第5話 高度20kmの景色
『司令、食料調達についてですが』
「あ、うん」
<リンゴ>にそう言われ、少し期待して彼女は背筋を伸ばした。
『いくつか、サンプルを採取しました。血液による検査等実施後、少量の摂取テストを行っていただき、最終的に食用可能かの判断を行う方向で良いでしょうか』
「あー。うん、そうだね。そうするしかないよねぇ…。ここにはモルモットも居ないだろうし」
血液サンプルは恐らく、メディカルポッドで採取済みだ。体組織や血液と直接反応するような毒物が含まれていないか、アレルギー反応が無いかは、比較的短時間で調査できる。
『微生物については経過観察が必要ですが、ひとまずは放射線殺菌を行うことで安全性は確保できると想定されます』
「ああ。そうね…。そこは任せるわ」
『ただ、調査に8時間程度は必要ですので、申し訳ありませんが本日は食事を用意することは出来ません』
本当に申し訳無さそうな雰囲気でそう報告してきた<リンゴ>に、彼女は苦笑した。時間が経つごとに、どんどんと感情的になっていく。良いことか悪いことかはさておき、その変化に楽しみを感じていた。悪い方向に進めないよう、注意しなければ、と彼女は決意を新たにする。
「そこは覚悟しているわ。そうね、少なくとも水さえ飲めれば、なんとか我慢してみる」
『はい、司令。飲料水は確保可能です。現在真水精製プラントが稼働中で、30分以内に飲用可能な水を確保できる見通しです。念の為放射線殺菌は行いますが、精製された水は今の所、問題となるような不純物は検出されていません』
「頼もしいわ。まあ、出来たら持ってきてちょうだい」
『はい、司令』
ひとまず、食料については道筋を立てた。栄養点滴剤と水さえあれば、当面は凌げる。在庫が尽きる前に、最低限カロリーを摂取できるものを見つければいい。どんなに長く見ても、1週間程度で目処は経つだろう。幸い、周囲に魚影は豊富にあることが確認できている。
「さて…。そろそろ、高高度飛行機は準備ができたかしら?」
『イエス、あと5分ほどです、マム。先駆けて、高空飛行用ドローンを進発させました。映像出します』
彼女の見るモニタに、ドローンが撮影する映像が表示された。遠方監視用のドローンのためか視野角は広くないが、ぶれや歪みもなく綺麗に写っている。
「…海、ね」
そして、モニタに映し出されるのは、青空と海、ほぼ横一直線に分割する水平線。陸地はおろか、岩礁すら見当たらなかった。
『はい、司令。現在水平回転中ですが、陸地、人工物どちらも確認できません』
一面の青い空と、青い海。残念ながら、この高度で見渡せる距離には島も何も無いようだ。
「うーん…近くに脅威がないことを喜ぶべきか、悲しむべきか…」
『戦略上は、付近に敵性勢力が存在しないことは歓迎すべきことです』
「まあ、そうなんだけどねぇ」
ドローンは、ゆっくりと上昇を続けている。しかし、しばらく見ていても一向に陸地は見つからなかった。
「…。今、見えている範囲ってどのくらい?」
『はい、司令。本惑星の直径を地球と同じと仮定した場合ですが、現高度200mでおよそ50kmです。また、例えば200m級の山があった場合、およそ100km先のものを視認可能です』
「じゃあ少なくとも、100km範囲に200m級の山はない、ってことね」
『はい、司令』
考えるべきことが減ることを良しとするか、と彼女は考えた。近くに文明があった場合、何かしら交渉が必要になっただろう。<リンゴ>は超性能のAIだが、経験が少ないのが問題だ。彼女が判断すべきことが格段に増え、酷い目に合うのは間違いなかった。
「とりあえず、高高度飛行機による結果待ちになるのかしら?」
『はい、司令。高度20kmであれば、半径500km程度の視界が確保できます。陸地が確認できれば、陸地方面へ移動し、ある程度情報収集できるでしょう。陸地がなければ、より遠方の情報収集のため、更に飛行機を投入する必要がありますが』
「そうね。…そろそろ、発射可能かしら」
視界の隅に出ていた高高度飛行機の準備率が100%になったことに気が付き、彼女は視線を向けた。打ち上げ体勢になった飛行機の映像が、そこに表示される。
