第50話 閑話(鉄の町)
事前に通達はあった。あったが、その内容が、誰も知らない、誰も見たことのないものだったのだ。故に、町の住人達は、それを見て半ばパニックに陥っていた。
「な、なんだあれは…」
「あれがドラゴンか!?」
それは、低い唸りの音と共に現れた。虫の羽音に似た、しかし遥かに大きく、重く、腹の底に響く重低音。遠くの空に、小さくぽつんと現れた点のようなそれは、ゆっくりと、しかし確実にこちらに近付いてくる。
「小さい…のか?」
「音がすげえ!」
人々は口々に言い合いながら、頭上を飛ぶそれを見上げていた。今日は鉱山作業は休みだと伝えられており、故に話に聞く<パライゾ>の持つ空飛ぶ船を見ようと、住民たちの殆どが屋外に集まっている。
遥か高空を飛ぶそれに、最初、小さいだとか思ったほどではないなどの声が上がっていたが、しかしそれが旋回しながら徐々に高度を下げてくると、誰もが何も喋らなくなった。
死者を運ぶ鳥と伝えられたそれは、全長35m、全幅45mの大型飛行機械だ。そんな巨体に頭上を飛ばれれば、人は本能的な恐怖を覚える。
雷のような恐ろしい音を立てながら、アルバトロスは鉄の町の周囲を回っている。
「北の山脈の方にはワイバーンが出るって聞いたがよ…。家よりでけえって話だぜ…」
「家より…。でもよう、アレは…炉よりでけえぞ…」
アルバトロスが頭上を通り過ぎた。何か分からないが、両側に伸びた大きな翼に、大きな音を立てる丸いものが付いている。速度は、馬よりもずっと速い。高いところを飛んでいたときは分からなかったが、近くに降りてきているお陰で、その速さがよく分かる。
「すげえな…。あれが、俺たちの町を守ってくれたんだろ…?」
誰かの呟きが聞こえた。
そうだ。あのアルバトロスを飛ばしてきたのは、鉄の町を救った<パライゾ>らしい。そうであれば、この巨大な鳥も、鉄の町を守ってくれる頼もしい守護竜なのだ。
「そうか…、これが、守護竜か…!」
「守護竜…! うお、おお…、守護竜…!」
小さな呟きは、やがて大きなうねりとなった。住民達は手を振り上げ、旋回するアルバトロスを大声で讃える。その騒ぎは、アルバトロスが飛び去り、地平線の彼方に見えなくなるまで続いたのだった。
◇◇◇◇
最初に運び込まれたのは、大量の武器や防具だった。品質の揃ったロングソード、鎖帷子、兜、胸当て、グリーブなどの鎧一式。そして、複雑な構造をした弓と歪みのない矢束。
守備兵達に装備が行き届くと、次に道具類が用意された。硬く、また形の揃ったツルハシなどの採鉱用具。坑道で利用できる手押し車や一輪車、ランプ類、椅子や皿などの小物など。
まるで貴族の使う食器のように歪みなく磨き上げられたそれらに最初は尻込みしたものの、自分たちが掘り出した鉄鉱石が原料と知りこぞって使い始めた。そして、それらの道具を作り出したのが<パライゾ>と聞き及び、鉄の町では一気に<パライゾ>ブームが巻き起こる。
テレク港街に降り立った船長達の絵姿も持ち込まれ、乗員が皆、獣の部位を持った見目麗しい少女達だとの情報が広まり、<パライゾ>の名は鉄の町を席巻することになった。
最優先は武器防具と採鉱道具だったが、嗜好品もある程度は持ち込まれる。その中で、最も人気となったのがやはり<パライゾ>製の道具類だ。料理道具などの日用品や、様々なゲーム類。むさい男ばかりの筈だが、なぜか、装飾品もそこそこ売れた。そんな物の中で断トツに人気があったのが、<パライゾ>乗員達の絵姿である。
それはまさに、アイドルブームであった。
絵姿は絵描きが1枚1枚描いたもので、同じものは1枚とて存在しない。また、許可なく描くわけにもいかないため、1枚1枚許可を取ってから、かつモデルもお願いしながら描き上げる必要があった。
そのため、1回の交易で運ばれるのはせいぜい1枚か2枚。絵が間に合わず、品の中に含まれないこともしばしばあった。こうなると、始まるのは絵姿の高額転売である。
