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八月九日ハルキウ近郊の戦い

時系列で言うと本編に組み込むべきですが、敢えてこっちに投下します。

 第七次ハルキウの戦いの第二ラウンド、ハルキウ大戦車戦が勃発したこともまた、先に述べた通りであるが、重ねて詳述しておくことにしたい。

 八月六日時点でハルキウ近郊(半径五〇キロ圏内)に展開していた双方の前線戦力は、概ね以下の通りになる(以下、全て西側に位置していた主な戦闘単位から列挙)。


・日宇連合軍(西側)

 ・JTF-ウクライナ臨時第一機甲軍

  ・臨時第一機甲師団

   ・第一独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

   ・第十二独立戦車大隊(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第二機甲師団

   ・第十七独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

   ・第三独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第三機甲師団

   ・遣欧第一独立戦車連隊(日本国陸上自衛隊)

   ・第十四独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第四機甲師団

   ・遣欧第二独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元イタリア軍)

   ・遣欧第三独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元フランス軍)

   ・遣欧第四独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元イギリス軍)

   ・遣欧第五独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元ドイツ軍)

・ロシア軍(東側)

 ・臨時第一機甲軍集団

  ・臨時第十一軍

   ・臨時第一〇一戦車大隊

   ・臨時第一〇二戦車大隊

   ・臨時第一〇三戦車大隊

   ・臨時第一〇四戦車大隊

  ・臨時第十二軍

   ・臨時第二〇一戦車大隊

   ・臨時第二〇二戦車大隊

   ・臨時第二〇三戦車大隊

  ・臨時第十三軍

   ・臨時第三〇一戦車大隊

   ・臨時第三〇二戦車大隊

   ・臨時第三〇三戦車大隊

  ・臨時第十四軍

   ・臨時第四〇一戦車大隊

   ・臨時第四〇二戦車大隊

   ・臨時第四〇三戦車大隊

  ・臨時第十五軍

   ・臨時第五〇一戦車大隊

   ・臨時第五〇二戦車大隊

   ・臨時第五〇三戦車大隊

   ・臨時第五〇四戦車大隊


 上掲はこの戦いでの主な戦闘(指揮)単位に従ったものであり、実際の部隊名や規模は大きく異なる旨、予め明記しておきたい。

 特にロシア軍については、キーウへの攻撃が破綻した後の、ハルキウへの攻勢正面転換に伴った再配置で元々の部隊(大隊戦闘団)単位での配置が間に合わず、結局半ば自棄になったかの如く近在の部隊同士を纏めて一つの大隊として指揮しており、員数の上では軍集団に相応しかったものの、戦車大隊を称しておきながらその実態は対戦車車両(≠戦車)が多数を占める機械化歩兵大隊だった事例もあるなど、決戦前から敗北する要素には事欠かなかった。

 それでも、ハルキウを包囲下に置き、野戦陣地を構築して鶴翼の陣を敷き、後方にはロシア伝統の野戦砲部隊が手厚い饗応の準備を整えており、絶対数でも勝っているなど、ロシア軍に勝ち目が無いわけではなかった。

 対する日宇連合軍はと言うと、八月六日の大航空戦の下でハルキウ近郊に進出したばかりであり、歪な横陣(左翼のウクライナ軍が前に出ていたので斜行陣とも言える)で対峙していた。

 その彼我の絶対数は言うに及ばず、野戦砲部隊の進出も遅れており、何なら前進したばかりの彼らには燃料がこの会戦分しか無く、更にはこのような大規模会戦の経験も無ければ、規模・練度・兵器の性能も異なり、母語も異なる集団の統一指揮の経験など(三十一年前の湾岸戦争を戦ったアメリカ軍を除けば)ある筈も無く、一度戦線の何処かが綻べば、総崩れになる恐れを孕んでいた。

 勝っている点と言えば、士気と情報通信能力ぐらいのもので、JTF-ウクライナ司令部に詰めていた日本人参謀が端的に、

「この戦い、湊川だな」

 と表現して遺書を認めたという逸話がある。

 その遺書が任を全うすることは無かったのだが、当事者はそれ程の危機感があった。

 実際の戦闘は、夜明けと共に期せずして、両者ほぼ同時に始めた前線への長距離重砲砲撃を嚆矢として、双方の対砲兵射撃カウンター・バッテリーが行われ、その投射量と精密性の差から、正午を回る頃には双方とも野戦砲部隊が壊滅した(純軍事的には「全滅」と表現される)。

 中でも、事前の通信内容から指揮系統に問題を抱えていると分析されていたロシア軍の前線司令部は、二度も重砲射撃の直撃を受けながらも、前線を崩壊させること無く東西に陣地を転換して戦闘を継続し、JTF-ウクライナ臨時第一機甲軍司令部の心胆を寒からしめた。

 ロシア軍の奮闘は、日宇連合軍に絶対数で不利な機甲部隊の突撃を決断させ、ここにハルキウの戦い第二ラウンドの最高潮、ハルキウ大戦車戦が勃発した。

 時に八月九日十四時十七分。

 日宇連合軍は、右翼に向けてやや退いた形になっていた陣形から、最も防御力が優れていた一〇式戦車七十輌余りを有する遣欧第一独立戦車連隊を擁した、臨時第三機甲師団を前面に押し出して、蜂矢の陣でロシア軍中央を突破・分断しての各個撃破を狙って突撃を開始した。

 これに対し受けて立つロシア軍も、梯団の包囲撃滅を図って鶴翼を狭め、十五時頃には前線で双方入り乱れての戦車同士の凄絶な殴り合いに発展した。

 どちらが勝ったとも言えない状況の中、最終的に戦場を制したのは、粘り強く通信の傍受に努め、三度ロシア軍の前線司令部の位置を特定した、日宇連合軍だった。

 陽が傾き始め、ハルキウ大戦車戦にドローの公算が高くなり始めた頃、日宇連合軍全部隊に対し「凸レ(突撃準備隊形作レ)・敵司令部位置」の通信が行われるや、日宇連合軍残存部隊は正面の敵は無視して、遮二無二ロシア軍前線司令部への統制突撃を敢行した。

 水際立って行われたその突撃に対し、指揮系統の問題からロシア軍の対応は一瞬鈍り、それが勝負の分かれ目となった。

 今日では飽和攻撃の一種として理解されるそれに、ロシア軍前線司令部は果敢に反撃し大損害を与えたものの、最終的には弾薬を撃ち尽くして燃料切れも間近に迫った、何れかの日宇連合軍の戦車部隊(部隊名は今日に至るまで明らかにされていない)に、文字通り踏み潰されて潰滅した。

 そして前線を支えた立役者だった前線司令部が潰滅すると、ロシア軍は指揮統制が取れなくなり、各個に独自の判断で退却を始めた所を衝かれ、各個撃破の憂き目に遭った。

 日が暮れた頃、ウクライナ陸軍が温存してきたOTR-21戦術任務ミサイル複合体「トーチカ」の一斉射撃で、前線司令部に代わって退却の指揮を試みていたロシア臨時第一機甲軍集団司令部が爆砕されると、以後、ロシア軍は総崩れとなって、従来の国境線の向こうへと這々の体で撤退することになった。

 対する日宇連合軍(臨時第一機甲軍)も、その主力は純軍事的表現では「全滅」に等しい損害を蒙り、後方で活動していた機械化歩兵部隊にハルキウ入城の先頭を譲ることになった。

 JTF-ウクライナ司令部がハルキウの奪還を宣言したのは、六日後の八月十五日のことである。

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