インフラ国有化は大正義である
※このお話はフィクションです。
ロシア降伏直後から、日本国政府はロシア政府により国有化されていた企業について、改めて日本円にて買収を行う形での補償や返還を行った。
これは、紙屑になったルーブルを日本円に交換し、経済の混乱を少しでも抑えるための政策だった。
そして微に入り細に入り、日本人的な几帳面さで運営実態に調査が入った結果、二〇二四年新国家建設委員会は、「健康的で文化的な最低限度の生活」を全土に於いて保障するには、各種インフラストラクチャを国有化し、慢性赤字は公費負担することを甘んじて受け入れる他に道はない、という結論に至った。
日本列島のインフラストラクチャにもその理論は遍く適用され、その結果、老朽化や需要低下による廃線・運行頻度の低下など、サービス品質が低下していた、並行在来線や旧国鉄の内、赤字路線が多数を占めるJR北海道、JR四国が槍玉に挙げられた。
これらは瞬く間に株式の国有化・赤字路線の公費負担が決定され、国家総動員体制の勢いを維持していた官僚組織によって即実行された。
流石に屋号を國鐡に戻すことまでは費用の問題からやらなかったが、これにより行き過ぎた合理化によるサービス低下が発生すると、国有化の大鉈が振るわれ株主が損害を蒙る前例となったので、一定の歯止めがかかることになる。
この政策は、IMFや虎視眈々とロシア資産を掻っ攫おうと狙っていたファンドの類が激怒しそうなものだったが、新国家建設委員会は「戦争は終わっても未だ暫くは統制経済を敷かねばリバウンドする」と反論し、半ば巫山戯た発行量に到達していた日本円でぶっ叩いて強行した。
これは日本円が世界的にはまだまだ「強い」通貨であり、ルーブルが紙屑になっていて、更に財政規律や他国の批判なぞ知ったことか、と日本国政府、引いては新国家建設委員会が、吹っ切れたままだったからこそ出来た政策だった。
それまで赤字国債発行の是正と予算案の縮小、国民一人ひとりの各種租税負担の増加を金科玉条としていた財務省は、それまでの政策を百八十度引っ繰り返して(ついでに斜め上に突き抜けて)、国債のほぼ実質無制限な発行を日本銀行共々、甘んじて受け容れるなどして、
「やれば出来るんじゃねえかふざけんな!」
と国民の顰蹙を買ったりする一幕もあったが、それは些細なことであろう。
全ては「戦時体制」「非常時」「有事」の免罪符で片付けられることだったからである。
東日本大震災やCOVID-19禍が「戦時体制」「非常時」「有事」でなくて、なんなのかという釈然としない思いを主に日本列島の人々は抱くことになったが。
序でのように課税システムの単純化、各種申告のデジタル化が推し進められたが、これについてはデジタル後進国だった日本国の、複雑怪奇で下請けにコストや納期の皺寄せが行くシステムの導入は却下され、デジタル先進国でありロシア語圏に比較的親和性が高いリトアニアと新国家建設委員会との間に契約が結ばれ、リトアニアのシステムが多言語(日本語、ウクライナ語、ロシア語、英語など)対応化の上、殆ど丸ごと移植された。
これは国家の基幹システムを極度に外国に依存し、安全保障の観点から言うと難があるものだったが、新国家建設委員会は、
「それで「自分達がシステムの生命線を握っている」という安心感を買えるんなら、安いものだ」
と嘯いた。
彼ら彼女らは、政治的大回天して合同し肥大化した、日本でありウクライナでありロシアである新国家が、常に国際社会から監視されていることを知っていた。そしてそれ故に、ある程度国内基幹システムについて、外国に依存してオープンにしておかないと、かつてのロシアのように国際社会の殆ど全てを敵に回して、絶望的な戦争に挑まざるを得なくなることを知っていたのである。
実体験があるだけに、尚更説得力は強かった。
また、最初に述べたように、戦争中にロシアによって進められた、多国籍企業の資産接収についても補償・返還が進められた。
中にはそのままロシアの大地から撤退したまま、帰還しない企業も少なくなかったが、新国家建設委員会は特に引き止めなかった。
彼らはロシアの低廉な賃金と、ウクライナの復興需要が、やがて好景気につながると確信しており、そうなれば自ずと魅力的な市場になった新国家にヒト・モノ・カネが戻ってくると確信していたからだ。