第2回
足元を確かめる。ピカピカのブーツは,ネットで見つけて一目ぼれしたものだ。「これだ!」
って思って,すぐにクリックした。
初めて履いてみた。うん。サイズ感は悪くない。でも,編み上げのひもの結び方…できた輪の大きさ。そのバランスが気になる。ふだんは,サンダルやスニーカーばかりだから困る。やっぱり,ガラにもないってことだ。
靴底の下に敷かれてる紙が,ガサゴソと音を立てた。何か月?たぶん半年以上前のものだ。カバンの底でくしゃくしゃになってたプリントは,少し黄ばんでる。足りない分は,途中でもらったカフェのチラシを使った。ごめん。悪気はない。
それにしても,と我に返る。ひどくバカな状況だ。駅のトイレの個室。中には,手鏡を持った女が一人。
自分の姿を確認するなら,洗面台についてる鏡でいい。だって,そっちのほうが大きいし。それに,明るいし,よく見える。わかってるけど,そこまで行く気になれない。それが問題だった。
鏡に映ったあたしは…初めて袖を通したロリータ服。それに,髪は縦巻きロールだったりする。ため息をついて目をそらした。
『ダメだよ。ちゃんと見なきゃ。』
『何言ってんだよ?どこに見る価値がある?時間のムダだろ?』
さっきから2人の「あたし」がせめぎ合ってる。
『悪くないよ。意外と似合ってるから。それにね,ここはアキバだよ。この街は,どんな人でも受け入れてくれるんだってば。ほら。セーラー服を着たおじさんが現れることもあるって聞いたことあるでしょ。だから,ノープロブレム。自信持って!』
っていうのが,「あたしA」。で,「あたしB」がすかさず反撃する。
『うぬぼれるなよ。どんなに着飾っても,所詮はなんちゃってギャル。ヤンキーの娘なんだよ。すぐにボロが出るって。慣れないことなんてするもんじゃないよ。大恥かくのがオチだから。』
そうだ。とっくに着替えは終わってる。なのに,個室から出られない。何度もカギを開けようとしたけど,指はカギに触れる前に止まってしまう。
気づけば,「A」は,押され気味になってる。っていうか,最初から分が悪い。まあ,そんなのは想定内だったけど。
「B」が一気に攻めかかる。
『考えてもみろよ。今さらお前がきちんと制服を着たって,優等生には見えないだろ?もう手遅れなんだよ。それと同じことだって。どんなにしゃれてみても,様にならないようになってるんだよ。』
思い出した。高校に入学した頃,生徒指導係の教師が言ってた。普段からしっかりした生活を送ってないと,進学とか就職とか大事な場面でうまくできない,って。あたしだけじゃなくて,周りにいた誰もまともに聞いてなかった。でも,当たってるかもしれない。今さらわかっても,どうにもならないけど。
違う。回想にひったてる場合じゃない。スマホで時計を見た。そろそろまずい。ここに入ってからかなり時間が経ってる。
もう限界かも。あたしは,乱暴にトイレットペーパーを引きちぎる。わざとロールが入った容器がガチャガチャ音を立るように。だって,「使用中」のまま音がしないと,誤解されかねない。中で倒れてる,とかって。そう思われたら面倒だ。だから,大げさに咳払いして,水を流す。
『それも悪くないよ。等身大っていうの?無理しないのがいちばん。だって,ここは優しい街なんだから。メイドさんのなかにも,ダークな世界観が好きって子が少なくないらしいよ。』
うるせえ。なんの慰めにもならねえよ。あっさり負けたくせに。それに,さっきと言ってることが違うだろ?心の中で,毒づいてやった。「A」が,きまり悪そうに笑った気がする。
『もう。やめようよ,難しく考えるの。けっこうイケてるよ。ほら。一周回ってかわいい,っていうか…見方を変えることって大事だから。』
やめろ。その「一周回って」てのが大嫌いなんだよ。
気まずい。すれ違った男と目が合った。無理もない。人込みで頭をかきむしるあたしは,完全に不審者だ。
