第9話 2日目、初めてのご飯(10g)
翌日。
「さすがに、爽快な目覚めとはいかないわね…」
あれから、日が落ちてすぐに彼女は就寝することにした。精神的疲労がたまっていたのか、眠気がひどくなったのだ。
起きてすぐ、<リンゴ>が用意してくれた水を飲む。どこから調達したのか、金属製のコップに冷たい水が入っていた。もしかすると、夜の間に作ってくれたのかもしれない。
『おはようございます、司令。まずは食料についてですが』
「あー…いいわ、聞くわ」
一瞬、報告は後にしてもらおうかと思ったが、<リンゴ>の妙に嬉しそうな表示に気付き、彼女は続きを促した。
『はい、司令。科学的検査では、昨日採取した貝、魚、海藻共に問題は発見されませんでした。真水精製プラントから採取できた塩も使用できますので、何らかの料理を試すことが可能です』
「…うん、それは朗報ね」
正直な所、とてもお腹が空いている。だが、いきなりお腹いっぱいに食べるわけにも行かないだろうから、口に入れられるのは一切れか二切れだろう。なんとも残念に思いながら、彼女はベッドから抜け出した。
「じゃあ、自動調理器に調理させましょう。お願いできる?」
『はい、司令。まずは、蛋白源として魚の筋肉を10g程度を調理します』
頷き、彼女はひとまず排泄を済ますためにトイレへ向かった。水しか飲んでいないが、摂取した水分を排泄する必要はある。非常に抵抗はあるが、致し方ない。
◇◇◇◇
無事に排泄を終えた後、彼女はある程度のリソースを自身の生活環境改善に回すことを決意しながら司令室へ戻ってきた。
(せめてトイレットペーパーはなんとかしないと…!)
ウォシュレットで綺麗にはなるが、乾かさないまま穿くわけにもいかず、時間がかかってしまった。温風機能がついていたのは、慰めになったが。
(あとはタオルね。シャワーを浴びるには、タオルが必要。あと、せめて明日には着替えもほしい)
要塞<ザ・ツリー>内の空調は快適に保たれているため、無駄に汗を掻くような環境ではない。しかし、だからといって着ている服が汚れないわけではない。自分自身など、言わずもがなだ。
「ねえ<リンゴ>、タオルや着替えはどうにかできる?」
『イエス、製造は可能です、マム』
その回答に、彼女は安堵の息を吐いた。
「じゃあ、数枚ずつ、お願いするわ。ちょっと、この状態が続くのは受け入れがたいわ…」
『了解。タスクの優先度を変更します。…天然繊維ではなく合成繊維になりますが、よろしいですか?』
「ええ、いいわ。んー…、原料は石油かしら」
統合コンソールに表示された成分設計表に目を通す。ナイロン繊維による裁縫。マルチプリンターを使用できるとのことで、数十分で目的のものが作成できるようだ。
「昨日、ケチらずにさっさと作っておくべきだったわ。しまったわね」
『はい、申し訳ありません、司令。昨日、提案すべき事項でした』
「…ええ、さすがにそれは言わないわ、<リンゴ>。私の見通しが甘かっただけよ、失態でもなんでも無いわ」
微妙に落ち込み始めた<リンゴ>をあやすと、彼女は深呼吸する。さて、今日の仕事を考えないといけない。確か、光発電式偵察機の整備が完了しているはず。それの離陸を確認して、運用範囲の算出を指示。あとは、調理された魚を食べて、安静にすること。
(自分のために毒味…。やるしかないわね。さっさと食べて、メディカルポッドに入っちゃいましょう。ポッドの中でも仕事はできるし…)
ちなみにメディカルポッドに入るのは、万が一毒素等による中毒が発生した場合に、速やかに対処するためだ。メディカルポッドの機能で、胃腸の洗浄や緊急の開腹手術などは即座に実行できるはず。最悪の場合、血液置換も視野に入れ、準備するつもりだ。
