第38話 幽霊船を探検しよう
「…幽霊船?」
「あの、アカネがそう言って。ボロボロの、無人の船が漂流してるって、<リンゴ>が教えてくれたんです。それで、みんなで映像を見たんですけど」
「<リンゴ>?」
彼女が振り返ると、<リンゴ>は頷いた。
「特に危険性はなさそうでしたので、教材にと提供しました」
「ふむ」
自分に報告がなかったというのが少し引っかかったのだが、恐らく司令官への報告までを含めた教材ということなのだろう。まあ、イチゴの態度からすると、報告というよりは“おはなし”レベルではあるが。
「それで、せっかくだし乗り込んでみようって。あの、私も行きたくって、その、お姉様も一緒にって、みんなで…」
もじもじ、ちらちら。
そんな様子のイチゴを見て、我が意を得たりとばかりに彼女は大きく頷き、立ち上がった。こんないじらしい姿を見せられて、肯定以外の意思を表明できる人は居るか?いや、居ない!!
「それはとっても楽しそうね、イチゴ! <リンゴ>、準備をしなさい!」
「はい、司令。1番級駆逐艦8番艦、ホテルを用意しています」
「ホテルとな。それは豪勢ねぇ」
「お泊りの準備もできています。お任せください」
どうでもいいが、彼女はホテルに泊まった経験はないし、何なら旅行だって行ったことは無いのだが、まあ知識として知っていれば何とでもなる。<リンゴ>と適当に掛け合いながら、彼女は外洋ドックに向けて歩き出した。嬉しそうにイチゴが付いてくるので、その手を握ってやる。
ちなみに、誰かの手を引くと最終的に全員と同じことをさせられてわちゃわちゃするのだが、司令が幸せならそれでいい、と<リンゴ>は思っていた。当然<リンゴ>も参加する。
「現場到着後、先行して作業ドローンを突入させます。上空からドローンで簡易スキャンはしていますが、全てを調べられているわけではないですので」
「そうね。万が一生き残りが居て、襲いかかられても困るし…」
「はい、司令。また、検疫も必要ですので、少々時間をいただくことになります」
この世界に転移後、<リンゴ>は継続的に彼女の体を調査している。今の所、これといって問題は発見されていない。免疫機構も正常に機能しており、そしてそれは<リンゴ>の知識にある人間よりも数段強いと思われた。大病院もないこんな所で未知の細菌やウィルスにでも感染したら…という危惧があったのだが、彼女は病気知らずである。そして、その遺伝子をベースに培養された姉妹達も、それは同じであった。
「腐敗した死体は感染症の危険性が非常に高いですので、絶対に近付かないようにお願いします」
「…やっぱり、ありそう?」
「はい、司令。あれは難破船です。甲板上にも確認できましたし、船内にも恐らく。漂流後どのくらい経過しているかは分かりませんが、白骨化はしていませんので、せいぜい数ヶ月というところでしょう。病原菌が繁殖していると思われます」
人間由来の細菌は、当然他の人間にも感染しやすい。いくら彼女らが遺伝的に頑強な免疫機構を持っていたとしても、処理能力を超える細菌量に暴露すると非常に危険だ。
「防護服を着たほうがいいのかしら?」
「可能であれば。…そうですね、そういう訓練も必要でしょうし、用意しましょう。少々動き辛いかもしれませんが、関節アシスト機能も付いています。必要に応じて私の方でサポートもできますので。全員が装備するよう、準備します」
探検となれば、是非とも自分の手で行いたい。そう言われると予想し、<リンゴ>はどうやって難破船に乗船させるかを悩んでいた。防護服を着てくれるというのであれば、選択肢は一気に広がる。これなら、司令官も5人姉妹達もがっかりさせることはないだろう。即座に汎用工作機械に設計図を流し込み、防護服の製造を開始する。1時間程度で用意できるだろう。
「そういえば、1番級に乗るのは初めてね…」
