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結局、静音は次の野営地まで魔力でがんがん身体をケアしながら歩ききった。
筋力だけでなく、心臓の動きや血液の流れ、呼吸までコントロールした。
そうするうち、疲労のせいか、こちらの世界にきてからおさまっていた持病の症状が出始めている事に気が付いた。
薬はもうない。魔力で何とかするしかない。
固形食を薄い野菜スープで無理やり流し込んで食事を済ませ、早々にテントに潜り込んだ。
従者に向かって
「絶対起こさないで」
と珍しく言い置いて。
目を閉じて、己の身体をスキャンし、異常がない事をまず確認する。
静音の持病は免疫系の病なので、運動機能的には本来問題が無い。薬の影響を除けば。
後は自己抗体を攻撃する。ひたすら攻撃する。
造血幹細胞を刺激して赤血球を作る、作る。
魔法はイメージが全てという話もある。
ひたすら静音は念じ続けた。
一方静音が体調を崩したと聞いた王子は、流石に自分たちの色々と整えられたテントへ連れてくるか、貴族令嬢たちのテントを提供させるかしようとしたが、学者とリシュリアに止められた。
「余計に体調を崩します。特に後者は間違いなく面倒を引き起こします」
「そこまでか?」
王子は全体を見てはいても、静音の感情や令嬢たちとの軋轢等は些末な事と「見下して」いて、「些事に拘るのは非効率」と考えている。
大事な神子が体調を崩したのなら、身体を快適に休ませられる寝床を用意するのが最上と判断しただけの話だったが、学者だけでなく将来の片腕と見なしているリシュリアにまで止められて、いささか面食らった。
「とにかく、彼女は「一人にしておいてくれ」「絶対に起こすな」と言って眠っています。本人がそう言っている以上様子を見ましょう」
自分以上に人に無頓着と思っていた学者が否定してくるのが気に入らない。
「私の提案はそんなに的外れか?」
多少ふてくされて王子が言うと、リシュリアと学者が顔を見合わせた。
「殿下、セラはこの世界の人間をだれも信用していません」
「知っている」
「体調が悪いのに、敵とみなした人間が傍にいて心安らかに眠れますか?まして後者は何をするか判らない人間だけがいるんです」
「何をするというのだ。命までとられることはあるまい?」
「命さえ無事なら良いというわけではありませんでしょう」
学者はちらりとリシュリアを見た。
リシュリアは溜息をつきながら傍らの書類入れから数枚紙を引っ張り出した。
「歩いていると頭から水をかけられる」
リシュリアは紙を見ながら読み上げた。
「は?」
「足を引っかけられる、
赤ワインをかけられる、
馬の糞尿をかけられる」
「ちょっと待て」
「食事のトレイをひっくり返される、
スープに下剤を入れられる、
スープに異物を入れられる、
荷台の荷物を隠される、
中の物を盗まれる、
中の物を壊される」
「待てと言っている、一体何のことだ」
「高貴な貴族令嬢たちの所業です」
「……そうか」
浄化の神子は至高の存在とされている。
少なくとも浄化が終わるまではその身に危害を加えることはあるまいと王子は甘く考えていた。
「普通の少女なら病んでいますよ」
学者は言った。
「セラは普通じゃないですけどもね」
実際は静音は海千山千の五十路女である。
学校のような逃げ場のない狭い世界で孤立して思い悩む少女のメンタルは遠い彼方だ。
そこが駄目ならさっさと見切りをつけ、別の場所へ移動する。
無駄に頑張らない。
盗まれたり、壊されたりしたものも、アンナが用意してくれた手鏡や化粧道具や装飾品だった。確かに高価なものだし、これがこの世界の少女だったらショックを受けただろうが、静音にとってはさして惜しいものでもなかった。
なくして困るものは最初から通勤バッグに入れて肌身離さず持ち歩いていた。
静音の通勤バッグはA4七センチのチューブファイルが二冊は楽に入るナイロンの大型バッグで、購入時に「一泊くらいの荷物は入りますよ」と百貨店の売り子に言わしめた代物だ。
