政治的妥当性
ポリティカル・コレクトネスという言葉があります。差別や偏見を防ぐ目的で、社会的、政治的に公正中立な表現や言葉を用いることとされています。
理念は理解できますが、その実現に関する手段は不可解な事柄が多いです。
現在、賛否両論が噴出している『人魚姫』の実写映画で、人魚姫のアリエルの配役を黒人女性に決定した事例があります。
私は空想上の生物の肌の色が何色でも構わないと思いますが、こうした事例で私が個人的に興醒めるのは「歴史的事実を歪める」表現です。
二次大戦の大西洋、潜水艦を舞台とした映画で、潜水艦の乗組員に当時は搭乗していない黒人男性が存在するかのように配役されていて、一挙に興醒めたことがあります。
我が国で言えば、江戸時代の武士、大名、公家に日本人以外の配役がされているとしたら、皆さんはどう思いますか?
政治的妥当性として容認しますか、それとも「そのような事実無根で荒唐無稽な設定は許せない」と思いますか?
これは人種差別や民族差別ではありません。歴史的事実に忠実であるか、歴史修正主義であるかの問題です。
単純に考えるなら、白人と有色人種の立場を入れ換えた物語を構想すれば、それが妥当か否か判明するでしょう。
中世ヨーロッパで編制された十字軍兵士を黒人にして、イスラム世界へ侵攻させる映画を制作したら、恐らくは非難囂囂でしょう。
黒人の奴隷商人が白人を捕まえて虐待するような事実無根の物語を発表すれば、こちらも非難囂囂でしょう。
「事実に基づかない」ことを理由として非難するならば、その時代、地域に黒人が関与しない物語に黒人を登場させないことは容認されなければなりません。
「黒人に悪印象を抱かせる表現」を理由に非難するならば、それこそ差別であり、公正中立とは言えない主張です。
原作レイプという言葉があります。
原作の設定を無視して、脚本家や演出家が勝手に設定を弄くり回して、原形を破壊する行為です。現代社会であれば、著作権侵害として訴訟を起こされかねない愚行です。
『白雪姫Snow White』は原文に「雪のように白い肌(だから白雪姫)」という表現があります。仮にポリティカル・コレクトネスで白雪姫に黒人を配役した場合、その肌の色を「雪のように白い」などと表現するのは侮辱的な扱いではありませんか?
公正中立で差別や偏見を防ぐには、古典にポリティカル・コレクトネスを持ち込んでムチャクチャにするのではなく、新しい物語を紡ぐ方が妥当と私は考えます。
ただ黒人が主要人物の『ジャングル黒べえ』が差別的として絶版されていたり、「ダッコちゃん人形」やカルピスの商標に使われていた黒い人物、シャネルズなど黒人を想起させる表現が規制されていますから、黒人を主役とした新しい物語を創作しても同じ扱いをされたらと二の足を踏むのは当然です。
またインドが舞台で、インド人が主役なのに「肌の色が黒っぽいから黒人」として絶版に追い込まれた『ちびくろサンボ』のような事例を知ると、却って黒人を主要人物とした物語の創作活動は不可能と思ってしまいます。誰しも無用の諍いは避けたいですから。
ファンタジー世界でもダークエルフの扱いを巡って一悶着ありましたし、ポリティカル・コレクトネスが差別を助長しているのでしょうね。
今世紀初頭には「ポケットモンスター ホワイト&ブラック」が差別的な名称としてアメリカで発売禁止にされていたりと、過剰反応も否めません。
差別は有り触れた存在です。同業他社との差別化などは企業の命題として挙がるものですし、正当な理由がある差別は積極的に行われています。忌むべきは「いわれのない差別」であって、他人を不当に侮蔑するような醜い行いです。
他にも色彩の感じ方や捉え方は民族などで差異があります。我々日本人は赤色を見れば「火」を連想して「熱い」と思うでしょう。青色であれば「水」を連想して「冷たい」と思うはずです。ところが赤道付近では青色は晴れた空の色ですので「熱い」と感じるそうです。
一つの価値観を基準にして、全世界を従えようとするのは傲慢であり、多文化主義を否定する愚かな行為でしかありません。
「ある民族で是とされることが、隣の民族では否定される」とはニーチェの描く『ツァラトゥストラはかく語りき』でも言及される事柄です。千の民族がいれば千の価値観、万の民族がいれば万の価値観があるのが、本当の多文化主義です。
政治的妥当性ばかりを気にして、価値観や文化を否定するのは愚か者のすることです。差別を無くすとは「いわれのない差別」を減らすことであり、区別や区分まで否定するものではありません。
男女平等の名の下に、更衣室、風呂、便所が共同利用、オリンピックなどの競技会が男女混合で行われるとしたら如何でしょうか?
政治的に正しいとしても、倫理的に有り得ないでしょう。こうした愚かな行為を是正するのが、より政治的に正しい行為と認識されることを願います。