結局,いつもの姿で駅から出てきた。スタジャンとミニスカート。足元も,履き慣れたスニーカーで…。最後に洗ったのはいつだったか。改めて見ると,ずいぶん汚れてる。で,時間をかけて巻いた髪は…惜しいと思ったけど,くしで梳かした。それで,半端にカールが残ってて…ぐちゃぐちゃだ。しかも,ブーツが入ったバッグがやたらと重い。とにかくもう最低の気分だ。
思い出す。個室から出たときのことだ。あたしより一瞬遅れて,別のドアが開いた。出てきたのは女性で,服は…ほんの少し前までのあたしとほぼ同じだった!驚いた。だって,その人,どう見ても,40は過ぎてる感じだったから。
おばさんは,一瞬ひるんだ様子だった。けど,すぐにあたしの目をまっすぐ見つめた。自分を奮い立たせてるみたいに。それで,あたしは…思わず目をそらした。
負けた。去っていくおばさんの後ろ姿が,なんだか誇らしげに見えた。ブーツのかかとが床を鳴らす音。それがまだ耳に残ってる。
ちょっとやさぐれたギャル風の服とか髪とか。特に気に入ってるわけじゃない。それらしい雰囲気が出ればいい。そう思って始めただけだ。
それでも,こんな姿も様になってきた。というか,もう見慣れたせいか,当たり前になってる。けど,やっぱダメだ。こんなとき思い知らされる。所詮は陰キャだ,って。いつだって大事なところで弱さが出る。
中学3年の頃。そろそろ高校受験を考えなきゃ,って時期だった。
別にどこの高校に行きたいとか,そんなこだわりはなかった。でも,とりあえず,ヤンキーだらけの学校は避けたかった。暴力と破壊が日常,みたいな。
バイクで校舎の端から端まで走り抜ける,とか。職員室や放送室を占拠する,みたいな。昭和のドラマや映画を「シュール」だって思う人がいる。「おおげさで笑える。」そう言って笑った人もいた。でも,あたしが住む地域じゃ,それに近いことが起きたりする。過去の「あるある」エピソードなんかじゃない。
進路希望調査。年に2~3回書かされるやつだ。入学以来,ずっと「未定」でごまかし続けた。でも,気づいたら,それでは済まない状況になってた。
用紙には,第3希望まで記入する欄があった。困った。だって,勉強なんてしてないから,選べる立場じゃない。当然だけど,わずかな選択肢のなかに「行きたい」って思える学校なんてなかった。
生まれて初めて,勉強しなかったことを後悔した。もちろん悔やんだってもう遅い。で,なんとか入れたのは,中途半端な女子高だった。ヤンキーもいるけど,そうじゃない生徒もいて…みたいな。
ひとつだけよかったことがある。それは,学校を仕切ってた先輩が知り合いだったことだ。たまたま同じ小学校で,その頃はかわいがってもらってた。
いじめの対象にならずに済む。それは大きかった。それどころか,同級生のあいだで大きな顔もできた。だから,少し調子に乗ったりもした。今思えば,それなりに高校生活を楽しんでた。でも,そんな時間は長く続かない。
すっかり忘れてた。上級生は先に卒業する,って。笑える。そんな当たり前のことが,頭になかったんだから。
先輩を見送ると,一気に恐怖が押し寄せてきた。自分がまずい立場にいる,って自覚したから。「権力者」のそばにいたヤツは「バック」がなくなった瞬間ターゲットにされる,ってパターン。天国から地獄へ。実際,中学にそんなヤツがいた。
だから,すごく神経を使うようになった。目立たないように,でも、それでいて,地味にならないように。急に変わったりしたら,一気に視線が集まる。
何事もバランスが大事。そう言われるけど,あの頃は,それがすべてだった気がする。スクールカーストだとそこそこ高めのギャル。でもヤンキーじゃない。あたしは、そんなグループになんとか紛れ込んだ。
けど,安心はできなかった。周りにグループのメンバーがいるときはいい。それが,1人になると一気に不安になった。
あたしに恨みを持つ人がいる。その可能性は十分あった。まだ先輩がいた頃,弱い立場だった生徒たち。パシリにされてた人とか,しめられてた人とか。あたしは,先輩と一緒になって見下してたから。
