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18話 そして彼女が駆けていく

 体育祭、当日。

 開催場所は高校のグラウンドではなく、草薙総合運動場だ。

 その運動場は大規模なスポーツ施設であり、駿河東の全校生徒を収容しても余裕のある座席数に、陸上の中継で見たことのあるような一周四〇〇メートルのトラックが設置されている。


 当日の俺は、愛海とともに忙しく過ごしていた。

 体育委員の仕事としてクラスの誘導、各種目の案内、競技参加以外も休む暇がなかった。


 気づけば時間はあっという間に過ぎて、後半戦もクライマックスである。


 現在はクラス対抗リレー前の最後の競技、一五〇〇メートル走の真っ最中だ。


 俺と愛海は一五〇〇メートル走の参加者を案内し終わり、クラスで指定された座席のほうへと移動していた。


 ポニーテールにまとめた髪をゆらしながら、愛海がタオルで汗を拭う。

 まだ六月前半だが、日差しは強く、気温は三〇度前後を行き来している。

「はぁ~疲れたぁ……」

「だな、出番は次だろ。少しは休んどけよ」


 うん、と頷きつつ、愛海は指を動かして何かを数える素振りをする。

「何してるんだ?」

「ポイントの計算だよ、ほら各種目の順位で決まるでしょ、優勝が」


 競技会のような体育祭だが、一応、運動会のような側面もある。各種目ごとにポイントが決まっていて、そのポイントの合計で各学年のクラスごとの順位が決まるのだ。


 体育委員である俺と愛海はスマホで自分のクラスのポイントを記録しつつ、他のクラスのポイントも確認できたので、現在までのポイント数を確認する。


 俺たちのクラスの順位は三位。別のクラスが一位だ。

 それを踏まえて、クラス対抗リレーはポイントがほかの競技の二倍あることを加味してみる。

「……今一五〇〇を走ってる凛太が三番以内にゴールすれば、あるな……学年総合優勝」

「……すごいすごい! じゃあ応援しなきゃだね!」

 

 愛海と一緒にクラス席へ向かう。

 クラスメイトたちは観覧席から一五〇〇メートル走に出場している凛太を応援している。凛太の姿を探す。クラスTシャツを着用しているので、すぐにわかった。

 凛太は全体の真ん中くらいを走っていた。前に五人はいる。


「三位以上になるのは難しそうだな……」

「そうでもないよ」

 白崎さんが俺たちに気づき、近くに来ていた。

「そうなの?」

 愛海が首をかしげる。


「競技自体は全学年で同時にやってるから、望月凛太は一年の中なら、たぶん二位」

 白崎さんは「私もポイントの計算してたから」とトラックのほうへ視線を向けた。

 俺と愛海は顔を見合わせる。

「ホントに優勝できるかもね」

「……そうだな」

 

 俺たちもクラス席の最前列に向かう。

 みんなと一緒に凛太を応援する。

 凛太はぜえぜえと死にそうな顔で走っているが、みんなの声援に気づいて「よっしゃぁ……!!」とヘロヘロになりながら片手を突き上げた。そして余計な体力使ってんじゃねえ! とクラス中から怒られていた。


「まったくあいつは……」

「でも、望月くんらしいねっ」

 愛海はくすくす笑い、それから両拳を握る。

「でも、次はあたしの番だから、気を引き締めないと……」


 その時、おお、と歓声があがる。

 振り向いてみると、ラスト一周になったランナーが一五〇〇メートル走中とは思えないスピードで走り始めた。

 もともと先頭を走っていたので、後続との差がみるみる開いていく。

 速すぎる。誰だあの生物は。


 唖然としていると、キャーとか、ギャーとか悲鳴と嬌声の中間くらいの歓声。

 咲花くーん! 優馬―! という声が上がる。

 あそこだけアイドルのライブ会場だ。


「優馬だ……」

「そうだな……」


 先頭を爆走しているのは、愛海の従兄弟である優馬先輩だった。

 白いキラキラ輝く歯。アイドルみたいな顔が真剣に前を向いていて、汗を拭いながらゴールに向かっている。

 

 絵になるな。

 一生あんな風にはなれる気がしない。

 

