蛇足の蛇足:「ハルキウの鬼神」曰く--
「ああ、「彼女」のことなら私も知っている。君も知っている様に。
だが話せることはそう多くも、また長くもない。
古い話だからね。それに、私の記憶ももう、薄れてきている。
否。
忘れたがっている、と言うべきか。
知っての通り、あの戦争は侵略戦争以外の何物でも無かった。
私達は裁かれるべき絶対悪であり、それは私達がムリーヤ人として通底するナショナル・アイデンティティを確立した今でも、胸に痛みを伴って刻まれ続ける罪の証でもあり続けている。
私達にとって、「彼女」は眩いばかりに輝く正義の証だった。
勿論、我が妻の次に、だが」
そう言って何の衒いも無く傍に静かに控えていた夫人を抱き寄せた彼は、第三次世界大戦に於いてその名を轟かせた元ロシア軍パイロット。撃墜数三十二機、被撃墜数三回を数える、紛う事無きエースパイロットだ。
通称、「ハルキウの鬼神」。
基本的に悪役として扱われる事の多い元ロシア軍に於いて、唯一と言っても良いほど褒め称えられる事の多い人物である。
「私と「彼女」が戦場で相見えたのは一回きり。第六次ハルキウの戦いでのことだった。
君も私にインタビューを挑むからには既に知っているだろうが、空中戦、それも戦闘機同士のドッグ・ファイトでは、相手の死角を取った者が勝者となる。
犬と言われようと、畜生と言われようと、卑怯者の誹りを受けようと、ドッグ・ファイトではそれがルールだ。
私は他人よりほんの少しだけ、その死角を取るのが上手かった。それが、戦場で生き残り続けた理由の一つだと思う。
だが分隊を組んで戦うのは非常に苦手でね。誰かの指揮下で戦うのも、誰かを指揮しながら戦うのも上手く無かった。
加えて素行も良く無かった。「大統領親衛飛行隊」に選ばれなかった理由の一つだ。君も知っての通り、あの部隊は思想調査も選考内容に入っているからね。
話を第六次ハルキウの戦いに戻そう。
あれは人生で二番目に酷い乱戦だった。
警戒装置もレーダーも混沌を極め、目視外射程戦など論外だった。敵味方識別装置の反応を元に、最終的には目視で目標を見極めなくてはならなかった。
地上からの対空砲火は敵味方関係無く襲ってくるし、どう考えたって、現代的でまともな戦場じゃなかったことは確かだ。如何に電子機器の性能が向上しようとも、その性能や数が拮抗していれば、最後は直接的な殴り合いになるという典型例だった。
そんな中を臆せず突っ切って、ハルキウを包囲する我々ロシア軍に立ち向かってくる彼等を、私は嫌になる程退けた。
「彼女」を見つけたのは、その日二回目の出撃だったと思う。天候は晴れ、時間は正午を回った頃だった筈だ。私は敵の第三波の攻撃を撃退して、忙しなく周囲を見回しながら、高度を取り直していた。
そして、気付いたのさ。恐ろしい程の低い高度を、恐ろしい程の速さで飛ぶ灰色の一団。それがシーグルズ隊だった。
「彼女」達の乗機の搭載量を知っているか?
一機辺り二十四発、計六トンずつの無誘導爆弾だ。それがほぼ音速で飛来するのを想像して欲しい。地上部隊に齎す被害は考えたくも無い。私は偶然にも、「彼女」達に対して太陽を背にして逆さ落としを掛けられる位置を飛んでいた。
即断で機体を翻し、急降下させた。不意討ちするため、レーダーも機銃のレーザー測距装置も切っていた。IRSTだけで「彼女」達をロックした。
だが――「彼女」達は私がミサイルを放つよりも早く、回避機動に入った。「彼女」の機体を除いて。
私はその時、「彼女」を確実に撃墜出来ると確信してミサイルを放った。「彼女」達はアフターバーナーを焚いたままだったから、ミサイルのシーカーは確実に「彼女」を捉えていた筈だった。
しかし「彼女」の機は、まるでそう飛ぶのが当然の様に、突然進行方向に対して九〇度横に機首をオフセットして急減速した。
ミサイルは普通、シーカーに目標を捉えながら、目標の未来予測位置に向かって飛翔する。私が放ったミサイルは、二発ともその急減速に対応出来ず、オーバーシュートして大地に突き刺さった。
「彼女」の機は、何事も無かったかの様に機首を進行方向に戻し、そして唖然とする私の目の前で――釈明させてもらうならば、その時既に私の機はミサイルを撃つには近く、機銃を撃つには遠い間合いに居てどうにもならなかった――、懸架していた爆弾を全て我々ロシア軍の陣地に投げ込んだんだ。
信じられるかね?
完全に真後ろを取られた状態で、正確に私との間合いを測り、ミサイルも機銃も撃てない距離であると見切り、爆撃照準を続けて成功させるその判断力を。
私には無理だ。
投弾から加速して離脱機動に入った「彼女」の機を、私は必死に追った。気が付けば、私は先に離脱した「彼女」の仲間達に囲まれ始めていた。機銃の照準装置をオンにして、「彼女」との距離を詰めた。
まあ、それが敗因だったのだがね。
急上昇する「彼女」の機を照準に捉えた瞬間、「彼女」は私から見て、私の背後へと瞬間移動した。
正確に言えば、「彼女」は単に、急にエンジン出力を絞りながらラダーも駆使して減速しつつバレルロールしただけだったのだが。
そして信じられない事に、「彼女」は私の後ろを取ったその瞬間、バレルロール中に放射状に乱れる射線が、私の機と交錯するその一瞬だけ機銃を放って、尚且つ飛散する私の機の破片を上手いこと避けてブレイクしたのさ。
何を言っているか分からないって?
安心したまえ。私も戦後、ガンカメラが捉えていた機動を検証して、「彼女」からも直に話を聞いて、やっと何が起きていたのか理解したレベルだから。
兎も角、そうして「彼女」の機銃を被弾した私の機はエンジンを破壊され、私は脱出を余儀なくされた。幸い怪我も無く味方陣地の近くに降りられたので、直ぐに戦列には復帰できたが、「彼女」の異次元の胆力と判断力には恐れ入ったね。
まあ、「彼女」と戦場で遭遇したのはその一度きりだ。
次に「彼女」と再会したのは戦後、アグレッサーとして半ば強制的に現役復帰させられてからのことだったが……」
「ハルキウの鬼神」は一旦言葉を切ると、遠くを見るような目をする。
「ベクタード・スラストも無しに機体をあれだけ振り回せるのは、後にも先にも、きっと「彼女」だけだろう」
その一言に、「あんなのが人類史に何人も居て堪るか」という怨念にも似た感情が込められている様に、私は感じた。