『はい、司令。発射シークエンス開始します。発射10秒前。9、8、…ブースター点火、5、…』
機体下部に連結されたロケットモーターから、白煙と共に炎が噴出した。
『推力既定値。…2、1、発射。…2、3、…』
ロケット射出口から、高高度飛行機が勢いよく飛び出す。外部カメラが機体を追い、撮影角度を上げていく。
『推力、姿勢共に安定。順調に上昇しています』
「…まずは一安心、ね」
ゲーム時代に2、3度打ち上げたことがある機体だが、その時と同じように上昇していくのが確認でき、彼女は安堵した。これでゲームと違った挙動でもされたら、また一から調査しなければならないところである。そうなれば、いよいよ資源不足で悲鳴を上げることになっていただろう。
『…高度5kmに到達』
機影は、正常にレーダーに捉えられている。測距器系の動作も問題ないようだ。このまま予定高度到達後に撮影できれば、かなりの遠方まで観測できるようになる。付近に敵性勢力がないのが一番望ましいのだが、だからといって海しか無いのも問題だった。とにかく資源を採取しないことには、移動すらままならないのだ。彼女はやきもきしながら、カウントアップしていく高度数値を睨む。
『司令。機体に異常は見られませんが、高度が想定よりも伸びていません。予定速度も下回っています』
「…え? 大丈夫なの?」
そこへ、<リンゴ>があまり聞きたくない類の報告を入れてきた。とんでもない問題でも起きたかと、血の気が引く。
『観測できる推力、各部燃焼温度に異常はありません。全て正常値です。ただ、測定される加速度が予定を下回っており、したがって予定高度に到達していません』
<リンゴ>がそう説明しながら、予定高度・速度と実測の高度・速度をグラフで表示した。最初は予定通りに上昇していた数値が、高度5kmを越えた辺りで緩やかに伸びを減じており、現在高度の10kmでは既に1kmほどの差が出ている。
「これは…。観測できる異常はない、ということね?」
『はい。このカーブからすると、到達高度は17km程度になると想定されます。…感覚的な説明になって申し訳ないのですが、高度が上がるごとに昇り難くなっているように思われます』
「昇りにくく、ねえ…」
それは、何か外部的な作用があり、上昇に対する抵抗が発生している、ということだろうか。表示される推力は、機体内蔵のセンサーによって計測されている。センサーの故障という可能性も、もちろんあるが。
『センサー類の故障であれば、他センサーとの差異が認められるはずですが、加速度センサー、各部温度計、燃焼温度、赤外線温度計等、特に問題は見られません。全てのセンサーが故障している可能性は、ほぼゼロです』
「うーん。今の所は何とも言えないわね…」
『はい。…間もなくブースターの燃焼が止まります。切り離しまで5秒、4、3、2、1、今。切り離し完了しました。ブースター、離脱軌道、正常。…滑空翼、展開します』
望遠映像の中心で、ブースターが高高度飛行機から急速に離れていく。小さくて見えにくいが、偵察機本体は折りたたまれていた主翼を展開、水平飛行に移りつつあった。
『機体制御、全て正常。水平飛行に入りました。機首カメラ起動。映像入ります』
彼女の正面にモニタが展開し、高度およそ17kmを飛行する偵察機からの映像が表示される。最初に表示されたのは、真っ黒い空。宇宙空間だ。上を向いていたカメラがゆっくりと動き、やがて真っ青な水平線が見えてくる。
「…青いわね」
そう、カメラを水平に向けた結果、映っているのは真っ青な水平線だった。残念ながら、陸地は確認できない。
『はい。視野角が狭いため、これより旋回飛行に入ります』
そうして、ゆっくりと映像が回転を始める。しばらく、映し出されるのは黒い空と青い海、そして白い雲のみ。幸い雲は少なく、見通しは良いが…。
「うーん…」
陸地が見えず、彼女は落胆の声を上げた。が、その直後。
『水平線上に山頂と思しき地形を発見』
「ん!? どこ!?」
『リプレイを表示します』
その報告に身を乗り出す彼女に、<リンゴ>は気を利かせて拡大リプレイを表示した。