 俺は凛太と先輩の両方を応援している愛海を見上げる。

 隣に立っているこいつも、それくらいのポテンシャルがある。

 顔はテレビでもユーチューブでも見たことないくらい整っているし、背も高く、プロポーションも抜群。性格も、幼馴染贔屓なのかもしれないが、悪くない。


 でもそれよりも一番は、その在り方のほう。

 前を向いて進んでいく考え方とか、そういう話だ。


 こんな人間の隣に立てる人間じゃないと、今でも俺は思う。

 だから、自分がこのままじゃいけないとも、思う。


 わがままが許されるなら、せっかく隣に立っていられる今だから、俺は変わりたい。


 だから声を出して、俺は一五〇〇メートル走を応援する。

 高校入学前だったら、きっとスマホを見てクラスメイトの応援をしようなんて考えなかったけれど。

 少しでも憧れの人間と同じようになれるための、俺の小さな一歩。


 その後、あっという間に優馬先輩がゴールして、その後に後続が続く。


 凛太も白目を向きながら気迫でゴールした。


「三位だってさ」

 白崎さんが指を三本立てる。


 俺と愛海はスマホを確認した。ポイントの合計点を改めて確認する。

「じゃあ、クラス対抗リレーで一位を取れば……」

「総合優勝……だねっ!」


 クラスのみんなに状況を伝える。「ありえるんじゃない!?」「これは激アツ!!」と、盛り上がる。

 へろへろで戻ってきた凛太が「あとは……まかせたぜぇ……」といって、みんなに頭を叩かれる。


『つづきまして、最後の種目、クラス対抗リレーです。出場者はトラックの中央に集まってください』

 アナウンスが流れる。


「よっしゃあ! 優勝してやろうぜ!」

 ツンツン頭を今日は一段と尖らせて固めた渡辺が発破をかけつつトラックへと向かっていく。おお! と気合を入れて、残りの出場メンバーもトラックへ向かう。

 それを「頑張れ!」「よし! 応援だ!」とみんなで見送る。


 愛海も頬をぱんぱんと自分で叩いてから、深呼吸する。

「……じゃあ、行ってくるね!」

 彼女がこちらを見る。


 なんて声をかければいいか、それは決まっている。

 この元幼馴染は、俺の前では堂々と、頼りになるかっこいい奴でいようとしてくれている。

 だったら俺は、それを信じる。

 俺が頼りない奴だとか、自分が恥ずかしいからとかは捨てて、憧れの元幼馴染を見る目で、素直に口を動かせばいい。


「頑張れ! 応援するから!」


 伝える。本心で。

 愛海はぱちくりとまばたきする。その目が輝き、満面の笑みでうなずく。


「うん! 任せて!」

 そして彼女が駆けていく。


 トラックの中央で、クラス対抗リレーに出場する生徒たちが整列した。

 リレーは男女八名でトラックを二周する。

 ひとり一〇〇メートルの八〇〇メートルリレーだ。有利不利に大きく影響してしまう陸上部のメンバーは出場していないので、どこのクラスが有力なのかは未知数である。

 一年生は全部で六クラス。一着でゴールできれば総合優勝だ。


 やがて、スタートラインに一番走者が並ぶ。

 第一走者は渡辺だ。

 他のクラスも最初はほぼ男子である。


 各クラスの声援が大きくなる。

 みんな、自分のクラスを応援している。


 渡辺が赤いリレーのバトンを握りしめる。

 体育教師である岩鉄がスタートライン前でピストルを構える。

 空気が張り詰める。


 静寂。


 ピストルの空砲が、パンッ! と乾いた音を響かせた。

 スタートした。


 走者がダッシュする。

 頭一つ抜けて速いのは、渡辺だった。

 うちのクラスは、渡辺がクラス内で最速である。ぐんぐんスピードを上げる。そして他のクラスを引き離していく。


 そして渡辺が直線を走りきり、カーブに差し掛かるところで、渡辺からクラスの女子の中で、三番目に足が速い女子にバトンが渡る。

 第二走者はどこのクラスも女子が多かった。リードを維持し、うちのクラスが単独トップに躍り出る。


 みんなから歓声が上がる。そしてみんなが俺の肩を叩く。

「作戦成功じゃん!」「一位、取れるんじゃね!?」「やったな、高橋!」と盛り上がる。

 走者の順番を考えたのは俺だった。


 たしかに、ここまでは順調だ。

 しかし当然でもある。

 このクラスでも足の速い男女を最初に持ってきたからだ。


 普通のリレーだったら、スピードの速い人間を後に持ってくる。

 勝負はここからだった。


 続く第三走者、うちのクラスは男子が走る。

 他のクラスは男女まばらである。

 この時点で俺は計算する。


 恐らく、ここで女子が走るクラスには勝てる。三つの組が女子走者なので、ライバルは残り半分だ。

 というのもバックストレートは直線。直線では走者のスピードがタイムの差に如実に現れるからだ。


 ここでうちのクラスで二番目の足の速い男子でさらにリードを稼ぐ。


 直線で距離を離し、カーブでは離したリードを維持することに徹する、それが俺の考えた作戦だった。


 狙い通り、バックストレートもうちのクラスが駆け抜ける。

 依然、一位。リードをさらに稼いだ。

 このまま逃げ切れるだろうか? あとは走ってくれるみんなに委ねるだけだ。

 

