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「読み書き計算は当然の事、高度な教育を受けていると思われます」
休憩時間が終わり、馬車に乗りこむと、学者は王子に報告した。
「おや、そう。まあ、そういう報告は城にいる時から受けてはいたけれど」
「全体を俯瞰する思考が可能なようです。教育を受けなければそういう視座を持つことは難しいと思われます」
「へえ」
王子は興味深そうな声を上げた。
「政治的にも有用だろうか」
「今のところはなんとも。ただ、異界の話は興味深いです。もっと聞きたいですね」
「つまらなさそうにしていたくせに」
「話してみるとそうでもなかったですよ。もっと早く接近しておけばよかった」
魔力糸ではなく、魔力蛍を王子の馬車に忍ばせておいたが、そういう話が聞こえてきた。
興味を持たれてしまったか。
今まではお互いになんとなく離れて観察し合っていたわけだが、このことが吉と出るか凶と出るか。
少なくとも昔の渡り人の資料は借りられたので良しとしよう。
静音は鞄の中に一冊の薄い本を入れた。
先ほど学者から手渡されたものだ。
意外にコンパクトだったが、「旅用に特別にあつらえた」物と言われ、特権階級の財力を見た気がした。
「話が出来て良かったじゃないか」
ガイキがニヤニヤしながら言ってきた。
「その面白がっている顔の真意を問いたいです」
ガイキは左手で顔をこすった。
「俺そんな顔しているか?」
「ええ」
「そんなつもりはないんだがな」
口元を隠すようにしながら思案するような視線を巡らせる。
「お前さん、気が付いていないのか?」
「何のことです」
「学者先生はともかく、王子殿下と宰相の息子がついてきている理由」
「騎士の士気の問題と言ったのはあなたでは?」
「まあそれも一つではあるんだが」
言っていいものかどうか逡巡したのち、ガイキは顔を寄せて耳元で囁いた。
「王族と高位貴族の令息だ。まず顔がいいだろう?」
静音は答えず、ちらとガイキを見上げた。
「そういうことだ」
答えない静音にガイキは答えた。
婚姻による魔力量の永続的な確保。
権威の増強。
「神殿に渡さなければよい」と言ったのは学者だった。
静音は溜息をついた。
「私、結婚にあこがれはないんですよね」
ガイキはそれを聞いて笑った。
「そういう事を言う女も時々いるな」
「本気にしてませんね」
「いやいや……そうは言ってもなかなかそれを通しきれる女もいないしな」
「仕方なく割り切って結婚する人も多いのでは?まあ男性も同じことでしょうけれども」
「うん」
ガイキは誰ぞの事でも思い出したのかふと真面目な顔になった。
「お前さんは仕方なく割り切るつもりが無いということか」
「そうする必要がないように生きてきたんですけどもね」
大学を卒業してから、わき目もふらずに仕事に集中してきた。
忙しい職業だったので、そうせざるを得なかったのもあるが、おかげで貯金はそこそこ出来たし先行きの見通しはなんとかなるかな、と思い始めた所だった。
「大体皆さん、私のことを幾つだと思っているんですかね」
「そういや聞いたことなかったな。幾つなんだ?」
「五十です」
「は?」
「五十です」
静音はにこやかに答えた。
ガイキは口を半開きにしてこちらの顔を見つめた。
「嘘だろう……」
誰にも尋ねられなかったので今まで言わずにきただけだ。
静音自身、何か周囲の扱いに違和感を覚え続けてここまできたのだったが。
先日、水鏡で自分の顔をまじまじと見て気が付いたのだった。
確実に若返っている。
旅の途中であり、碌に手入れもしていない筈の肌は白く艶々と潤っていたし、白髪が出始めていた髪も真っ黒に戻っていた。
理由は色々と考えられる。
恐らく魔力シールドで常に全身を覆っているおかげでもあるのだろう。日焼けもしないし。
異界を渡った時に何らかの作用もあったのかもしれない。
「いやいや、せいぜい二十歳そこそこだろう?冗談はほどほどに……」
「まあ、随分若く見積もってくださったんですねえ。私の国の人間はあちらの世界でも若く見られがちではあったんですが流石にそれは」
静音はわざとらしく「ふふふ」と笑った。
実際、四十近くになるまでは二十代後半に見られた事もあった。主に欧米人にだが。
しかし、不惑も越えればそれなりの見てくれになっていく。
アンチエイジングなどというものが流行ってはいたが、仕事が忙しく興味もなくそれどころではなかった。
「いや、だって、お前さん、それが本当なら、俺の思い違いでなければ、旅の間もどんどん若返ってないか?」
「どういう作用なんでしょうねえ。確かに肌の調子はいいですよ」
体調もすこぶる良かった。
魔力で筋力補強をしているおかげで疲れもしない。
実は持病が一つあって薬で症状を押さえていたのだが、薬がなくなってからも症状は出ない。どうなることかと思っていたのでそのことだけは有難かった。
「まあ、いい」
ガイキは信じられないようなものを見る目でこちらを見ながら息をついた。
「実年齢がどうあれ、見た目は釣り合う。そして彼らにはそれで充分なんだよ」
「形だけ整っていればいいんですものね」
「そういうことだ」
「私にとってみれば厄介極まりないですけれどもね」
本当に、見た目が若返っても良い事ばかりではない。
「ああ、そういえば」
ガイキははたと宙を見上げた。
「大魔法使いはいつまでたっても姿が若いままだったそうだ。それか」
「あら、そうだったんですね」
「魔力量が多い人間は長生きするとも言うしな」
「へえ」
それが本当ならこの世界で長い余生を過ごすことになってしまうかもしれない(逆かもしれないが)。
帰還もかなわない以上、やはり身の処し方を早急に考えなければならない。
「実年齢は自分からはあまり言わないようにしろよ」
「別に知られても構わないんですけどもね」
「周りが混乱する」
ガイキは頭をかき乱してぐしゃぐしゃにしながら言った。
別に周りなぞどうでもいいのだけれど、と思いつつうなずいた。