一緒に帰る人がいないとき。あたしは,時々振り向いて,誰もいないのを確かめた。それを繰り返すうちに家の近くまで来る。で,やっと緊張感から解放された。
サバンナにいる草食動物?とにかく人目を気にして過ごす日が続いた。それでも最悪じゃなかった。それなりに笑ってた気もする。そう。あの日までは…
気づくと,スマホの地図では,目的地のすぐそばまで来てた。目を上げると,列を作ってる背中が見える。大部分は男だ。若いヤツもいれば,おっさんもいる。それから,じいさんと言える歳の人もちらほら。
とにかく目立つのは,白いTシャツだ。背中に,大きな翼が金色で描かれてる。それに,まだ暑くないけど,首にタオルをかけてる人が多い。書いてある文字なら読まなくてもわかる。「お布施上等」とか「MONEY IS ALL」だ。
それにしても,予想以上の人数だ。列を目で追うと,建物の外階段に続いてる。目的の場所は,雑居ビルの2階だ。スマホを取り出し,時刻を確認する。開場までまだ1時間以上。トイレで時間をロスしたけど,問題ない。
立ち止まったあたしを2人組の男がすり抜けた。お決まりの白Tにタオルだ。列の最後尾に並ぶと,階段を見上げる。
とりあえず並ぼう。開演前にもグッズの販売があったはずだ。一歩踏み出そうとする。でも…ダメだ。まただ。足が言うことをきかない。
あれから1時間ほど経った。あたしは,今座ってメニューをにらんでる。
ひどく居心地が悪い。店の壁は,白とピンク。で,窓には,レースを使ったガーリーな感じのカーテンがかかってる。それから,たくさんの額があって…飾られてるのは,ロリータ服の女の子たちの写真だ。
目の前を店員が横切った。ツインテールと大きなリボン。どこかで見かけた気がする。と思ったら,すぐに思い出す。同じ服を着て壁の写真に写ってたりする。
そう。あたしは,メイドカフェに来ていた。
それにしても,予想よりずっと場違いに感じる。見回すと,あたし以外はみんな笑ってる。メイドも客も,すごく楽しそうだ。だから,なおさら落ち着かなくて困る。
店の奥に視線を移す。そこには,ひときわ目立つ顔立ちのメイドがいる。あたしをこの店に引っ張り込んだ女だ。常連客だろう。おっさん2人とゲームしてるみたいだ。おもちゃのワニに指をかまれる,ってやつ。
結局,お目当てのライブには行けなかった。あたしの足が,どうしても動こうとしなかったからだ。校門の前で「地蔵」になった不登校の生徒みたいに。みたい?っていうか,実際不登校なんだけど。でも,あたしの場合,校門まで行ったりしない。学校に近づく前に,行き先を変えたり,家に戻ったりしてたから。しかも,最近は,朝家を出ることもなくなってる。
頭にきたのは,「もう帰ろう」って決めたら,すぐに歩けたことだ。それどころか,ウソみたいに足取りが軽かった。あまりのふがいなさにあきれるしかない。
看板を見つけたのは偶然だった。有名な店だ。ネットで,いろいろたどって,サイトをのぞいたこともある。でも,場所までは知らなかった。アキバまで来たんだし,入ってみるのも悪くない。そう思った。で,すぐにドアを開けて…。
いや,違う。ほんとどうにかしてほしい。あたしの足はまた動かなくなった。足が…というか,命令出してるのは,脳なんだっけ?とにかく,まったく役立たずだった。
「いらっしゃいませ。よろしかったら中へどうぞ。」
声をかけられて振り向いた。立ってたのは,あの女だ。すぐにわかった。ネットの写真で見たのと同じだ。花が咲いたみたい,とか言うけど,とにかくまぶしいくらいの笑顔だった。
ドアが開くと,不思議なくらい簡単に足が動いた。あとはもう吸い寄せられるみたいに…。
気づくと,メニューを開いてから,ずいぶん時間が経ってる。視線を上げると…。
「えっ!?」
あと少しで声をもらすところだった。あの女がすぐそばまで来ていた。
「お待たせして申し訳ありません。お嬢様。ご注文はお決まりですか?」
