10 誰が為に
御者のおじいさんが手綱を引き、乗り合い馬車が動き出す。
時間を有効活用するため、本を読むことにした。
旅に出るにあたって購入した、魔法大全原典だ。
ノーゼンハイム文字の翻訳版も出版されているが、訳者によって言い回しや意味が微妙に違う。
だから東国文字で書かれている原書を選んだ。
一ページ目に押し花の栞を挟んで目次の項目を開く。
「あ、それ私が贈った栞」
誕生日の朝、リーンがくれた栞だ。白薔薇のつぼみが薄紫の台紙に映えている。
「きちんとお礼を言えてなかったな。ありがとうリーン」
「えへ。セツカは本をよく読むから。気に入ってもらえたなら作った甲斐があるわ」
リーンは照れくさそうに頭をかく。
「いつも思うけど、東国文字なんてよく読めるね。でも、なんで魔法書?」
「俺をアーノルドさんに託した人は魔法士のようだから」
「つまり、セツカの家族は貴族なの?」
「それはわからない。全くの他人かもしれないし」
光魔法の章を開いて、文章を指でなぞる。
章の最後まで読みすすめても、人が消える現象については書かれていなかった。
暇なのか、さっきからリーンが隣から本をのぞきこんでいるから、視界のはしにくせっけが入る。
「リーン。退屈なら、君も本を読むといい。本を読むのはためになる」
「えぇー。文字ばかりだと眠くなるわ」
「親子揃って同じこと言うんだな……」
アーノルドさんにも、そっくりそのままのことを言われた。
本当によく似た親子だ。
「知りたいことは載ってた?」
「いいや。もっと違う視点から探したほうが良さそうだ」
本を閉じて革ベルトをはめ、トランクにくくっておく。
他の乗客は寝ていたり、外の景色を見ながら談笑しているから、俺とリーンが話していてもたいして気にしていないように見える。
「途中のゼクス村で降りる。今日はそこで一泊して、明日ツヴォルフ港行きの馬車に乗る」
「まる二日馬車の中なんて、お尻が痛くなっちゃうね」
今も馬の歩調に合わせて小刻みに揺れていて、目の前に座っているおばあさんが腰をさすっている。
熟練者はクッションを持ち込んで揺れを緩和させている。いびきをかいて寝ているおじさんがまさにそれ。
ゼクスに着いたら、収穫祭をやっていた。
陽気な音楽が流れていて、小さな子どもたちが歌い踊る。
村のあちこちにかぼちゃやカブのランタンが飾られていて、村の中心部では大鍋でシチューを作っている。
「わぁ! おいしそ〜!」
「待て待て待て、リーン。宿を取るのが先だ」
シチューを配る列に並ぼうと駆け出すリーンを急いで止める。
「祭ってことは宿が空いてないかもしれない」
「野宿を経験するのも悪くないと思うわ」
リーンは本当にお嬢様なのだろうか。
宿の部屋が空いてなくても気にしないなんて大物だ。
案内看板を頼りに宿を探し、三軒目でようやく空き部屋をひとつだけ見つけた。
「俺は野宿でいいから、リーンが宿に泊まるといい」
「それはだめ。二人で泊まればいいじゃない」
リーンの「野宿も良い」は、二人とも野宿なら。という意味だったらしい。
「俺と同室になるのはリーンのためにならないと思う」
「ねぇ、ジーナたちもそれを言うけど“お嬢様のため”ってなに? マーズ家のためでしょ? 私の気持ちを無視されてて嫌」
本人の気持ちを蔑ろにされ、リーンは怒る。
そうだ。リーンのためって言いながら、気にしているのはまわりの反応。言い返す言葉が見つからなかった。