打ち合わせで客先へ資料など持ち込む為にそのサイズにしたのだが、異世界の遠征でも役に立っている。良い買い物をしたとひそかに思っている。
そんなことはこの三人には知る由もない事であったが。
「もしや褒賞をいらないと言ったのは」
「ああ、もしかしたら、どうせ貰っても盗られるか壊されると思ったのかもしれませんね」
誤解である。
いや、一瞬そう考えもしたが、本当に「なにもいらなかった」だけの話だったのだが。
三人は深刻な顔をして考え込んだ。
大いなる勘違いをしたようであった。
一夜明け、早朝静音はすっきりと目を覚ました。
身体を魔力でスキャンし、問題が無い事を確認する。貧血もおさまった。
ほっとして起き上がるとテントの外を覗き見た。
昨夜消した筈のテント前の小さな焚火が弱弱しく炎を上げ、傍には従者が座っていた。
「おはようございます」
静音は囁くように声をかける。
「川まで行ってきます」
「体調はどうですか?」
茂みに向かう静音の背中に従者は問いかけた。
「一晩寝たらよくなりました」
にっこり笑って答えると、ささっと茂みの中に分け入った。
朝一のお花摘みは結界が不可欠だ。
土魔法で地面を掘り返す。
それが終わると川へ向かって歩いた。
洗浄魔法で全身清める事は出来るが川の冷たい水で顔だけでも洗いたかった。
野営地は静かだった。
見張り番はいるが騎士たちが起きだすには少し早い。
川の水は澄みきっていて、水底まで綺麗に見通すことが出来た。
日本にいると、余程山の中にでも行かない限りここまで透明度のある川もあまりないだろう。
とはいえ、なんとなく、手にすくった水を浄化する静音だった。
スキャンしてみた所問題ないようではあったが、現代日本に生きていた身としては大腸菌やエキノコックスやと色々頭を過ぎる。
日本で生まれた時から刷り込まれてきた衛生観念では、こちらの世界はなかなかに生きづらい。魔法が無ければ今頃は参っていただろう。
静音が下剤や異物混入を避けられたのも、手渡される食べ物をまず最初にスキャンする癖がついていたからだった。
最初に発見した時は、思わず手渡してきた相手の顔を二度見したが、騎士の一人であったことと、本人が平然としていた為、隣で器を渡していた人物へ目をやった。
青い顔をした少女だった。
多少手も震えていたように思う。
この器を受け取ってやらねば後でこの子が酷い目にあうのだろうと思えば、黙っているしかなかった。
勿論、そのまま口にするわけにもいかず、テント前でうっかりを装って器を落とした。
それを不調法とまた誰ぞに皮肉られた気もしたが、誰だったかは覚えていない。普段は寄り付きもしないのに、何故その時だけ近くにいたものか。
じっと静音が目を合わせると、娘ははたと口を閉ざした。
見つめ続けると、うろたえたように周囲をきょろきょろしはじめ、やがて何か捨て台詞を吐いて戻って行った。
「代わりをお持ちしましょう」
いつの間にか従者がひっくり返った木の器を拾い上げていた。
「いえ、もういいです。あまりお腹も空いていませんから」
器を受け取ろうと手を伸ばす。
「こちらは私が洗って返却しておきます」
彼は器を持った手を引いた。そう言うので任せる事にした。
器の底に溶けきれない何かの粉がある事に気が付いたのかどうだったのか。
そのことがあってから、静音は私物が入っているトランクの中から必要なものを空間魔法を駆使してどうにかこしらえた収納空間へ移し始めた。
本来ならもう少し慣れてから行うつもりだったのに。
最初は着替えのワンピースを畳んで入れた。
手提げかばん程度の容量を作り出すのが精一杯だったからだ。
格納してどの程度維持できるのかも試さねばならなかった。
その時に初めて畳んだ黒いワンピースの中に硬貨の入った小さな袋がくるまれている事に気が付いた。
一瞬、嫌がらせ娘達の誰かに仕込まれたのかと疑ったが、「支度金の一部である」とのアンナのメモが入っていた。
