第99話 戦力喪失
AIの自閉モード。
何らかの問題が発生した際、AIが自らの判断で情報接続を全て遮断してしまう状態だ。
無線、有線通信はもとより、各種センサーからの情報収集すら特殊なフィルターを介して変質させ、受信情報から自身を隔離する。
これは、各波長の電磁波、あるいは音波などからセキュリティ・ホールを突かれる危険性を排除する為である。
そのため、自閉モードでは情報収集能力が極端に低下する。
また、敵味方識別信号の解析も停止するため、同士討ちを防ぐよう攻撃は威嚇射撃が優先されるようになる。
当然、外部からの一切のアプローチは無視される。
自閉モードを解除するのは、AIが問題解決したと判断するまでだ。
最悪の場合、自らが破壊されるまで自閉モードが解除されることはない。
「状況が改善しない場合、採掘プラントの放棄も選択肢に入ります。自閉モードでは周辺環境解析に多くのリソースが専有されるようになるため、戦闘能力が著しく低下します。全てのAIが撤退を判断したのはそのためですね」
「ちょ…っと、相当不味い状況かしら、これ…」
「はい、司令。戦闘能力は14%まで低下。彼我の戦力比は、10対3から10対22に悪化したと予想されます」
「負け確じゃん…」
戦力比はこれまで収集した情報から出された数値であり、予測不可能な魔法的な脅威は含まれない。
戦力比は更に悪化している可能性もある。
「石油港配置の戦略AIは、前線機械、特に頭脳装置に対する不正アクセスの可能性を報告しています。各機の自閉モード通知時刻に、若干のズレが確認されました。最初の報告は前線でコミュニケーションを取らせた1機ですが、それ以外は起点をテフェンとした同心円状に自閉モードが実行されています。テフェンから、何らかのアプローチが行われたと推測されます」
「えぇ…。ハッキングを仕掛けられたの? そんなことある…?」
「申し訳ありません。これ以上の考察は全て根拠のない推測、ただの妄想と変わりありませんので、不明としかお答えできません」
「…まあ、そうね。事実だけを論じるのが正解ね。それで、テフェンは?」
申し訳なさそうな<リンゴ>の様子に気付き、彼女も動揺を抑えて椅子に座り直した。
どうせ、ここから出来ることは殆ど無いのだ。見守るしか無い。
最悪オイルポートを破棄する事になっても、次はもっと大戦力で挑めばいい。
石油は損切りし、海底鉱床の開発に全力を傾ける。樹脂原料は化学合成を行うか、藻類による生産に切り替える。
効率は悪いが、不可能ではない。プランも策定済みである。採掘に比べてコストが非常に重いため、採用しなかっただけで。
「はい、司令。今の所、動きはありません。若干、距離にして7m程度、群れ全体が前進しましたが、テフェンが1歩分踏み出しただけです。それ以降は停止しています」
「…。びっくりしてちょっと前のめりになったみたいな挙動ね…。いえ、単なる感想ね。忘れて頂戴」
「はい、司令」
さて。
今回発射された燃料気化爆弾は、これも<ザ・ツリー>内に眠っていた弾頭を再利用したものである。新規に同等の爆弾を製造する場合は、サーモバリック爆薬を使用する。
今回のこれは、まあ、在庫処分だ。分解しても大した資源にもならず、使えるなら使ってしまえと第2要塞に運んでいたものである。
「ミサイル、弾頭を分離しました。ミサイル本体は軌道変更、オイルポート周辺に落下予定。燃料気化爆弾はエアブレーキを展開、画像解析により進入角度を調整中」
本来であればGPS信号を使用して終末誘導を行うが、衛星がないため仕方がない。
多少着弾予定地点に誤差が発生する可能性があるが、まあ、文字通り誤差範囲内である。
「起爆まで、5秒、3、2、1、今。正常に爆発しました」
望遠映像の中、上空から突入してきた弾頭が弾けた直後、オレンジ色の閃光がテフェンとその群れ全体を包み込んだ。
今回使用した燃料気化爆弾の加害半径は、200m程度。テフェン本体とその群れ全体が完全に包み込まれる大きさだ。
「…。ダメージを与えられるのかしらね?」
「不明です、司令。防ぎきられる可能性のほうが高いかと」
蠍の持っている防御膜は、数発の砲弾直撃は完全に防ぎ切る性能を持っていた。
<レイン・クロイン>との戦いの分析により、この防御膜は効果を発揮している間はほぼ完全に機能し、自身にダメージを与える可能性のある圧力を分散する性質があると判明している。
