坂の上の、雲のむこう
※このお話はフィクションです。
突然新国家の首都に定められた野星(旧称:ノヴォシビリスク)は、夏は厳しく、年によって冬の寒暖の差が激しく(必ずしも暖かい年でも世界平均で暖かいとは言ってない)、昼夜の温度差が大きい土地ではあるが、シベリアの交通結節点であり、大河オビ川に接し、また広大な土地が余っているなど、首都に必要な諸施設の建設には非常に適した土地だった。
とは言え、幾らなんでも約二年後の建国宣言までには到底用意は間に合わないので、市内の諸施設が借り上げられた上で、新たな都心の建設を行うこととされた。
新都心に置かれることになったのは、皇宮、征夷大将軍たる大統領官邸(内閣府)、内務省、外務省、国土交通省、財務省、法務省で、例えば兵部省は都心から外れた野星市外、経済産業省は東京、文部省は京都、科学技術省は筑波、災害復興省はハルキウ、環境資源省はキーウなどへ分散して置かれた。
これは健康的で文化的な最低限度の生活を新国家の隅々に行き渡らせるには、国土全体の抜本的な開発が必要とされたためで、省庁を全国土に分散して配置することにより、嫌でもその土地に金を落とさせるという意図があった。
けっして、核戦争時に生き残る確率を高めるための政策ではないので、その点は注意する必要がある。
話を「健康的で文化的な最低限度」の生活の話に戻すと、そのレベルは衣食住の他、情報通信へのアクセスに不自由しないものであると設定された。そのためには各種民需製品が製造施設から何から不足していたし、その製造施設を作るには第三次世界大戦時に供給が停止された、各種工業製品が必要だった。
そこで二〇二四年新国家建設委員会は、元々それらの点が不足しており、敗戦で一気に世界最貧レベルまで低下したロシアの人々の低賃金を逆手に取って、生産コストに悩む各種民需製品の生産施設を誘致した。新国家建設委員会は、世界中から高コストに悩み閉鎖された工場などを買い上げては次々と設備移転を行い、また新国家の省庁庁舎の建設、第二シベリア鉄道(標準軌)の敷設、老朽化したソ連時代の大規模インフラストラクチャの解体・更新など、大規模な公共事業が幾つも事業化された。
世界は当初、二〇二四年新国家建設委員会に対する日本銀行の通貨発行量や、税制の単純化による減税を見て、国家財政の破綻とハイパーインフレーションが到来するものと見ていたが、一度文明的な大量消費社会を知った(そして第三次世界大戦により消費が一度後退した)ロシア社会は、それら公共事業により安定した雇用が創出され、潤沢な補助金と相俟って懐が暖かくなると、旺盛な購買意欲が生まれ、瞬く間に好景気が到来した。
他方、ウクライナの戦災復興の目玉は、新国家の国号にもなった超大型輸送機アントノーウAn-225「ムリーヤ」の再建と量産、だった。
元々通常の輸送機では輸送が不可能な貨物の輸送に引っ張り凧であったAn-225は、第三次世界大戦に於いて破壊されたが、未完成のまま全体の六割程度のパーツが揃っていた二号機と設計図面から、リバース・エンジニアリングし西側規格に合わせる改設計を行った上で、再建・量産し、世界中の大型貨物の航空輸送を牛耳ろうというのが、新国家建設委員会の野心だった。
そのためにはやはり生産設備から何から用立てる必要があったし、新国家建設委員会はそのための設備を丸ごと買ってくるか、または一から作り出す手間と金を惜しまなかったので、ウクライナも好景気が訪れたが、しかし何よりも言語の障壁が、国家の合同に際して壁となった。
今や機械翻訳でもそこそこ正確な翻訳結果が得られるとは言え、やはり正確な意思の伝達には言語教育や相応の教育を受けた通訳者が欠かせない。そこで新国家建設委員会は、世界中から日本語・ロシア語・ウクライナ語の何れかまたは三つを流暢に話せる話者を、三顧の礼と高額の報酬でもって迎え、通訳者や教育者の大規模な育成を開始した。
これらの政策は殆ど日本側が主導して日本側の出資で行われたので、「日本の滅私奉公」と揶揄されたりもしたが、一度国家総力戦態勢に突入した日本人は、そうした評価を一切気にしなかった。
元来、国内生産の高コストに喘いでいた「国外に置いても問題ない」生産設備はどんどんロシアやウクライナの大地へと移転し、日本列島内の産業は空洞化が進んだ。同時に言語の壁さえ乗り越えれば旺盛な雇用がある、ロシアやウクライナという「国内」への人口の流出が始まった。
しかし逆に、ロシアやウクライナから高度な技術を持ってやってくる人々の流れもあった。
特にロケットや人工衛星、コンピューターの技術者が多いことに、どれほどの情報機関が気付いていただろうか。
新国家建設委員会は国民一人ひとりの生活水準の向上と平均化を、明治日本人が目指したような坂の上の雲に設定したが、国家としてはその更に向こうを目指そうとしていた。




