第40話 石油が足りない
難破船の乗船調査は、成功裏に終わった。骸骨船員も幽霊船員も見つからなかったが、5人の妹達は満足したようである。その日の夜は興奮して寝付けず、司令官にまとわりついた挙げ句に<リンゴ>に叱られるという貴重な体験もできた。司令官も一緒に叱られたのはご愛嬌である。(後で<リンゴ>にめちゃくちゃ謝られた。)
その後、この難破船は<ザ・ツリー>へ曳航することになった。調査資料として有用であり、また積載されている大砲などの鉄資源を回収する目的もある。
この難破船についてはそれでいいのだが、別途検討すべき課題も出来てしまった。
<ザ・ツリー>に近付く可能性のある船を、早期に探知する必要があるのだ。予想される技術レベルから想定すれば、最悪、全滅させてしまえば<ザ・ツリー>の存在は秘匿できるだろう。だが、この世界に対する理解は全くと言っていいほど進んでいない。
例えば、魔法という技術体系。これに関しては、知識はゼロ。むしろ、科学的知見のせいでマイナスの補正がかかっている可能性もある。今の所、テレク港街から仕入れた情報からでは、遠距離通信に類似する技術は無いとされている。
だが、テレク港街よりも優れた技術を持っていると思われる国家が、魔法による遠距離通信技術を持っていない、とは断言できないのだ。
<ザ・ツリー>に近付いてくる船を撃沈しました。攻撃されたことを、本国に通報されました――なんてことになると、最悪だ。敵対組織として認識されると、非常に動き辛くなる。可能であれば、平和的に交渉を行いたいのだ。
ちなみに、この平和的というのは武力を伴わず、という意味ではなく、武力衝突せず、という意味である。砲艦外交は、積極的に行っていく所存だ。
「海流の調査は最優先課題かしらね。テレク港街の情勢が落ち着いてくれていて、本当に良かったわ…」
「はい、司令。あちらは哨戒網もおおよそ構築できました。数ヶ月単位で安定していると判断できます。リソースを、ある程度海洋調査に回しましょう」
テレク港街周辺につぎ込んでいたリソースを、一部回収して<ザ・ツリー>周辺海域の調査に割り当てる。まずは光発電式偵察機の投入機数を増やすと共に、観測機材を入れ替えて海流の調査を行う。できればブイなどを流して詳細に調査を行いたいが、人工物を放流するのは現時点では避けることとした。些細な情報も、他勢力には渡したくない。
「衛星は…まだ無理ね。発射場の建設もままならないし、ロケット製造も資源的に厳しいか…」
「はい、司令。技術的な問題もあります。高度5kmを超えた時点で発生する何らかの上昇抵抗作用は、あれから何の調査も行っていません」
「そういえば、そんな問題もあったわねぇ…」
転移直後に打ち上げた高高度飛行機の上昇速度に異常を観測した、という問題も残っている。固定ロケットブースターはまだ在庫はあるが、追加製造は難しい。それに、安全に衛星を打ち上げるためには、何度も発射テストを行う必要があるだろう。この世界、この惑星の宇宙空間については、まだ何も分かっていないのだ。
当面、光発電式偵察機を使用した観測を継続する必要がある。
「でも、スイフトはスイフトで搭載制限が厳しいのよねぇ…」
「はい、司令。スイフトの構造上、解決が難しい問題です。重量の殆どが、モーターとバッテリー、発電装置で占められていますので」
光発電式偵察機は、ソーラー発電で滞空を続けるという機能上、搭載機器に制限が発生する。当然重い機器は載せられないし、また、観測機器のエネルギー源にも厳しい制限があるのだ。
昼間は夜間飛行用のバッテリー充電が必要だし、夜はプロペラを回すためにバッテリーを消耗する。僅かな余剰分を、だましだまし使う必要があるのだ。
「うーん…。やっぱり、大型の航空機が必要かぁ…」
そうなると、できれば大型のプロペラ機が望ましいとなる。ジェット機は燃費が悪いため、候補には上がらない。しかし、大型の飛行機は滑走路が必要になるため、今の<ザ・ツリー>では運用できない。
