混沌の世界にコスモスは揺れる
その秩序によって、僕の世界は崩壊した。
行きつけの喫茶店で、いつものように渋いコーヒーを飲んでいる時のことだった。
窓辺に置かれた横長の植木鉢に、コスモスが植えてあった。くすんだ空模様の中、窓からわずかに届く日の光を受け取ろうと、花びらを目一杯広げているように見える。
「可愛らしいピンクのコスモスですね、最近置いたんですか」
「ピンク? あれは白のコスモスですよ」
近くにいた女性店員さんが、奇妙な返答をした。
「白……でしょうか。僕にはピンクっぽく見えますけど」
店員さんはますます怪訝な顔をしたので、僕はそのまま言葉を引っ込めてしまった。
後日、再び喫茶店に訪れると、またしても窓辺に目をひくものがあった。
「すごい、今度は真っ赤なコスモスがある」
独り言のように感想を漏らすと、他のお客さんが不思議そうな顔で僕を見た。その訝しむ視線は、僕の胸に絶え間なく靄を注いでくる。
席についたあと、恐る恐る店員さんに聞いてみた。
「あの、あそこのコスモス、何色に見えますか?」
「えっ、と。白、ですが……」
その翌日、喫茶店の扉を開けると、店の中がコスモスだらけになっていた。
小振りな植木鉢に植えられたコスモスが、疎らな間隔でテーブル椅子の上に置かれている。カウンター側にもいくつか点在していた。その中でも一際目立つ色のコスモスがあるので、僕は声をかけてみることにした。
「チョコみたいな、素敵な色合いですね」
私は白いコスモスですよ。
そんな返事を期待してみたけれど、コスモスは何も言わなかった。このままではコーヒーも飲めないので、僕はそそくさとコスモスの園を後にした。
眠りにつく前に、僕は思った。今までの世界はどこへ行ったのか。この世の秩序は、いったい誰が保証してくれるのか。目が覚めたら昨日と同じ世界が続いているはずだというのは、単なる思い込みだったのか。
ある朝に目が覚めると、僕以外の、世界中の人間がコスモスになっていた。
最初は驚いたけど、こんな世界でも過ごしてみると案外悪くない。通勤電車も空いている。上司の叱責に頭を悩ますこともなかった。
しかし、寂しい。もはやこの世界でコスモスの色は、何の意味も成さない。それは白だよ、と言ってくれる人もいない。
世界がコスモスに包まれたまま、何年も時が過ぎた。
空虚な一日を過ごして寝床につく時、僕は願う。
目が覚めたら、すべてが元通りになっているか、あるいは――
僕もコスモスになっていることを。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。