燃料気化爆弾の爆圧は、加害半径全体に満遍なく発生するが、効果時間自体は長くない。
防御膜が効果を失うまで、その殺傷能力が維持されているとは考え難いのだ。
「それでも、牽制にはなります。我々がこういった攻撃能力を持っているというアピールにはなるでしょう」
やがて、爆発によって発生した煙と粉塵が流される。中から現れたのは、無傷のテフェン。
そして、ところどころひっくり返ったり折り重なったりした、サソリ達であった。
「テフェンには目立った損傷は確認できません。その他のサソリも、死傷しているようには見えませんね。やはり、防御膜によって爆圧が完全に防がれたと見て間違いないでしょう」
「…あ、動き出した」
ひっくり返っていたサソリが、慌てたように尻尾とハサミを動かし、戻ろうとしている。ひっくり返ったまま動かない個体も見られるが、もしかすると衝撃で気絶しているのかもしれない。
「…他個体の補助を行う個体が確認されます。やはり、何らかの情報共有を行っていると思われます」
しばらくすると、群れ全体が動き始めた。気絶していたと思われる個体も、他の個体に転がされ、目覚めたようだった。
わさわさと脚を動かし、移動を開始する。
「お、お? すごい、テフェンに乗った!」
移動するサソリ達は、そのままテフェンの胴体に登り始める。テフェンも登りやすくするためか、胴体を地面に下ろした。
やがて、サソリ全てが乗ったことを確認したか、テフェンはゆっくりと体を転回し、歩き始めた。
「去っていくわね…」
「ひとまず、一触即発という状況は回避できました。採掘プラントの開発は継続しましょう。問題は、自閉モードに入ったAIですが」
「解除できるかしら?」
「情報不足ですので、何とも。ただ、テフェンが原因であれば、テフェンの撤退によって解除の判断を行う可能性はあります。こちらの攻撃により、テフェンが何らかのダメージを受け、撤退したように見えますので」
「そうねぇ…」
はあ、とため息を吐き、彼女は椅子から立ち上がる。
「あの子達の所に行くわ。ストレス値は問題ないのよね?」
「はい、司令。適宜フォローしていますので、問題ありません。緊張状態ではありますが、許容範囲内です」
◇◇◇◇
広い割に、餌の少ない不毛の地。
それが、その場所に対する認識だった。わざわざ縄張りに組み込むまでもない、うまみの少ない土地だ。基本的に放置である。
しかし、どうもその場所に、新たな群れがやってきたようだ。
偵察に向かわせた眷属が、それと交戦。こちらよりも巨大な体、正体不明の攻撃。
一応、こちらを威嚇するような知性はあるようだった。姿かたちから、隣の群れとは別の勢力。
自分の縄張りに入ってこなければいいのだが。
放置すると碌なことにならない、というのがこれまでの経験で得た知見である。とりあえず一当てして、共存するか敵対するか、見極めなければならない。
眷属達を集め、移動する。頭上に、何か小さいものが飛んでいる。もしかしたら、新しい群れの眷属なのかもしれない。自分と同族以外の群れと遭遇するのは、これが初めてだ。
この周囲には同族以外の群れは居なかったが、他の場所には別種族が居るというのは、何となく理解していた。もしかすると、この新しい群れは海から上がってきたのかもしれない。
そんなことをとりとめなく思索しながら、それは新しい群れの眷属達と相対した。
とりあえず、交戦の意志の有無を確認しようと思念を飛ばしたのだが、その瞬間、相手は波が引くように下がっていった。この行動に驚き、それはしばし硬直する。
何か攻撃をされたが、それらは意図的に外していたようだ。全ての眷属が、そのような遠距離攻撃が出来るらしい。ただ、積極的な攻撃の意思は無いようである。
そして。
上から何かが降ってきた、と気付いた瞬間、視界が真っ赤に染まった。
どうやら、攻撃を受けたようだ。それは驚いただけでかすり傷もなかったが、眷属たちは一部が気を失ったようだ。かなり広範囲に攻撃があった、と判断する。
積極的攻撃意志は無いが、縄張りを侵すようであれば、全力で排除する。
そんな意志を感じ取り、それは引き上げることにした。こちらの縄張りを削り取りに来ないならば、それでいい。むしろ、この群れが来たお陰か、最近は餌も多くなっている。
それは、縄張りの巡回を増やさなければ、と考えながら、寝床に戻っていった。