「飛行艇の設計がおおよそ終わりましたので、資源を回しましょうか」
「そうね。ちょっと資源計画を変更しましょ。飛行艇のテストを優先させて。あとは、そろそろ本格的に、燃料の目処を立てないとねぇ…」
今の所、石油資源は影も形もない。備蓄はあるとはいえ、今のままでは先細りだ。ここで更に航空機も運用するとなると、相応に消費量も跳ね上がる。
「うーんうーん…。水素は熱量が低くて航空機燃料には不向きだしなあ…」
「背に腹は代えられない、という言葉もありますが」
「そうね。で、実際のところはどうなのかしら」
<ザ・ツリー>には、今の所、余剰エネルギーが存在している。これを水素製造に充て、石油燃料の代わりに使うということも考えられるのだが。
「はい。水素の熱量は、基準体積あたり約13メガジュール。比較対象として、ジェット燃料は基準体積あたり約37メガジュール。ガスと液体ですので単純な比較は難しいですが、熱量はおよそ3分の1と考えて差し支えありません」
「単純に考えると、行動半径も3分の1になるかしらね」
「はい、司令。厳密なことを言い出すとキリがありませんので、その認識で問題ありません。水素燃料を燃焼させる方式では、ジェット燃料と比べると行動半径が狭くなります。出力上限が低いという問題もあります」
「燃焼以外の方法があるの?」
「はい、司令。燃料電池を使用し、電力変換を行います」
説明しながら、<リンゴ>は資料を表示した。燃料電池による発電量や、モーター出力などの総合資料。ただ、司令官が注目するのは、製造資源と維持資源だろう。
「イニシャルコストも高いし、ランニングコストも高いわねぇ…」
「必要な性能を確保するために、電極触媒、セパレーター、電解液、制御機器など全て高機能材料を使用しています。使用に伴って電極などは消耗するため、定期的な交換も必要です」
「高機能材料…。レアメタルに特殊化合物。化合物は分子配列機で製造できるにしても、これは…」
水素ガスタービンよりは効率がいいとはいえ、数を揃えるのが難しい資源を要求されている。これを継続するくらいなら、素直に油田探索に資源を投入したほうがマシかもしれない、と思える程度には高コストだ。
「船舶は大型のガスタービンエンジンを設置できますので、水素燃料への置換も視野に入りますが、航空機はいろいろと制約がありますので、差し引き、燃料電池の方に軍配が上がりますね」
「う、うーん…」
レアメタルは、低効率ながら海水から回収できている。しかし、ランニングコストだけで試算しても、現在の生産量では賄い切れない。運用機数を減らさざるを得ず、そうすると探索効率も落ちる。
「…ダメね。当面、航空機は石油を使いましょう。船の燃料を水素に切り替える方針でいいかしら?」
「はい、司令。飛行艇のみでの石油利用ということであれば、当面は問題ありません。並行して油田を探すか、あるいは他のエネルギーを検討しましょう」
交易に必要な船は揃っている。航続距離とエンジン出力の観点から、建造済みの船は全てディーゼルエンジンを採用しているが、これを水素ガスタービンに置き換えていくことにする。飛行艇は現在設計済みの機体をベースに、省エネ方向で開発を継続。<ザ・ツリー>の備蓄する石油の消費を抑える方向へ舵を切ることになった。
「大規模設備を建造できれば、いろいろと解決するんだけどねぇ…」
「設備建造には大量の鉄が必要ですので、まだ着手できませんね」
「せめて地盤がしっかりしてればね」
「遠浅とはいえ、周りは全て海ですからね。土台の設置だけでも、非常に困難です。今の情勢で優先すべきは…」
「…海底鉱山用のプラットフォーム建造。陸地で鉱山が見つからない以上、海底に望みを託す」
「はい、司令。現時点では、最も成功率が高いと想定されます」




