な社会人としての常識が通用しないことに業界にはいって散々わからされた。
今日のおはるもそうだが――休むことに対してこちら側に一切連絡がなかったり、遅刻や早退なんて当たり前の状態になっている。
会社に連絡せずにSNSで勝手に「しばらく活動を休止させていただきます」なんていう子もいる。
この業界にはいって間もないが、Vtuberの闇を何度見せられたことだろう。
兄と私と担当の子で三者面談をした数も、もう両手の指では足りない。
「はぁー」
長く続くテールランプを見ながらタバコに火をつける。
そういえば最近タバコの本数が増えた。以前は一日一箱だったのに、今は一箱半は吸っている。
入社してそろそろ一年になるが、あまりに精神が疲弊している。
いつからか頭の中にぼんやりとあった『転職』という字が、今はくっきりと鮮明に浮かび上がっていた。
マネージャー権限として担当の子たちの合鍵も持たされていた。
万が一の場合を考えて持たされているものだが、使う機会は結構多い。
おはるのマンションに着き、エントランスで部屋番号を入力してインターホンを鳴らすが返事はない。
仕方なく持たされていた合鍵を使ってマンション内へと入っていく。
部屋の扉をノックしても呼び掛けても反応がなかったので、勝手におはるの部屋に入らせてもらった。
室内はおはるの精神状態を表すように散らかりまくっていた。
入って早々靴は乱雑に放ってあるし、玄関から続くキッチンまでは空き缶や空いたボトルが多い。
しばらくゴミを出していないのだろう、溜まったゴミ袋がいくつも放置されている。
それらを踏まないようにしながら寝室の扉を開ける。
寝室にも空き缶が散乱していて、ベッドの上には毛布にくるまったおはるがいた。
「おはるさん」
「……」
「大丈夫ですか?」
毛布が少し捲れておはるの顔が見える。
目の下にクマを残し、光を失った目。こちらの顔を認識するとまた毛布に包まれて視界を閉ざす。
「大丈夫じゃない。おはるもう配信したくない」
「何かありましたか?」
「もう無理! 笑いたくもないことで笑って、キャラ被ってリスナーに媚びたくない! もうおはる配信したくない!」
ベッドの傍に腰を降ろし、おはるのことを見守る。
おはるの気持ちはわからないでもない。だが、おはるは会社に所属する身である。できれば勝手な行動は慎んでほしいのだが――それをダイレクトに伝えてしまえば、おはるのメンタルがさらに落ちるのは目に見えている。
「おはるさんわかりました。とりあえず今日の配信はお休みしましょう。おはるさんが落ち着いたらまた配信しましょう」
「もうやだ! 配信したくない」
このクソガキが、と喉元までこみあげてきたがグッと飲み込む。
思いっきり吐き出したいため息すら飲み込んで、私は立ち上がる。
とりあえずこの環境は本人にもよくないと思い、散らばった空き缶や空き瓶をゴミ袋に詰め込み始める。
「そんなことしなくていいから」
と毛布の中から声がするが、構わずゴミをまとめる。
こんな環境だと余計にメンタルがやられてしまう、と私は思う。
ある程度まとまると今度はそれらをゴミ収集所へと運ぶ。一回では運びきることができず、何回か往復すると足がパンパンになる。
だが、これも仕事のうちだと無理やり言い聞かせてなんとかゴミはある程度片付けることができた。
「おはるさんちゃんとご飯食べてますか?」
毛布から白い腕が出てくると、テーブルの上を指さす。
プラスチックの容器と割りばしが置いてあるが、数日間放置されていたのか茶色いカピカピしたものが付着している。
「今日はごはんたべましたか?」
「食べてない。いらない」
「ちゃんと食べないと動けるものも動けなくなりますよ」
「いいもん、このまま動けなくなっても」
「……ちょっと冷蔵庫見ますね」
確か以前の配信で実家から大量の野菜が届いた、なんて言っていた気がする。
冷蔵庫には手つかずの野菜がたっぷりと収納されており、冷凍庫にはカチコチになったお肉もある。
