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キーウの幽霊、またはハルキウの鬼神と呼ばれる人物について

※このお話はフィクションです。

 太陽を透かしたような金糸に、着せ替え人形のような相貌の麗人。

「彼女」が先の大戦に於ける撃墜王の一人だということは、余り知られていない。

 誰しも、二の腕の先が金属質で作られているのを見れば、「彼女」の痛ましいであろう過去を、態々穿り返して詮索するような真似は、普通はしないからだ。

 そしてまた「彼女」も、敢えてその過去を詳らかにしたりはしなかった。

 ただ、襟元に付けたウイングマークだけが、かつて彼女がパイロットと呼ばれる人種であったことを物語っている。


「彼女」は、戦場に立つ戦乙女の一人だった。

 国家が命じる儘に、己の意思を介在させる余地なく、戦うことを強いられた者の一人だった。


 空への憧れが高じて、史上最年少でパイロットの資格を得た。

 そしてあの日の混乱の最中、動力付グライダーでキーウ上空を逃げ惑い、回避機動だけで敵機を墜落に追い込んだ腕前を買われ、促成栽培で戦闘機パイロットに仕立て上げられ、戦うことを選ばざるを得なかった。

 その事に、否があるわけではない。

 何度その立場に立たされても、何度後方へ下がるという選択肢を与えられても、やはり祖国のために戦っただろう、と「彼女」は結論している。

 国家の存亡をかけた全面戦争とは、本来銃後に居るべき人物だった「彼女」をして、そう決意させるものだった。


 その裏で、あの日「彼女」を見逃した「あの人」に、もう一度会いたいという思いが無かったと言えば、嘘になる。


 あの日、二機編隊に襲われた「彼女」は、回避機動によりその片割れを「撃墜」した。

 そして、もう一機に撃墜される、はずだった。

 しかし、運命はそう定めなかった。


「あの人」は「彼女」が乗ったグライダーに、失速寸前まで速度を落として寄り添うと、バイザーを上げ、ハンドサインで「東南東へ逃げろ。そちらは手薄だ」と示し、去っていった。

 その澄んだ瞳に、あるいは自分を見逃したその真意に、再び接したいという気持ちが芽生えなかったと言えば、嘘になる。

 示されるがままに飛んだ先にあった飛行場へ、殆ど不時着に近い形で降り立った彼女を迎えたのは、偶々回避機動で一機「撃墜」するところをレーダーに捉えていた、祖国の地上部隊だった。


 戦争は、人々に対して等しく無慈悲だ。

 仮令どんなに個々人が至誠に努めても、戦争とは破壊行為である。

「彼女」が軍人として最初に所属した飛行隊は、戦争中期を迎える頃には、半数にまで機数を減らした。

 互いの出撃回数からすると、それは最早奇跡の類だったが、その間本当に、「彼女」と「あの人」は一度も遭遇しなかった。


 そして、八月六日の朝を迎えた。


 当日はハルキウ上空に第二陣として、隊長と共に切り込む算段になっていた。

 予定は、離陸の順番を待っている間に崩れた。

 航空撃滅戦の意図を汲んだ敵軍もまた、こちら側へ積極的に空襲を仕掛けてきたからだ。

 順番が繰り上がり、滑走路を僅かに飛び上がったところを、隊長は撃墜された。

 隊長を撃墜したのは、特徴的な撃墜マークが記された、「あの人」のものとされる機体だった。

 実戦に於いて、肉眼で捉えられるほど敵機と近接することは、殆どない。

「あの人」は単機、レーダーの覆域の下を飛び、機銃で真横から隊長を横撃した。

 だから、それを「彼女」の眼は捉えられたのである。


 それに、激しなかったと言えば、嘘になる。

 気のいい「姐さん」だった隊長の命を、無慈悲に刈り取ったビームアタックの主を、憎まなかったと言えば、嘘になる。

 その日、「彼女」は「あの人」を執拗に追いかけ回した。

 整備兵の静止も聞かず、最低限の整備を済ませるや否や、空に飛び出した。


 戦場神話は、そうして出来上がった。


 夕暮れ時の空で、二人は再び相見えた。

 遭遇するまでの過程で、二人はミサイルを撃ち尽くし、数射分の機銃砲だけを携えるのみだった。

 何度かの交錯の末、「あの人」の背後を占めた「彼女」に対し、オープンチャネルで「あの人」は諭した。

「もう下がれ、帰れなくなるぞ!」

 それに対し、「彼女」もまたオープンチャネルで応えた。

「臆病風に吹かれたか、腰抜け!」

「違う、そうじゃない!」

 続けられた一言に意表を衝かれ、「彼女」の手は一瞬、僅かに振れた。

 そしてそれが、勝負の分かれ目となった。

 俗にクルビットと呼ばれる大減速機動を取られ、「彼女」は「あの人」の機体を追い越(オーバーシュート)した。

 背後に消えた「あの人」の機体を振り向こうとしたところで、「彼女」は衝撃に見舞われ、そして反射的に脱出レバーを引いたところで、意識を暗転させた。


「――っの、阿呆! 死ぬんじゃない!」

 意識を取り戻した時、視界を最初に占めたのは、「あの人」の瞳だったと、「彼女」は後に記している。

 まだ不明瞭な意識の「彼女」に必死に呼び掛ける「あの人」を見、「あの人」が自分と戦う理由を厭った感情に、納得したとも言う。


「彼女」の機体は「あの人」の撃った機銃弾に切り裂かれ、僅かに脱出のタイミングを逸した「彼女」は、愛機から脱落飛散したタービンブレードの破片に突っ込むことになった。

 奇跡的に落下傘には被弾しなかったものの、「彼女」の二の腕から先はその時に切り飛ばされた。

 続いて、「あの人」の機体も「彼女」の機体の破片に真っ向から衝突し、「あの人」もまた墜落の憂き目に遭った。

 二人が極至近距離に不時着したのは、奇跡という言葉では言い尽くせない程の僥倖だった。

 今次戦争で最多被撃墜記録を保持している「あの人」の強運は、この場でも遺憾なく発揮され、「あの人」は軽傷で済んだ。

 そして血溜まりに倒れている「彼女」を発見し、泡を食ってフライトスーツをサバイバルキットで裂いて止血し、発煙筒を炊いて誰彼構わず救助を要請した。

 ハルキウ市内に墜落した二人の前に現れたのは、爆音を聞いて恐る恐るながら救助に向かった、ハルキウ市の消防隊員だった。

 一刻を争う状態の自国パイロットを、必死の形相で手当して呼び掛ける敵国パイロットという光景に、彼らがどういう感情で接したのかは、明らかになっていない。

 明らかになっていないが、「彼女」の傍を「あの人」は決して離れなかったし、それが許されたという事を以て、オープンチャネルで思いの丈を顕にした「あの人」に対し、比較的好意的に接したのではないか、というのが、歴史家の通説である。

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