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月影映る  作者: 林伯林
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 ガイキはがっくりと膝をついた。


 額に汗がにじみ、息が切れている。


 「お見事でした」


 静音はガイキの背中を軽くたたいた。


 荒地からは魔影は消え、地の蠢きもおさまり、元の静けさを取り戻していた。


 静音は山脈の方を見やった。


 『魔の湧く山』の頂は一番高い峰だったが、大規模な崩落でそこだけへこんで見え、そこに雲が湧いていた。


 「湿った空気がついに山を越えますかね。あそこだけ植生が変わるかもしれませんね」


 静音は言った。


 目の前に学者が現れた。

 彼もまた青い顔をしていた。

 「大丈夫ですか?」

 今日は何度も転移を繰り返している。魔力はほぼ尽きかけているはずだ。

 「あまり長距離でなければ、そこそこ大丈夫なんだよ」

 学者は無理に笑ったようにも見えた。

 「お茶でも入れますか」

 静音の言葉に流石に固まった学者だった。



 静音はドーム型の結界を張ると、上部をグレーにして日陰を作った。

 土魔法で結界周辺を平らにならした。

 そして収納空間からテーブルと椅子を出した。

 学者は疲労を忘れたように目を輝かせた。

 「セラ、それ空間魔法だね」

 「お座りください」

 静音は答えず、茶器を出し、茶葉を出し、ポットに水を入れて見る間に沸騰させた。

 「お疲れでしょうから、甘い物でもどうぞ」

 皿の上にクッキーまで出して勧めた。

 「ありがとう」

 学者はいそいそと椅子に腰かけ、ガイキはのろのろと立ち上がって剣を抜こうとした。

 「もう少しそのままの方がいいですよ」

 静音は言った。

 ガイキは力を入れても抜けない剣に途方に暮れたような顔をした。

 「その剣は『封印』の剣なので、そうやって突き立てておくと、もし魔影が残っていても出てこられないでしょう」

 「手元にないと困るんだが」

 ガイキは仕方なく剣の柄から手を離してよろよろと歩み寄り、椅子に崩れるように腰を下ろした。

 「一晩放っておけば、消えてなくなると思いますよ。残りかすですから」

 茶を入れて二人の前へ置く。

 フルーティな香りが漂って、皆ほっと息をついた。

 「では今晩はここで野営だね」

 「そうなりますかね」

 静音は左腕の上腕部をぐっと押さえた。

 「まあ私は、いる必要ないと思いますけど。浄化も終わりましたし」

 右手を滑らせると、袖から水晶らしきもので出来た腕輪が出てきた。

 「それは?」

 学者は興味を引かれて薄紫の腕輪を見る。

 「暁の神官に渡されたものです」

 「へえ。見せてもらっても?」

 「どうぞ」

 静音は学者へ無造作に手渡した。

 手に取った学者は、矯めつ眇めつしてみたが、単なる水晶の装身具にしか見えなかった。

 「それを嵌めていると、異世界に飛ばされて理不尽な目に合わされるかもしれませんよ」

 静音が真面目な顔で言うと、学者は目をしばたたかせた。

 「冗談でしょ?」

 「いいえ」

 静音はにこりともせず答えた。

 「いやいや、まさか」

 学者は首を振って、それを手首へ通そうとした。

 しかし、何かに反発するように押し返されて指先さえ通らなかった。

 「魔導具だねこれ。君専用らしい」

 「冗談と言いながら嵌めようとした所を見ると、好奇心に駆られましたか」

 静音は溜息をつきながら、学者の手から腕輪を取った。

 「だって、異世界行けるかもしれないんでしょ?」

 学者は笑い、静音は首を振った。

 そして、ふと思い出したように収納空間から二冊の本を出した。

 「お返しします。ありがとうございました」

 渡り人の資料と『覚書』だった。

 「うっかりお借りしたまま出てきてしまいまして。済みませんでした」

 「いや。少しはお役にたったかな」

 学者は受け取ると、腰のバッグへぽいと放り込んだ。

 静音はそれが魔導具であると気が付いた。

 「色々お持ちのようですね。あの人達には当然気づかれていないのですよね」

 「うん。ばれたら危険なものはね。殆ど塔に引きこもってるしね」

 荒野に盛大に立てた障壁を見やりながら学者は言った。

 「王子と親しげだったではないですか」

 「そりゃ、王族はお得意様だから」

 「ああ、そういえば魔導具制作なさるんでしたね」

 静音は考え込むような顔をした。

 「何か作ってほしい物ある?でも君には必要ないと思うけどな」

 学者が言うと、静音は頷いた。

 「そうですね。今のところ必要なものが思いつきません」

 「今晩野宿するとしてさ、明日からどうするの?」

 静音は笑う。

 「どこか適当な所へ行きますよ。あなたの好奇心に付き合う気はありません」

 「そうか……残念だな」

 「戻りませんよ。元の世界に帰すなんて大嘘ついても無駄ですからね」

 はっと顔を上げたのは学者だけではなくガイキもだった。

 「知ってたの?」

 学者はしらを切る気はなかったらしい。

 「最初から疑ってましたけどね」

 静音は漸く自分の茶に手を付けた。喉がこくりと動く。

 「暁の神官は「今は無理」って言ったんだよね?」

 学者の確認するような言葉に静音はちらと腕輪を見やった。

 「いいえ。実ははっきり「出来ない」と言われました」

 学者は言葉に詰まった。

 「正確に言えば、こちらから送り出す事だけなら可能だそうです。ただ、受け取る方の世界の制御までは出来ないので、どうなるか保証できないそうです。時間も場所もどこになるか判らない、次元を超える際に身体が無事であるかどうかも判らないと」

 腕輪をつつきながら静音はごく軽く言った。

 「神の使いが出来ない事を、たかが人間が出来るとよく言ったものです」

 無論だ、と言った宰相補佐の顔を思い出す。

 顔色も変えずに言い放ったが、それでも疑うように見てしまった為、遠征を急がされてしまったように思う。


 頬杖をついて、山の方を見やる。

 へこんだ場所からはますます雲が湧いて斜面を流れ落ちているようにも見える。

 あそこだけ雨が降っているのかもしれない、と思った。


 「疲れましたね。夕飯まで少し休みます」


 静音は立ち上がった。

 テーブルの上にふわりと透明な何かが被せられた。

 「この中にある限りお茶は適度な温度に保たれます。お菓子も置いておきます」


 結界の中に扉が浮いていた。

 静音は振り返った。

 「この結界はあなた方二人は出入り可能です。テントは中に張るなり外に張るなりお好きにどうぞ」

 そういうと、扉を開けて、するりと向こう側へ消えてしまった。

 閉じられた扉も掻き消えた。


 「あ~」

 学者は間抜けな声を上げた。

 「完全に空間魔法を使いこなしてるよね、彼女。中に入れてくれないかなあ」

 ガイキはそれには答えず、うっそり立ち上がって、すぐそばに例のテントを展開した。

 「俺も一旦寝る」

 そう言って中へ入ってしまい、学者は一人取り残された。

 「ええ、寂しいじゃないか」

 ぶつぶつ言いながらも、自分もテントを広げた。

 そして中へ入って寝台に横になると、そのまますとんと寝入ってしまった。

 静音の見せる魔法に興奮状態だったが、魔力は枯渇寸前だったのだ。



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