国産み
※このお話はフィクションです。
西暦二〇二二年の第三次世界大戦の結果、敗北を受け容れたロシアを吸収した日本国は、ソビエトの継承国であるウクライナとの国家統合交渉に臨んだ。
ウクライナは廃棄空母を中華人民共和国に売却するなど、戦前までは潜在的には日本国の仮想敵国だったが、第三次世界大戦に於いて開戦の原因がどこにあるにせよ、日本国は一貫してウクライナの肩を持った。それは、法的にはかなりというか完全にアウトな行動ではあったが、ロシアを降伏せしめた今となっては最早、現状を追認しなくては戦後世界が成り立たず、今更「今までのことは法律違反だったから日本国は撤退します!」などと言い出せるような状況ではなかった。
ともあれ、首尾一貫してウクライナ側に立ち、ついには憎きプッティン政権を打倒せしめた日本国に対し、ウクライナ国民の好感情は頂点に達しており、その日本が自らウクライナへの編入を望むというのだから、それはもう既定路線と言っても差し支えなかった。
尤もそれ以前に、ロシアの降伏条件に日本国、ウクライナとの国家統合は含まれているというのが法解釈の通説だったし、更に戦時中の超法規的措置として法定通貨をフリヴニャから日本円に一対一〇の交換レートで切り替えていた上、剰え戦費、復興費用の一切を国家統合に際して負担する、というのが日本の国際公約だったし、何より戦時中に両国議会で些細な政体の違いは脇に置いておいて、取り敢えずの国家統合は議決され確定していたのだから、今更ウクライナ政府に拒否の余地があったかどうかという点については、忘れられるべきではないだろう。
国家統合交渉に臨んだ日本側は、一連の法律・条約・国際法違反の責任を取って吉田内閣が総辞職しており、新たに成立した孫養文毅政権が日本国の全権委任を受けてウクライナに来訪した。
一方のウクライナ側は、戦争前は低支持率に喘いでいたものの戦時中に国民の信頼を勝ち得、支持を受けたヴラディミール・チェレンコフスキー政権が、引き続いて国家統合交渉に当たった。
双方はまず第一に、ロシアの降伏条件である、日本国天帝第一皇女チカコ殿下を新国家の元首たる皇帝に推戴することを確認し、ここに新国家への合同が既定路線であることと、新国家が体裁上君主制を採ることを確認した。
次に二国(三国)合同の手順について、各々の最大地方自治単位を道・州に揃え、現在その上に存在している両国政府機関については統合へと発展的解消を行うことが確認された。
その際、日本国国民統合の象徴である天帝の存在、地位がやや問題になったが、皇帝に即位する予定であるチカコ殿下の、
「日本国天帝は新国家皇室の宮中祭祀を執り行う、私的な神官という位置付けにしてしまいましょう。その継承方法や公の地位は法律で定めず、皇帝が私的に奉るということで」
という鶴の一声で、ロシア大統領を降伏せしめた女性がそう云うなら……ということで、そういうことになった。
また新国家の首都をどこに置くかも問題になった。人口・経済力や歴史の長さから言えば日本国内に置くのが妥当かもしれないが、それでは国の重心が東に偏り過ぎ、かと言ってキーウやハルキウでは西に寄り過ぎというものだった。
ちなみに旧ロシア領の諸都市は一顧だにされなかった。
SFアニメーションにかぶれた一部官僚などは「いっそ宇宙に置いてはどうか」などと言い出していたが、一連の戦争でロシアに破壊された人工衛星とその多数の破片が漂う宇宙空間は、とてもではないが安全な場所とは言えず、早々に却下された。
決め手となったのは結局チカコ殿下の意見で、
「それでは敗戦したロシアの地位が低くなり過ぎます。かと言って、モスクワやサンクトペテルブルクでは西に寄り過ぎ、またロシアに心を寄せ過ぎでしょう。ここは東西の中間点……シベリア鉄道が通っていて、相応に歴史と知名度と規模がある、ノヴォシビリスクにしましょう!」
ということで、その線で交渉が再開された結果、ノヴォシビリスクを日本語で「野星」に改称させ皇帝の御座所をそこに置き、また副首都にキーウと東京を定め、そこに二院制の最高議会の其々西院と東院を置き、中央官庁は各地に分散配置して高度なデジタル化を行って結ぶことで決着がついた。
戦費、復興費用、並びに新国家建設にかかる諸費用は、新国家成立前に日本国が全て用立てることが確認され、また新国家の法定通貨は、日本国が第三次世界大戦のクライマックスに於ける核戦争危機を招いたことで、それ相応に価値が下落していたが、世界的にはまだまだ強い通貨だったので、日本円がスライドすることになった。
また基本的人権の尊重、皇帝の推戴、政府首班・副首班の公選制、文民の定義、政府閣僚の構成要件、手厚い労働者保護、拷問の禁止、通信の秘密の保護、現代的で文化的な最低限度の生活を維持するための社会インフラ整備・維持の国家的義務、専守防衛、非核三原則並びに実戦使用可能な量の大量破壊兵器保有の禁止などが盛り込まれた新国家憲法の草案が作成され、その内容について細かな整合性を取った後、両国は合意に至った。
実は政府首班に与える名称で、ウクライナ側が「征夷大将軍」を希望したため一悶着あったのだが、最終的に日本側が折れ、政府首班は内閣総理大臣ではなく「征夷大将軍たる大統領」という称号が与えられ、政府副首班の名称が内閣総理大臣になった。
それは幕府の復活になるのではという意見もあったが、政府首班である征夷大将軍たる大統領は、必ず文民から直接選挙で選ぶことが憲法に明記されたため、幕府の構成要件である「軍人(武家)が政権を握る」が成立しないため、新政府は幕府ではないという反論が展開され、そういうことになった。