この笑顔。殺傷能力っていうの?一撃で推し決定ってオタクもいそうだ。とりあえず答えないと…。
「ああ…じゃ,コーヒーで。」
「はい。かしこまりまし…。」
笑顔が消えた。間違えた?こういう店じゃ,もっとかわいい飲み物をたのまないと,変人扱いされるとか?後悔する。店に入るとわかってたら,もっと調べてきたのに。
彼女の視線を追ってみる。じっと見てるのは,あたしのスマホだ。待ち受けの写真はずっと変えてない。廃墟にたたずむ地下アイドルの…。
彼女は,目を上げると,あたしと視線を合わせた。すごくうれしそうだ。
「お嬢様,祈様のファンだったんですね。わたしも…。」
「知ってる。前に,インスタで…。」
「見てくださったんですね。ありがとうございます!」
彼女は,大げさなくらい深く頭を下げた。ネームプレートに「レミ」とある。そういえば,そんな名前だった。
美宙祈。「祈」と書いて「れい」と読む。ここ数年人気が上昇し続けてる地下アイドルだ。自分を教祖に見立てて,信者という設定のファンを暴れさせる。とにかく荒っぽいライブで話題になることが多かった。対戦形式のイベントで,2階からダイブする動画は特に視聴回数が多い。
会場の2階の手すりから飛んで…プロレスのムーンサルトプレスみたいに一回転…背中から白い羽根が舞い散って…受け止めようとするファンがいて…布の上で体がバウンド…床に倒れこんで…。
ダメだ。脳内再生してる場合じゃない。そうだ。確か,レミは,どこかのライブ会場で美宙祈と知り合って…。
「えっ!?」
レミが何か気づいたように声を上げた。壁の時計を確かめて,あたしに視線を戻す。
「今,祈様のライブ中じゃないですか!?行かなくていいんですか?」
「いや。いいんだ。熱狂的なファンってわけじゃないから。」
面倒だ。メイドカフェの接客は,普通のカフェと違う。それくらいわかってる。でも,予想以上にグイグイ来る。このままじゃ,こいつのペースに乗せられて…。
「誰だって最初はご新規さんです。そこからハマっていくんですから。」
レミは笑顔を崩さない。正直,親近感を感じないこともない。SNSで,熱心な「信者」だと公言してたから。でも,今は,長く話したい気分じゃない。あたしは,ありったけ目に力を込めてにらんでみせた。
「わたしも,1年前までは,アイドルのことあまり知らなかったんですよ。それが,たまたま誘われて,『異種格闘技』に出ることになったのがきっかけでした。不思議ですよね。」
レミは,遠い目になって言う。効果ゼロ。そういえば,この街じゃ,客がヤクザでも,一緒に萌えポーズ?をやらせたりするらしい。適当に話して,切り上げるしかない。
「また今度にするよ。チケットだって,前売りは買ってなくて…。」
あたしは,ほとんど無意識に斜め下を見た。椅子の上にバッグが置いてある。出かける前に,チケットが入ってるか何度も確かめて…。レミは,それを見逃さない。
「失礼ですが,お嬢様が今日アキバに来た目的は,祈様のライブだとお見受けします。」
ごまかせない。以前聞いたことがある。この街には,コミュ力モンスターとか言われるメイドが何人もいる,って。やっぱり,あたしとは気合いが違う。地方のギャルもどきに対抗できる相手じゃない,ってことだ。
カッコ悪いけど,本当のことを話すしかない。あたしは,バッグに手をのせて答える。
「ああ。初めてチケットを取って来たんだ。」
「すぐにここを出てください。見逃したら,絶対後悔しますよ。わたしだって,今日シフトに入ってることがどんなに恨めしいか。だって,祈様のライブを生で見られないなんて,人生の半分を損するような…。いいえ。違います。8分の7くらいムダにすると言っても言い過ぎじゃないと思います。」
レミの口調は,ますます熱くなってる。もう一度時間を確認して言う。
「きっと今はまだアコースティックセットの時間ですね。クライマックスまでには十分時間があります。」