「はい、司令。そもそも、<ザ・ツリー>から出るのが初めてですね」
「…そうだっけ」
この世界に転移してから、彼女は<ザ・ツリー>に籠りきりだった。せいぜい、海水浴に出たくらいである。それも、<リンゴ>が作った板張り設備の上だけだ。岩礁海域のため、そうでもしないと海水浴など危なくてできなかったという理由はあるのだが。
「初めての外出か~」
「お姉様、私達も初めての外出ですか?」
「そうねえ。みんなと一緒に行きましょう」
「はいっ!」
そして、姉妹達はきゃいきゃいと騒ぎながら乗船し、出港。随伴する1番級駆逐艦、9番艦インディア、10番艦ジュリエットに守られながら、難破船へ向かうのだった。
「青い海!」
「白い雲!」
船首に仁王立ちし、ウツギとエリカが交互に叫ぶ。
「大きな船!」
「幽霊船!」
「幽霊船じゃあないと思う」
司令官がぼそりと突っ込むが、誰も聞いていなかった。
<ザ・ツリー>出港後、船上で1泊した後、現在は難破船のすぐ傍まで近付いている。
「お姉さま。あの船には、いつ入れるの」
「ん? そうね、たぶんあと1時間くらいしたらね。小型船を出して乗り込みましょうか。…アカネがそんなに乗り気になるとは思ってなかったけど…」
「幽霊船については、本で予習した。準備はバッチリ」
「幽霊船の予習じゃあまり意味なさそうね…」
アカネは興奮しすぎて、司令官の突っ込みは耳に入らなかったようだ。ふんすふんすと鼻息を荒くしながら、食い入るように難破船を見つめている。司令官は苦笑し、アカネの頭を撫でてから歩き出す。
今、<リンゴ>が操るドローンが難破船の内部調査を行っている。どうやら軍船らしく、水密区画がしっかり作られているとのことだ。なるべく破壊しないよう、慎重に船内を回っている。今の所、生存者は確認されていない。
舷側のカッターの固定を解除している人形機械を横目に、彼女は船内に入った。狭い廊下を歩き、急な階段を登る。ハッチをくぐり、更に梯子のような階段を登り、着いたのは艦橋だ。そこには、航海士席に座る<リンゴ>と、操縦席で真面目に操舵輪を握るイチゴが居る。オリーブの姿はない。
「<リンゴ>、オリーブは?」
「はい、司令。船倉で防護服のチェックを行っています」
「おお、偉いわね」
本当に個性的ねぇ、と呟き、彼女は窓に近寄った。見下ろすと、船首で騒ぐウツギとエリカ、そしてアカネの姿が確認できる。この3人は、驚くほど活発的で、かつマイペースである。アカネも文学少女かと思いきや、この様だ。
一方、イチゴはしっかり自分の責務を果たそうとしている。<リンゴ>に任せてもいいとは伝えているのだが、操縦士として艦の操舵をしっかりやりきるつもりのようだ。真面目なことである。
そして、オリーブは装備の点検。これは真面目というより、たぶん趣味だろう。関節アシスト機構に随分興味を示していた。恐らく、<リンゴ>の操る人形機械をお供に、いろいろとやっているのだろう。
「イチゴ。もう少ししたら、乗船の準備にしましょう。そろそろ、操縦は<リンゴ>に移してもらえるかしら?」
「はい、司令。<リンゴ>、操舵権を移譲します」
「全機能を掌握。ホテルは<リンゴ>の遠隔操作下に入りました。機能正常」
イチゴが、ふう、と息をついた。長姉はそんな彼女に近付くと、そっと頭を撫でる。
「イチゴ、お疲れ様。最後までちゃんとできたわね」
「はいっ…! えへへぇ…」
よしよし、とたっぷりとイチゴの頭を撫で、物欲しそうな顔をしている<リンゴ>はとりあえず無視し、甲板へ向かうことにする。<リンゴ>の相手は、また後だ。大丈夫、ちゃんと抱き締めてあげるから。
「さ、皆を集めて船倉に行くわよ。防護服を着て、カッターに乗り移るわ。指示は<リンゴ>が出すから、ちゃんと言うことを聞くのよ」
「はい、お姉様!」