とはいえ、鉄の町、ひいてはテレク港街も含め、そもそもの硬貨の絶対量が少ないのだ。高額転売の後、絵姿の所持は一種のステータスとなる。町の有力者はこぞってそれらを集め、額に飾り始めた。
しかし、あまりに独占しすぎるとそれは不満の種になる。そもそも、数枚であればまだしも、十数枚も集めればもういいだろうとなる。いや、本当にファンならそれでもいいかもしれないが、見栄のために集めた者もいたのだ。
その後は、ある種の信用手形のような扱いで、絵姿は市場に再度流通し始めた。集めるのにもそれなりの金が要り、そもそも貨幣の流通量は少ないのだ。高騰するにも限界があり、他の絵姿と交換したり、あるいは非常に珍しい<パライゾ>製の道具類と引き換えたりと、そういった利用がされるようになる。
もし貨幣が十分にある状態であったならば、バブルのように経済崩壊の引き金になったかもしれない。幸い流通貨幣に限界があり、それそのものが紙幣としての機能を発揮したため、誰も予想していなかった災厄は未然に防がれたのだった。
◇◇◇◇
「ずいぶんと作りのいい馬車だな…」
掘り出した鉄鉱石を積み込みながら、男達は語り始める。
「これも、<パライゾ>が作ったもんらしいぜ。…よっと。ほらよ、この車輪も立派だろう。軸も鉄製らしいぜ」
「鉄か。ってことは、俺らが掘った石か?」
「ああ、そうかもしれねえぜ。見ろよ、結構細いが、これだけ積んでもビクともしねえんだ。昔うちで作ってた鉄じゃ、こうはいかねえよ」
「だな。折れちまうんじゃないかって心配にならぁ」
荷台に鉄鉱石を積み終わり、男達が声を上げる。2頭曳きの荷馬車が、ガリガリと地面を削りながら走り出す。
「この道も、砕いた石で平らにしてるらしいぜ。さっき聞いたが、もう半分以上は終わってるらしい」
「へえ…。よく分からんが、土の道よりは走りやすいのか?」
「ああ、段違いって話だ。沈まねえし、何より雨が降っても泥濘まないとか。夢みたいな話だが、そのうちこっちにも伸びてくるだろうぜ」
「あー。雨でも困らねえのはいいなぁ」
「鉱山の道も、まあ今は木を引いてるからマシだがよぉ…。昔は酷かったからなぁ」
<パライゾ>用の鉄鉱石を掘り出してから、真っ先に指導されたのが道の整備だった。木を敷き詰めるだけでも、輸送の効率は段違いに上がる。木製故にすぐに壊れるのだが、交換も簡単だ。
しかもどうやら、テレク港街への道の整備が終われば、鉱山の周辺もきれいにしてくれるという話もあるとか。
「<パライゾ>様々だなぁ。別嬪さんばっかりって聞くしよぉ、一回くらい見てみたいよなぁ」
「あー、そうだな。絵姿は見せてもらったことがあるが、えらい綺麗だったからよぉ」
男達はわいわいと騒ぎながら、次の荷馬車が来るのを待っている。積み込みは非常に重労働のため、きっちりと休憩時間が決められていた。これも<パライゾ>の指導があったとか。
「最近、女房がテレク港街を拝んでから寝るようになったんだぜ」
「はー、まあそりゃ分からんでもないなぁ」
「稼ぎも安定してきたし、そろそろ女房を迎えてえなぁ」
「女も増えてきただろ。あの、例の難民のところは女子供が多いって話だしな」
「子持ちでも構わねえ、俺の所に来てくんねえかな」
「贅沢になったな、おい!」
「ははは、ちげえねえ! やっぱ俺も、<パライゾ>を拝んでから寝るようにするか!」
鉄の町の乾杯の合図が「<パライゾ>に!」となったのは、この頃からだった。すべての景気の源が、この町の安全が、<パライゾ>によってもたらされたものだと、町の住人達は知っていたのだ。
だから、本格的に<パライゾ>からの介入が始まり、見たことも聞いたこともない巨大な機械が続々と現れても、それは歓声で迎えられることになった。
誰もが、<パライゾ>を心から歓迎していたのである。




