01
「海が」
見たい。
唐突にそう思った。
数か月に及ぶ遠征で見てきたものは、街と村と森と草原。
山もあったし谷もあった。当然川も流れていたし湖も見た。
その全てにありえない魔物が付随し、嫌な出来事も想起させられるが、まあそれは今はいい。
海を見ていない。
この行程に海は含まれないのだろうか。
あっちの瘴気をはらえだの、こっちの魔物をどうにかしろだの、言われるがままに旅をしてきたが、そういえば遠征の計画書どころか地図の一つも見せられたことがない。
何か、あれよあれよと言う間に旅支度を整えられ、遠征隊に放り込まれてここまで来てしまったのだ。
ちらりと隣を歩いている男を見る。
この男は、護衛兼従者として王から(直接は宰相補佐から)常に傍に置くようにと命ぜられてつけられた。
気配も存在感も薄い。
それが職業故なのか生来のものなのかは謎だ。
話しかければ答えることはする。
とはいえ、話しかけなければ無言だ。無駄口の一つもたたかない。
それを言うと、自分の事は影か空気とでも思っておけと応えられた。
つまり、親しく交流するつもりはないという事だ。
こちらもあまり近づいては欲しくなかったので有難いといえば有難かったが。
そう言われてしまえば、下手な世間話もできず、殆どを黙りこくったままここまでを過ごしてしまった。
「あの」
男はちらりとこちらを見た。
「今後の予定に海は入っていますか」
無言。
数歩無言であったので、これは答える気が無いのだなと判断しかけた所に、男とは別の声が降ってきた。
「海方面は予定にないが」
顔を上げると見上げるほどの位置から金髪の男が見下ろしてきていた。
背が高いのだ。二メートル近くはあると思われる。
筋骨隆々としていて、大剣を振るう。最初に剣士と紹介された。
「何か用があるのか?」
海に用があるかと問われれば、あると答えられるのは漁師か釣り人くらいなものではないか。
「いえ、特に用があるわけでは。ただ、一度も海を見ないなと思っただけで」
「海には海の魔物がいるが、瘴気が湧く場所は今のところ確認されていないな」
「そうですか」
「そういえば、お前さん、前も海がどうとか言ってたな」
旅が始まってすぐの頃、地図の一つも見せられる事が無かったので、この国に海は無いのか、内陸なのかと尋ねた事がある。
「いや、西と南に海はある。北もあるが、一年中天候が悪く殆ど人は住んでいない」
そう教えられ、陸続きの他国は東にのみ存在するのかと、なんとなくぼんやりと地形を理解した。
「そもそも『魔の湧く山』とはこの国のどの位置にあるのです?」
太陽が沈む方角が西ならば今は北に向かっているのか、と思いつつ進行方向を見はるかす。
「北の海に至る前には山がある。そこが最終目的地だ」
「そうですか」
それすら今知らされたのだったが。
「ということは、あちこちで問題を起こしていた瘴気やら魔物やらはあらかた片付いたという事ですか?」
「いや、まだ北の山へは行かん。優先順位をつけて回っているからな」
男は溜息をついた。
数か月、殆ど休む間もなく移動し続けたのだ。疲労も溜まっていることだろう。
それは遠征隊の皆にも言えた。
あまり大勢でも意味は無い、と最初に剣士は言ったらしいのだが。
王としては見栄もあったのだろう。騎士を一個小隊程準備してつけるとのたまった。
目的を思えば身動きしづらい、とは素人でも感じたが、王命に逆らうというのはこの世界ではなかなかに難しい事らしく出立の際は、えらく華々しい様子で見送られた。
「お前、腕は大丈夫か」
剣士は無表情なまま尋ねてきた。
昨日の魔の沼で真っ黒いアメーバのような生き物に絡み付かれたそこは、火傷よりも酷い痛みで黒く燃え上がったが、恐らくは治癒か回復の魔法の効果で痛みはもうなくなっていた。
「ええ、動かすのに不都合はありません」
今更な事ではある。
「一見」身体は傷だらけだった。
随行していた神殿所属の光魔導士達は治癒が専門という話だったが、どういうわけかこちらには見向きもせず、騎士たちの治療の後、「もう魔力が残り少ない」と言っておざなりに傷を塞いでいくことしかしなかった。
「こんなに傷だらけだと、元の世界に戻っても説明に困りますけどね」
そういうと、剣士はすっと目をそらした。
嘘がつけない男なのだなと思った。