腕まくりをしてそれら食材をキッチンに並べる。
「何するの?」
毛布を被ったままのおはるがキッチンまで出てきた。
「ごはんつくりますよ」
「じゃぁ、まってる」
毛布を脱ぎ捨てると小柄な姫カット少女が姿を露わにする。
ワンピースっぽいパジャマ一枚羽織った彼女は傍にあったテーブル席に腰かけると顔を突っ伏してこちらを見つめている。
おはるは、彼女はまだ若い。確か20を少し過ぎたくらいだった気がする。
歳はそこまで離れていないはずだが、なんだか娘を持ったような気になってしまう。
キッチンに立つ自分はママで、食事をまつおはるは娘。世の中のママさん方はみんなこんな感じなのだろうかと考える。
「なにつくってるの?」
「人参とジャガイモと豚肉があったので、カレーを作ろうかなって」
「えー、おはる人参嫌い」
自分は少しばかり格闘技の経験があるのだが、一度おはるにはリングに立って欲しいなと思う。
そしたら容赦なくぶっ飛ばせるのに。
スパイシーな匂いが漂って私の腹も減ってくる。
そういえば今日はお昼ご飯を食べていないことを思い出す。というかここ最近ちゃんとした食事を摂っていないのは私もだ。
朝はもともと食べないし、昼はコンビニか外食、夜はお酒を飲んで終わり。
「ねぇねぇ、もうできた?」
後ろからのぞきこむおはる。
メンタルが病んでなくてちゃんとした社会常識さえ身に着けてくれれば可愛い子なのに。
できあがったカレーをお皿によそう。
「みくちゃんは食べないの?」
「私はおうちに帰って食べます」
「えー、いっぱいあるじゃん。みくちゃんも食べなよ」
確かに一人分ではない量を作ってしまった。鍋にはまだ大量のカレーがあるし、今日明日で消化しきれない気はする。
だが、どうせならば家に帰ってビールでもやりながら、一人で動画でも見ながら食べたい気もする。
「一緒にたべようよ。みくちゃんどうせ今日直帰するでしょ」
おはるがお皿をもう一つ用意するとご飯とカレーをぶっかけてテーブルに置く。
対面の席におはるが座ると、ニコニコしながら私の着席を待っている。
「……今日だけですよ」
「えへへ。誰かと一緒にご飯たべるのひさしぶりだー」
担当の子とこういったことはできるならば避けたいと個人的に思っている。
何故なら私たちはあくまでVtuber(の中の人)とそのマネージャーだ。友達ではない。
あまり距離を詰めすぎては私的な感情が生まれてしまう。
できるならばビジネスライクな関係のままでいたい。
「はい、みくちゃんあーん」
「自分で食べられますから」
「いいじゃん、いいじゃん、ほらあーん」
そういっておはるは人参を乗せたスプーンを口へと運ぶ。
もぐ。我ながら美味しい。
「人参も食べてくださいね」
「みくちゃんってママっぽいよね」
「……私もさっきそう思いました」
「みくママじゃーん」
ママだったらもっとちゃんと躾けてやれるのにな。
でも――笑顔でカレーを食べてくれるおはるを見て、少し安心した。
てっきりメンタルが完全につぶれてしまったのかと思ったが、そうではないようだ。
この調子ならしばらく休めば、また配信を再開してくれる――はず。
「ごちそうさま。みくちゃんご飯つくるの上手だね」
「普通ですよ」
「えー、おはる料理できないもん。またみくちゃんの料理たべたーい」
「ちゃんと配信してくれたら、また作ってあげますよ」
「……じゃぁ配信しようかな」
「していただけたら嬉しいです」
「わかった。じゃぁ来週からする」
「ありがとうございます。じゃぁ来週は今日できなかったぶんの配信をお願いしますね」
「うん、わかった」
空になったお皿をこちらによこす。おかわりが欲しいということなのだろう。
もう一度カレーをよそって差し出すと、おはるは笑顔のままカレーを喰らっている。
あぁ、本当に。ちゃんとしてくれれば可愛い子なのに。
「ママ―」
「ママじゃありません。なんですか」
「お風呂入った後、髪乾かしてほしいなぁー」
「帰りますね」
はぁー、やっぱりぶっ飛ばしてぇなコイツ。