第97話 発射
「目標、テフェンが油田方向へ移動を開始しました。既に行動開始から2時間ほど経過していますが、進路変更の様子はありません」
「うー…。こっちに来てるってことね…」
緊急事態ではないが、知らせておいたほうが良い事態ということで、心苦しくはあるが、<リンゴ>は司令官の目が覚めた時点で伝えることにした。
「はい。この速度であれば、こちらの防衛圏に接触するのはおよそ12時間後。現在、第2要塞の航空機の出撃準備を行っています。石油港の滑走路が未完成ですので、即応航空戦力が乏しいのが懸念点です。ドローン基地の運用が間に合ったのは幸いでした」
<リンゴ>が表示したマップ情報によると、テフェンの移動速度は時速10km程度。あの巨体からすると、散歩しているような速度である。
まあ、巨体を動かすとなると相応のエネルギーが必要になる。これが巡航速度なのかもしれない。
そして、油田の防衛圏は、周囲5kmまでを設定している。非常に広大な範囲となるため、基本的に設置型センサーによる常時監視と、偵察機の巡回によって維持している状態だ。
多脚戦車、多脚偵察機による巡回も実施しており、監視については万全の状態と言えるだろう。
ただ、これは防衛戦力が分散しているということでもあるため、即応戦力の拡充を行っている最中だ。
特に、航空戦力を維持できれば第2要塞の負担も減るため、日夜工事を進めていたのだが、今回は間に合わなかった。
「目的が不明のため、こちらも戦力を集める程度しか対応できません」
「そうね。航空機で爆装もできたわよね。準備は?」
「はい、司令。通常炸薬であればすぐにでも。ですが、加害半径が小さいため、精密投下を行う必要があります。燃料気化爆弾搭載のミサイルを第2要塞から撃ち出す方が良いかもしれません」
「なるほど。<セルケト>の脅威度も不明なのよね。万が一対空能力があったら、主力のプロペラ機だと墜とされる可能性も考えないとか…」
プロペラ戦闘機では、時速はせいぜい500kmといったところが限界だ。相手は一応は生物であり、これまで対空能力を持った魔物という情報は得ていない。
しかし、そもそもこの北大陸では航空戦力など見たことがなく、空を飛ぶ魔物のような生物も確認できていない。
そのため、この<セルケト>が対空能力を持っているかどうかを判断することが出来ない。
「少なくとも、森の国は上空20kmを攻撃する力はある。だから、対空攻撃という概念は存在する。そして、巨大な魔物が上空1,000mを飛ぶ飛行機を攻撃できない、と考えるのは、さすがに楽観的すぎるわね」
「はい、司令。戦闘になった場合は、割り切って強行偵察を行うしか無いでしょう」
「オーケー。損害は許容するわ。<レイン・クロイン>並の脅威でも、今なら対応できると思うけど…。損害の許容ラインは適切に設定して。ラインを超えたら、即時撤退よ?」
「はい、司令。了解しました」
テフェンが歩くが、その巨体に比べると驚くほど静かで、砂煙もそれほど発生しない。体を引き摺ることもなく、その8本の脚を器用に動かしながら、滑るように移動する。
しかし、実際にテフェンが移動している現在、膨大な砂煙が発生していた。それは、付き従う小型の蠍達の影響だ。
テフェンが移動を開始してから6時間。付き従う小型サソリの数は50体にも上っている。
それらが移動することで、大量の砂煙が発生していた。
現在の移動経路が、砂地ではなく粘土質であることも大きく影響しているだろう。
「テフェンを中核とするサソリの群れは、相変わらず油田を目指して移動しています。幸いなことに、メステット側には動きはありません。流石に両方同時に動かれると、対応しきれなかったかもしれませんね」
「そうね…。でも、ほんとに何なのかしら。これだけの群れになってるってことは、本当に侵攻してくるつもりかしらねぇ…」
「単に狩場の移動かもしれませんが、推測する材料がありません」
「困ったものね。いや、まあそもそも先に侵攻を始めたのはこっちだから、仕方ないのかもしれないけどね」
しかし、砂漠にここまでの大きさの脅威生物が存在しているのは予想できなかった。
やはり、この世界について知らないことが多すぎる。
