第351話 閑話(とある北限都市2)
「…………」
男は、その巨木の幹に身を寄せたまま、じっとその魔物を観察していた。
体臭を誤魔化すために全身に泥を被り、カモフラージュ用の偽装布を纏った男だ。少し離れた場所から見ると完全周囲に溶け込んでおり、観察対象の魔物も全く気付いていない。
その魔物は、二足歩行型の動物だ。
発達した後脚と、太く長い尻尾が特徴的である。いまも、脚を伸ばして少し高い場所にある何かの果実を両手でたぐり寄せていた。
男の観察する限り、この一帯はこの魔物の群れが餌場にしている。
果実の木がまばらに生えており、その果実も丸々として大きい。温暖な気候のため、なにより魔素溜りが近くにあるからか、木々の生育状況も非常に良いのだ。
果実自体も、1週間もあれば大きくなるようで、継続的に食糧を得ることができる優秀な場所だった。
「…………」
暫定的に、男は魔物を<カング・ルー>と呼んでいる。
"カング"は"跳ねる動物"を一般的に現す表現で、"ルー"はおとぎ話に出てくる二足歩行の化け物の名前だ。
意訳すると、跳ね回る二足の化け物、といったところか。
ちなみに、この仮称を聞いた<パライゾ>代表のダリア=コスモスは、魔物の名前を<カンガルー>と決定したのだが、それはさておき。
この<カング・ルー>だが、これまでは未発見の魔物であった。
初めて入り込んだ地域で、冒険者が何度か襲われたことでようやくその存在が認知されたのである。
比較的奥地に位置する場所であることと、恐らくこれまでは遭遇した場合にそのまま殺されてしまい、情報を誰も持ち帰ることが出来なかったのではないか、というのが今のところの予想だ。
実際この魔物、恐ろしく足が速いのである。発達した後ろ脚の跳躍力は凄まじく、また太く強靱な尻尾を使って足場の悪い場所でも器用に走り抜けることができるのだ。
さらに、その肉体も魔法によって強化されているらしく、生半可な妨害など意にも介さない。
襲われた冒険者が逃げ帰ることができたのは、魔物避けとして携帯していた爆煙弾のおかげだった。
これは、最近<パライゾ>から供給され始めた新型の装備で、大きな爆発音と大量の煙、唐辛子から抽出した痛み成分を放出するという代物だ。
当然、使用者本人にも影響するため、使用時は必ず目と鼻、口、そして耳を守るマスクは必須である。
この爆煙弾だが、動物型の魔物にはもれなく効果があるということで、逃走時のお守りとして非常に重宝されている。
もちろん、音に惹かれて魔物が更に集まってくる可能性もあるため、万能の装備というわけではないのだが。
「…………」
男が観察を続ける中、<カング・ルー>はその頑丈な顎で果実を咀嚼し、あっという間に食べ尽くしてしまった。
そのまま、同じように3個ほどの果実を食べ終わると、魔物はトントンと跳躍しつつ、森の奥に消えていく。
「…………」
男はそのまましばらくその場にとどまった後、ゆっくりと身体の力を抜いた。
<カング・ルー>にとって、この餌場は本当に食べるものに困ったときのみに来る場所のようだ。先ほどの個体は、それこそデザート感覚で食べに来たのかもしれない。
そして、<カング・ルー>は他の動物や魔物を集団で狩りするということも判明している。基本的には肉食だが、果物なども食べることがあるということだろう。
つまり、ある程度の社会性があり、雑食であるということ。
まあ、厄介な魔物だった。
子育ての方法などはまだ観察できていないが、他の魔物の例に漏れず成長速度はかなり速いのだろう。
そして、雑食でそれなら、本来、もっとその生息域が拡大していないとおかしいのだが。
「……他に、敵対している魔物が居そうだな……」
安全圏まで後退した男は、ぼそりとそう呟いた。
今回の依頼は、<カング・ルー>の生態観察だ。
これだけの情報があれば、依頼は十分に達成されたと判断されるだろう。
男は手早く簡易拠点を片付けると、そのまま帰還のために動き始めることにした。
長い間同じ場所にとどまり続けると、それを嗅ぎつけた肉食性の魔物が寄ってくるのだ。