 これで、他クラスと比較しても足が速いだろうという人物は、全員走り終えた。

 あとはいかにリードを維持して、第八走者である愛海につなぐかだ。


 第四走者にバトンが渡る。

 リードをなんとか維持する。


 第五走者、後続とやや距離が縮まってしまう。


 第六走者も、さらに縮まる。

 

 二位と三位のクラスが、行け! と盛り上がる。

 じわじわとリードが失われていく。他のクラスの奴らは、ここからさらに速い人間が出てくる。


 残りは第七走者と第八走者のアンカーだけ。

 うちのクラスは、残りを女子が走る。

 他のクラスは全員男子だ。


 リードの間隔は、走者が二人分程度。

 いくら愛海が速いとはいえ、これ以上迫られると、足の速い男子相手では厳しい。


 第七走者にバトンが渡る。

 走るのは白崎さんだ。

 クラスで二番目に速い女子。


 白崎さんはプラチナブロンドの髪をお団子にしていて、美しいフォームでカーブのギリギリを攻める。


 後ろからすぐに男子がロケットスタートする。


 距離が、みるみる縮まる。

 速いとはいえ、恐らくはタイムに一秒以上の差がある男子相手。

 後続の二クラスの内、青いバトンを手にしている男子が凄まじい勢いで追い上げてくる。


 俺が予想していたより、すこぶる速い。

 赤いバトンを持つ俺たちのクラスと、青いバトンを持って追い上げてくるクラスの一騎打ちだ。

 

 二人分あったリードの間隔は、一人分になる。

 速い。

 頑張れ! とみんなで声援を送る。


 最終カーブを抜ける。

 リードの間隔は、走者が〇・五人分になっていた。


 でも、白崎さんは抜かせなかった。

 渡辺より速かったかもしれない走者から、わずかだがリードを守り切った。


 白崎さんがバトンを渡す。

「愛海!」飛び込むような勢い。

 対抗リレーが決まってから、クラスで何度も練習したバトンパスの練習通り、白崎さんから愛海にバトンが渡る。


「任せて!!」

 愛海が、走り出す。

 わずかなリード。

 手を伸ばせば、肩がつかめる程度のアドバンテージ。


 でもアドバンテージは残っている。

 守りきれば、勝てる。


 ただし、相手は男子だ。リレーのアンカーで、恐らく他クラス最速の男子だ。


 健闘したけど、絶望的。

 

 クラスのみんなの応援の声のトーンが小さくなる。

 縋るような視線で疾走する愛海を目で追う。


 猛追する男子はやはり速い。

 

 隣のクラスの歓声が大きくなる。


 カーブでは、後ろを猛追してくるアンカーとの差は、縮まらなかった。

 代わりに、愛海の背後にぴったりと張り付いている。


 カーブで抜くのは余分な距離を走ることになる。


 最後の直線で、一気にまくりにくるはずだ。


 俺は愛海を目で追う。

 前を向いて走る愛海。大きな身長を目一杯に活かした大きなストライド。

 

 俺は応援席から、一歩前に出る。

 息を吸い込んで、叫ぶ。

「頑張れ! 愛海ッ!!」

 

 愛海が走る。

 笑っていた。

 彼女のポニーテールが、疾風のようにたなびく。

 

 他のクラスからどよめきが起こる。あの子、めちゃくちゃ速くない? と驚きの声。

 当然だ。走ってるのは、愛海なんだ、と俺は誇らしい気持ちになる。


 それでも。

 男子のほうが速い。

 じりじりと愛海の横に、並びかけている。


 だが、愛海はまったく諦めていなかった。

 ペースも落ちない。隣に並走する男子に目もくれない。

 ただ、目の前のゴールだけを見ている。


 差は、もうない。

 追いつかれた。

 横一直線。

 

 ゴールテープ直前、どっちが先かわからない。


 愛海が飛び込むようにテープに向かってダイブする。

 隣のクラスのアンカーも同様だ。

 

 ただ、最後の最後。

 予想もしていない、アドバンテージが愛海にはあった。

 愛海にはあって、足の速い男子にないもの。


 胸ひとつぶん。


 愛海は、男子にはない大きなそれで、ゴールテープを先に割るのだった。

 




挿絵(By みてみん)

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