石油が確保できれば資源周りはかなり落ち着く。本格的に、腰を据えて情報収集に励んだほうがいいかもしれない。
「この<セルケト>だけど、森の国の大使からは聞き出せなかったのかしら?」
「はい、司令。巨大なサソリに関する情報はありません。隠しているのか、説明する必要がないと判断したのか、あるいは本当に知らないのか。<セルケト>の発見位置を考えると、単にこれまで発見されていなかったという可能性も十分に考えられますね。文明レベルから考えて、航空偵察は難しいでしょうし、地上を移動することも困難でしょう」
「なるほどね。まあ、考えてみれば、<セルケト>をあの程度の砦で防げるとも思えないし。普通に乗り越えられるよね、あれ」
「はい、司令。ですので、未発見と考えるのが妥当かと」
「何か、未発見とか目撃情報が殆どない魔物にばっかり当たってる気がするんだけど…」
彼女は思案顔でそう言うが、まあ、事実であった。というか、外洋にしろ長距離移動にしろ、そして砂漠にしろ、一定確率で出会ってしまい、そして出会った者が生きて帰れなかっただけという可能性が高い。
活動時間が長い、<ザ・ツリー>の勢力がそういった魔物に遭遇するのは、ある意味で必然であった。
テフェンが移動を開始してから、12時間が経過した。移動速度はほぼ変わらず、しかし途中移動ルートが変更されたり、蛇行したりという細かな変化があり、防衛圏到達まであと30分ほど、距離にして残り5kmというところに辿り着いていた。
「多脚母機、多脚戦車、対地攻撃ドローンの配置完了しました。複合センサーの設置は予定通り進捗中。接敵5分前に全ての配置が完了します。爆撃機は上空待機済みです」
今回も、統制指揮は5姉妹が行っている。<リンゴ>と司令官は、観戦モードだ。
ことこの状態になれば、<リンゴ>が介入しようがしまいが、結果にあまり関係ないだろうとの判断である。基本的には現地戦略AIによる指揮で、<ザ・ツリー>内からは方針を提示するだけになるからだ。
「多脚母機2機、多脚戦車85機、対地攻撃ドローン16機、爆撃機4機、偵察機2機が今回の全戦力です。
最上位AIは石油港に待機する多脚母機に設定中。
防衛優先、情報収集優先。
2割の損耗をライン設定し、これを超える損害が発生したタイミングで撤退判断を行います。
接敵まで20分程度」
多脚戦車は射線を通すため、多層構造で隊列を組んでいる。
レールガンによる一斉射撃が可能で、しかも、確認されている相手の数よりも多い。
少なくとも、テフェン以外の蠍は撃破可能だ。まあ、一番の問題はそのテフェン本体なのだが…。
「偵察機を上空に回します」
相手の出方を確認するため、そして詳細な情報収集を行うため、偵察機を1機、テフェン上空に移動させる。念の為、直上を通るコースは設定せず、通り過ぎるだけにするようだ。
「偵察機、コース変更開始しました」
上空1,000m、時速480kmで偵察機は接近を開始した。およそ1分程度で最接近する軌道である。マップ上に表示されるアイコンが、みるみるテフェンに近付いていき。
「ん?」
別の偵察機からの望遠映像の中で、テフェンが動いた。
ヒョイ、という擬音語が聞こえてきそうな動作で、自身の鋏を使い、サソリの1匹を上空に放り投げたのだ。
「んえ!?」
当然、テフェンのその巨体でそんな動作をすれば、相当の加速度が発生する。投げられたサソリは、クルクルと回りながらも、ぐんぐんと高度を上げていった。
「ちょ、大丈夫なの!?」
「はい、司令。交差軌道ではありません。ニアミスではありますが、遠距離攻撃手段がなければ届く距離ではありません」
接近させている偵察機からの映像が表示される。なんと、サソリは手足を目一杯広げ、体勢を安定させつつあった。とても、地を這う虫の挙動ではない。
「軌道計算完了しました。この姿勢を維持する場合、偵察機の上空15mほどで放物線の頂点となります。頭部を偵察機側へ向けていますので、観察している可能性がありますね」
「意味分かんないんだけど!?」
そして、<リンゴ>の言葉通り。
蠍は何事もなく偵察機の傍を通り過ぎ、そして順当に落下していったのだった。