与えられた予算で支度を整えたが、「質素なものしか頼まれなかった」せいでだいぶ余ってしまったらしい。化粧道具や装身具もそろえたが、旅で持ち歩く程度であれば到底使い切れず、「金銭の類を多く持たせるのもどうかと思った」ので「お小遣い程度」を入れておくとのことだった。
恐らく「お小遣い」にしては多いのだろうとは思ったが、色々考えるとありがたい限りであったので、メモをもう一度袋に戻して手を合わせると通勤バッグの方へ仕舞い込んだ。
その後、トランク内の「金目の物」である化粧道具や装身具がなくなったり壊されたりしはじめたのでギリギリのタイミングだった。
ワンピースは一日入れっぱなしでも大した魔力を必要とはしなかった。
眠っている間に外に飛び出てしまう事もなく、無意識下でも空間が維持できる事も確認できた。
収納空間は早急に広げる事に注力した。
最初は魔力糸を編んでかばんを作成するイメージだったが、思い切って某ドーム球場を想像したらあっという間に広くなった。
どうやら「広大な空間」を想像するだけで良かったらしい。
恐らく無制限に物が入るようになっただろうと思う。
「広大な空間」で宇宙を思い浮かべてしまった静音だった。
取り出す時は物を思い浮かべるだけでいい。
何を入れたか忘れないようにしなければと心に戒めた。
トランクは、高価なものを全て蹂躙されつくした辺りで、魔法錠をかけた。
次は変なものを入れられるに違いないと思ったからである。
ある程度ガス抜きもできただろうし、これ以上はよかろうと判断した。
中身は全部収納空間へ移し、トランクの中には大き目な石を二、三個入れておいた。
思い立って野営の袋の方も魔法錠を仕掛けておいた。
下手に悪戯されて被害が大きいのはこちらの方だったからだ。
貴族令嬢たちにとっては二束三文の無価値な物であるが故に今までは見向きもされていなかったようだが。
顔をぬぐう為の布は、今のところ静音のバッグに入っていたハンドタオルである。
こじゃれたハンカチより水を吸ってくれるパイル地を選んだにすぎなかったが、こういう事態になってしまうとありがたい。この世界にパイル地は今のところない。
換えはアンナが用意してくれたガーゼ地になる。
ガーゼはガーゼでありがたいが、何を思ったのか、反物状態だった。
タオルサイズに切って使えという事なのだろうが、数枚重ねる必要があり、切り口からほつれてもくるので縁をかがる必要があり、一枚縫って、疲れて放置している。
「目が覚めたのか。体調はどうだ」
後ろから突然話しかけてきたのは王子だった。
近づいてくる事には気が付いていたので驚きはしなかったが、話しかけてくるとは思わなかった。
「おはようございます。よく眠れましたので回復しました」
顔を洗いたてで他人に見られるのは避けたいものだが、仕方なく振り向いた。
「なら良かった。その……」
珍しく王子が言い淀んだ。
いつも必要な事しか口にしないイメージだったのだが。
不審な顔をした静音に気がついて王子は息をついた。
「大丈夫なのか?」
静音は首をかしげた。
「回復したと申し上げましたが?」
「体調のことではなく……」
では一体何のことだ?
静音は更に首をかしげた。
「嫌がらせは落ち着いたのか?」
王子は単刀直入だった。
誰かに何かを聞かされたのか。静音は合点がいって微かに笑った。
「どうでしょう。まだ続くと思いますよ」
私が遠征隊にいる限り、と呟いた。
「多少の軋轢は目を瞑るのでは?」
以前の意見はどうしたのだと言ってやる。
「軋轢とはお互いいがみ合う事だ。君は何一つやり返していないと聞いた」
確かに抵抗はしていない。
色々とされるがままだ。
「疲れますからね。でも避けられるものは避けていますよ」
「それでいいのか?」
「よくはないですが、遠征も一年くらいで終わるのでしょう?それで縁が切れる人達であれば別にどうでもいいですから」
元の世界に帰れば永遠に会う事もないでしょうし、と静音は続けた。
王子はぐっと言葉に詰まったようだった。
「しかし一体何が気に入らないんでしょうね」
どうせすぐにいなくなる人間なのにと静音は笑う。
「テントに戻ります」
踵を返した。




