第96話 巨大蠍<セルケト>
もうもうと上がる砂煙。地面にピントを合わせると、たくさんの蠍が走っていた。
そして、その背後。
砂煙に紛れているが、巨大な影がゆっくりと動いているのが確認できる。
「これは…」
「非常に巨大な蠍が移動しています。これはおよそ1時間前の映像ですが、この地点で確認されました」
<リンゴ>が、マップ上にマーカーを表示する。
油田から南西方向におよそ200km。
まだ脅威になる距離ではないが、どうやらこの砂漠、とんでもない魔物が潜んでいたらしい。
「光学観測ですが、体長はおよそ40m。当然、通常の生物の枠組みには入りません。魔物ですね。脅威生物に分類されます」
映像が一時停止され、ワイヤーフレームになった魔物が表示された。鋏の先から尻尾の先まで、およそ40m。
尾を振り上げた状態で、20mから30mの高さになると予想される。
とても、人間が太刀打ちできるようなサイズではない…と思われる。
「こんなのがいっぱいいるの? この砂漠…?」
「いえ、さすがにこのサイズの魔物を見落としていたとは考え難いです。個体数は非常に少ないと思われます」
一応、超音速高高度偵察機LRF-1により広範囲の空撮は実施済みだ。
砂漠の隅々まで確認したわけではないが、それでも単に見落としていたということは無いだろう。
「現在、この魔物は移動中です。上空から観察した結果、地面に特徴的な移動痕が確認できました」
巨大なサソリと、周囲に群がる小さなサソリ。それらが同じ方向へ移動することで、地面には模様のような移動痕が残される。
砂漠地帯のため風で簡単に風化してしまうのだが、場所によってはそれが多少残ることもあるようだ。
「空撮画像を再分析しました。その結果、各地でこの痕に類似した地形模様が発見されました。当初は特殊な風紋と判断していたものですが…」
砂漠の各地で確認される、特徴的な移動痕。それらを地図上にプロットすると、おおよその分布が推測できる。
「砂漠全体、正確には空撮を行った範囲内ですが、5体から8体の巨大蠍が生息していると推測されます」
「…それでも、少ないとは言えないわねぇ」
「はい、司令。現在、痕跡が確認された地域へ偵察機を向かわせています。恐らく、通常時は地面に潜んでいるのでしょう。狩りか何か、移動が必要なときのみ地上に出てくると思われます」
こんな巨大な脅威生物が拠点周辺をうろついているとなると、安心して活動できない。
追い払うか、可能であれば討伐してしまいたいところだが。
「ひとまず、生息域…縄張りがあるかどうかも含めて、特定しましょう。こちらに近付いてこなければ、警戒するだけで済みますので」
とはいえ、既に一度、群れの一部とぶつかっている。こちらを脅威と見て近付いてこなければいいのだが、逆に襲いかかられる可能性もあった。
しばらく、警戒を続けるしか無いだろう。
「司令。巨大蠍ですが、5体まではその姿を確認できました。残りは2体と思われますが、移動痕から存在はほぼ確実かと」
「…ほう。じゃあ、存在確認できたのは全部で7体かしら?」
「はい、司令。これ以上の探査は、森の国に察知される可能性がありますので、避けたほうが良いでしょう。未探査の場所は、レブレスタ砦付近だけです。距離的には離れていますので、わざわざ探す必要は無いと考えます」
「うん。いいんじゃない? で、問題はこっちに近い奴らよねぇ…」
マップには、姿が確認された巨大蠍5体、撮影はできていないが痕跡が見つかった2体の表示がされている。
そのうち、油田の採掘プラントから距離100km以内に、2匹のサソリが存在していた。
「確定している7体に、ひとまず呼称を付けました。それぞれ、テフェン、ベフェン、メステット、メステフ、ペテット、テテット、マテットです」
7匹の蠍マーカーに、名前が表示される。
油田近くの2体は、それぞれテフェン、メステット。テフェンが西側、メステットが東側に確認されている。
「先日侵入してきたサソリは、西側からです。恐らく、テフェンの群れから斥候のような役割で送り出されたのではないかと思われます」
「なるほど。ところで、そのサソリ達の命名は」
「アカネが文献から提案してきました。地球の古代神話に出てくるサソリの名前とのことですが、お気に召さなかったでしょうか?」
<リンゴ>の問いに、彼女は首を振る。
「いいえ。ちゃんとした名前を付けたものと思っただけよ。問題ないわ」
「はい、司令。では、今後はこの呼称で統一します」
司令官はひとまずその名前で検索をかけ、該当の神話を探しだした。遥か古代、エジプトに伝わる神話のようである。
「ふーん…。じゃ、この巨大蠍は、今後は<セルケト>と呼びましょう」
「はい、司令。種族名を<セルケト>で定義します」
巨大蠍改め<セルケト>の生態は不明だ。ただ、少なくとも普段は砂の中で潜っており、何らかの理由で移動することがある、ということは分かった。
そして、斥候を放つような、社会性も持っている。
「で。実際、私達は3匹の<セルケト>の子供…?を倒してるわけだけど、それに対する何らかの動きはあったのかしら?」
「はい、司令。テフェンは短時間で移動を繰り返しており、非常に活発に活動しているようです。観察したところ、恐らく狩りを行っているものと思われます」
「狩り、ねえ」
とすると、たまたま狩りに来ていた3体が、多脚戦車を獲物と見定め襲ってきたのだろうか。
しかし、そもそも最初はただ突っ走っていただけで、多脚戦車は進路上に割り込ませただけだ。
それに、あの3体が斥候役として、情報のやり取りはどう行っているのだろうか。
通信技術がなければ、あれだけ遮二無二に突っ込んでくるのはおかしく思える。情報を持ち帰る必要があるのならば、少なくとも1匹は戻らなければならない。
しかし、結局探知できた3体全てが攻撃行動を取っていたのだ。
そうなると、遠隔通信の仕組みがあると考えたほうがいいのかもしれない。即ち、こちらの情報がある程度把握されている可能性があるということだ。
「特に、顕著に動きがあるのがテフェンおよびメステットです。狩りを行っていると考えると、我々が油田地帯に進出したことが引き金になっている可能性があります」
「…私達?」
「はい、司令。例えば、油田地帯に生息していた生物種が押し出され、周辺に拡散したとすると、一時的にテフェン、メステットの周囲に獲物が増えることになります。それが、この結果となっている可能性もありますね」
なるほど、と彼女は頷いた。
当然、<ザ・ツリー>の勢力が活動することで、動物種の生息域が変わっていっていることは把握している。魔物の脅威のある世界のため、動物の動向把握は重要事項だ。
石油港、採掘プラント周辺の動物が、動き回る多脚重機や多脚戦車から逃げ出しているというのは報告されていたことだ。
「んー…。まあ、仕方ない、か…。ひとまず、活発に動いてるのはこの2体ってことね。その他は?」
「サンプルが少ないため推測になりますが、テフェン、メステットと比較するとかなりおとなしいようです。獲物が少ないためと考えられます」
「そう。じゃあ、森の国に気取られるほどの変化ではないわね。何かあったと気付かれるのも面倒だし、問題ないわ。当面、この2体の動向に注意してちょうだい」
「はい、司令」
そうして、2体の巨大蠍、テフェン、メステットの重点監視が始まって数日。
テフェンが再度動き出し油田に接近して来ている、との報告を、司令官は起き抜けに知らされたのだった。




