スペースコロニーという概念
※このお話はフィクションです。
西暦二〇二三年九月二日、建国に先立つ形で日本、ロシア、ウクライナの宇宙開発機関・企業を統合して「ムリーヤ国宇宙開発事業団(NASDAM/National Space Development Agency of Mriya)」が発足した。何やら日本人にとっては昔懐かしい名称のような、有名なロボットアニメーションを想起させるような名称であるが、無関係である。
二〇二四年新国家建設委員会は、「自国の領土は自国民全てを豊かにするには寒く、耕作地が狭い」ために戦争が発生したという結論に至った。そして地球上に飢餓や貧困が絶えないのも、やはり同様に「耕作地が不足している」ためだとした。そして最早地球上に気候変動を及ぼさずに開拓できる土地は無く、故に土地あたりの収量を向上させるか、はたまた宇宙に進出し耕作地を築く他に、道は無いという論理的帰結に至った(なお、宇宙開発が地球環境に及ぼす悪影響については丁重に無視された)。
そこで特に規模の大きな宇宙開発事業体を持つ日本とロシアのそれを統合し、一つの方向に向けて宇宙開発を行うことで、付随する産業の活性化を図りつつ宇宙空間に耕作地を確保し、ひいては核戦争時の自分たちの生存圏を確保しよう、という野心的な計画が建てられ、冒頭のNASDAM設立に至ったわけである。
さて、NASDAMが設立されたからと言って、すぐに宇宙耕作地開発が始まったわけではない。
第三次世界大戦の結果、ロシアによって幾つもの人工衛星が破壊され、破片が大量に生じ、その破片が別の人工衛星に衝突して更なる破片が生じ……という、典型的なケスラーシンドロームが発生していたからである。
そのため、NASDAMが行わなければならなかった最初の仕事は、損壊した各国の人工衛星の補償問題の対応と、掃宙技術の開発・確立であった。
NASDAMは当初、旧ロシアから接収した1K17自走レーザー兵器システムを、単純に強化し宇宙空間へ強力なレーザー光を照射して気化・蒸発させることを考えていたが、これは早々に破棄された。小さいものでは直径数ミリ程度の、高度数百キロメートルを相対速度でも秒速数キロメートルに達する速度で移動するデブリに対し、地上から完全に蒸発するまで「狙撃」することを想像してもらえば、それが如何に荒唐無稽な困難さであるかがお分かりいただけることと思う。
また、全廃予定の核兵器を使って掃宙することも考えられ、当然のように却下された。宇宙空間で核爆発が起きると、強力な電磁パルスが生じて地上の電子機器を壊滅させるからである。
採用されたのは、地上の砂漠地帯に無数の一次反射ミラーを設置し、反射光を二次反射ミラーを設置した高さ二〇〇メートルの照準用タワーへ集光して、直径五〇〇メートル程度の強力な光の帯を作り出し、射線上のデブリを蒸発させるという「ストーンヘンジ・エクスカリバー」法だった。この規模のビームをレーザー光で作り出すとなると、途方も無い費用と電力がかかるが、これなら安価だし、使わない時は太陽熱発電に転用することが出来て一石二鳥だとされた。
なお当然ながら対空・対衛星兵器にも転用されかねないその計画は物議を醸しだし、他国から反対の声も上がったが、他に考え得る代替案も無かったので、最終的には各国から渋々の同意を取り付け、着工された。
ちなみにストーンヘンジ・エクスカリバー法は、某ゲーム会社から商標利用権を取り付けるのが一番手間が掛かったという実しやかな噂がある。
ともあれそうした経緯で、ストーンヘンジ・エクスカリバー(冗長だがこの名称がそのまま採用された)は世界各地に建設された。旧ロシア地域ではカスピ海の北のルィン砂漠に建設され、掃宙に大きな役割を果たした。そして後に世界の危惧通りに、照準用タワーが高さ一〇〇〇メートルに改修され対空兵器に転用されることになる。
話をNASDAMの宇宙開発計画に戻すと、NASDAMは宇宙開発の目的を「宇宙空間への安定した耕作地(NASDAMは頑なに植民地とは言わなかった)の建設」に定め、それに付随する肥料・作物の運搬や耕作地のメンテナンス、耕作地で事故が置きた際の対応などの策定など、多岐に亘る事項をその業務とし、その技術開発予算は鰻登りに拡大し、関連産業が潤うことで経済が活性化した。
二〇四四年現在、第三次世界大戦で生じた破片の掃宙はほぼ完了し、NASDAMは月との共鳴軌道上に長期耐久試験用の実験耕作地衛星の組立作業を行っている。「再」開発されたエネルギアⅡロケットとブランⅡによる打ち上げは一月に一回のペースで行われ、その予算規模はアメリカ航空宇宙局を凌駕するほどに膨れ上がっており、戦災復興の象徴の一つとなっている。
何やら誰かの「NASAが持ってたものソ連が持ってたものは全部欲しい!」という思いが反映されている気もするが、気の所為ったら気の所為である。