知ってる。ライブは2部構成だ。バラード中心の1部が終わると,バンドセットの2部が始まる。今ここを出れば,それには間に合うだろう。でも…
「そうなんだけど…なんていうか,場違いじゃないかな,とか。ついいろいろと考えて…。それで,どうしても足が向かない,っていうか…。」
「そうでしたか。」
そう言って,レミは黙った。で,ちょっと深刻そうな表情で,また口を開く。
「もし違っていたら申し訳ありません。決めつけてるわけではないんです。でも,それは,もしかしたらですが,お嬢様にとって祈様のライブが,残り少ない希望ということかもしれませんね。」
「!!」
胸をつかれる。ってのは,こういうのを言うんだろう。希望?そうだ。うすうすわかってた。認めたくなかっただけだ。
「そこで楽しめなかったら,もう希望がなくなる。そう思うと,行くことができない。ということかもしれないですね。」
もううなずくまでもなかった。認めるしかない。それにしても,コミュ力なんてレベルじゃない。相手の心を読む訓練でも受けて…。
「申し訳ありません。初めて来店していただいたお嬢様に,立ち入ったお話をしまして。」
レミが頭を下げる。さっきよりさらに深く。でも,少しほっとした様子が見える。他人の内面にここまで踏み込むのは,コミュ力おばけでも珍しい,ってことか。
「お嬢様もご存じだと思いますが,以前この街で大きな事件がありました。」
ニュースの映像が浮かぶ。通行止めになった交差点。点滅するパトカーの赤い光。群がる大勢の人たち。その手にはカメラ代わりの携帯が…。
「覚えてるよ。オタクがやらかした事件だろ?」
思ったより滑らかに口が開いた。自分のことではなくなったからか。まったくだらしない。
「そうですね。確かに世間ではそう解釈される方が多いのかもしれません。」
レミは,少し残念そう,というか,くやしそうな表情になった。
事件のことは,詳しくは知らない。当時,あたしはまだ子どもだったから。それでも,恥ずかしく感じる。間違いなく,あたしの解釈はハズレだ。
考えてみれば,事件のことだけじゃない。アキバ。メイド。オタク。あたしの知識なんてお粗末なものだ。それを知ったふうに一言で…。
「ごめん。よく知りもしないのに…。」
「いいえ。それが世間一般の方の認識だということは,十分に理解しているつもりです。でも…。」
「ということは…犯人はオタクじゃないって?」
「はい。少なくとも私はそう思っています。」
確信に満ちた言い方だった。もともと強い目力が,さらに強くなってる。
「オタクは,楽しみにしてることが多いんです。だから,事件を起こしたりしたら,愉しみが奪われる。そうわかっているはずです。」
「ああ。うん。」
思い出した。あの事件で,犯人はその場で取り押さえられた。逃げることは考えてなかったらしい。逮捕されたら,オタ活どころじゃなくなるのに。
「きっと事件を起こしたのは,最後の希望だと思っていたこの街に来たのに,楽しむことができなくて,絶望したからだと思うんです。」
「なるほど。」
情けない。あたしには,相づちを打つ以外何もできない。でも,きっとそうだ。当時は,オタクに対する偏見が今より強かった。事件が起きたのはアキバだ。だから,オタクのせいにした。それは,ひどく単純な発想だ。でも,それで納得する人が多かった。そういうことかもしれない。実際,あたしもそう思い込んでたわけで…。
「でも,誤解しないでください。犯人に同情しているわけじゃないですし,弁護するつもりもありません。勝手に期待して,よく知ろうともしないで絶望して…。」
言葉を切ると,レミはまた笑った。でも,さっきまでと違う。人をひきつけるためじゃない。包み込むような笑顔?あたしの表現力じゃとても…。
「話がずれてしまいましたが,祈様のライブは絶対楽しめます。わたしが保証します。それに,期待したほどじゃない,って思ったとしても,他にもきっとハマれることがあります。だから,今からでもライブに行ってみませんか?」