完全に未知の食材のため、どんなに検査しても検出できない毒素など、正直なところリスクはかなり高い。しかし、これを試さないことには、彼女は早々に餓死してしまうだろう。メディカルポッドの設定は、とにかく脳の保全を最優先にした。脳さえ残れば、やりようはある。
(さすがに、生身は脳だけの全身機械化はしたくないけど…)
自身の体は、おそらく培養で再作成可能だ。元の世界では当然厳密に管理された技術だったが、こちらではそんな監視を行う組織も存在しない。ライブラリに該当する情報があるのは確認したし、最悪の保険は掛けたということだ。
『マム。食事の準備ができました』
「そう、ありがとう。医務室に運んでくれる? 私も向かうわ」
ひとまず、事前検査では特に問題は発見されなかった。食べて、まあ、8時間程度観察して問題なければOKと判断する。あとは、少しづつ食べながら、3日くらい要観察だろう。お腹に入れられるものがとりあえずでも確保できれば、あとは少しづつ種類を増やしていけばいい。サンプルが増えれば、事前検査の精度も上がる。そのうち、気にせず食べられる日も来るだろう。
『マム、どうぞ』
<リンゴ>が操作する自動機械が、お皿に載った白身のソテー(塩味)を差し出してきた。
「ありがとう、<リンゴ>」
人差し指の先ほどのそれをフォークで刺し、口に含む。反応テストは済んでいるため、そのままよく噛み、味わってから飲み込んだ。
「味は…量が少ないからよく分からないけど…。まあ、悪くはないと思うわ」
ちょうどいい塩味だと思う。淡白なのか、魚本来の味は分からない。不味くはなかった。
『ありがとうございます、マム。それでは、問題なければ夕方に、半身分をお出しします』
「ええ、お願いね」
口にしてしまったからか、胃がぎゅっと動き、空腹感が増した気がする。しかし、ここは我慢だ。夕方になれば、小腹を満たす程度は食べられるはず。そして、一晩問題なければ、お腹いっぱい食べても大丈夫だ。
「そういえば、この魚は継続的に捕獲可能なのよね?」
『はい、司令。既に、一部を生け捕りにして生簀に囲っていますので、問題ないかと。また、周辺の調査は続行していますが、この岩礁周辺に広く生息しているようです』
「それなら良かったわ。これだけ苦労して、すぐに捕まえられなくなったらと思うと…」
とはいえ、そういう種類を優先して採取するよう指示したのだから杞憂なのだろうが。
『マム、明日は海藻の可食テストを実施していただきます。海藻と魚類、これらを摂食できれば、当面、餓死リスクは回避できるかと』
「そうね。必須栄養素が足りているかは継続観察だけど、まあ、タンパク質とミネラル摂取ができれば死にはしないでしょう」
皿を自動機械に返し、よいしょ、と彼女はメディカルポッドに寝転んだ。
『バイタル確認、全て正常値。モニタを継続します』
「お願いね」
『血糖値が低下していますので、栄養剤の点滴を行います』
メディカルポッド内の作業腕がテキパキと処置していくのに身を任せながら、彼女は情報ウィンドウを確認する。
「さて。光発電式偵察機の離陸準備は…OKね。こっちもやっちゃいましょう」
『了解。スイフト1号機、2号機の離陸を行います』
要塞<ザ・ツリー>内を貫通する短滑走路には、2機の飛行機が待機していた。高度20kmまで自力上昇し、そのまま長時間、500時間以上飛び続けられる、高高度滞空型の偵察機だ。これを常時2機運用し、広範囲の哨戒を行う。数日後には新たな機体もロールアウトするが、将来的には周囲半径1,000km程度を常に監視できる機数を揃える計画である。
今日は、主にこの飛行機を見守ることが彼女の仕事になるだろう。
後は、そう。水中ドローンで探索をしているということだから、その様子も見るか。採取したものは自分の食事になることだし、こちらも重要案件だ。