どんなに長くても、3日目には場所を移動する必要がある。
◇◇◇◇
「またひとつ、魔物のテリトリーが追加されましたなぁ」
「……。やはり、厄介」
情報を整理しながらの分析官のぼやきに、冒険者ギルドの相談役であるダリア=コスモスは頷きながらそう返した。
「逆に考えると、絶妙なバランスで魔物の領域が決定されている。下手に壊すと……」
「大暴走、でしたか。それを誘発しかねませんな」
「有用な素材を採れる魔物は、できれば繁殖させたいが。なかなか難しそう」
机の上に広げられているのは、前線基地を下辺中心に置いた魔の森の地図である。
これを、冒険者ギルドの担当官が分析しているというわけだ。
「ひとまず、新たな魔物の生息圏は分かりました。はぐれを狙って、いくつか素材を確保しましょう。依頼を出してもよろしいでしょうかな?」
「任せる。利益も十分に出ているから、この方針を継続していい」
ダリア=コスモス。
<パライゾ>より、冒険者ギルドを監視するために派遣された"相談役"である。
彼女は、おおよそ18歳程度に見える長身の美女だった。
そして何より特徴的なのは、後ろから伸びる爬虫類を思わせる尻尾である。
青黒い鱗に覆われた尻尾はところどころルビーのような深紅の色がちりばめられ、その顔や手にも美しい鱗が、まるで装飾のように濡れた光を反射していた。
そんな神秘的な姿をした少女だが、この組織の誰よりも地位が高く、そして十二分に知性的である。
その種族ゆえか、色の薄い唇を、彼女は再び開いた。
女性にしてはやや低めに聞こえる美しい声が、ギルドの方針を紡ぎ出す。
「魔素計の素材確保が優先。これまでの傾向から、魔素溜りと魔物の関係は明白。この解明が、今後100年の繁栄に繋がる」
「大げさ……とも言えませんな。ダリア様のおっしゃられた、魔物の発生要因。これが分かれば、魔物素材の効率的な採集も光明が見えるかもしれませんからな……」
現在、ノースエンドシティの冒険者ギルドは、その体制を急激に変更している最中だ。
これまで、力のある冒険者達を暴力でまとめ上げることに尽力していたこの組織は、更なる強大な暴力により制圧され、そして徹底的に整理されていた。
既得権益に入り込んでいた無能な者達は放逐され、有能な者は抱え上げられる。
そして、助言という名の強制的な命令により、組織は組織として機能を始めていた。
冒険者達を最前線に送り込み、その情報を持ち帰らせ、そして分析する。
そうやって集められた情報を元に、魔物の狩猟や天然資源の採取を、効率的に、かつ安全に行うために人を集め、統率し、実行する。
実力が十分にある冒険者であれば、直接調査依頼が行われる。
これにより、はっきりとその役割が分割されていく。
すなわち、常に前線を攻略し、情報を集める役目を持った力ある冒険者と、彼らのもたらした情報を効率的に運用し、素材や資源を回収する実行班だ。
「まあ、これは問題ない。ゆっくりと進めていけばいい。先ほども言ったが、現時点でも十分な成果が出ている。急いで事故を誘発する必要も無い。問題は、この我々の行動を阻止しようと動く厄介者どもだ」
「……大変申し訳ございません、ダリア様。あなた様からの忠告にもかかわらず、結局、それを生かすこともできず……」
「いい。同時に伝えたとおり、対処が難しいことはこちらも把握している。むしろ、もともと想定していたよりずっと拙い手に出てきている。あちらも焦っている。これは、あなた方の動きのおかげ。私達は、それを正当に評価している」
そして。
元が暴力を元にした組織だったからこその問題。
高い地位を独占し、暴利を貪っていた無能達の集団が、排除されたことに反発し反対組織を立ち上げ活動を始めているのだ。
だが、それも全て、<パライゾ>の手のひらの上だった。
「既に物資は締め上げている。人員も可能な限り引き抜いた。もう、彼らに後は無い。残るは、彼ら自身が持つ暴力性だけ」
「……こうも、ダリア様の予想通りに物事が運ぶとは……。その慧眼に、感服しております」
「これで、ノースエンドシティは名実ともに冒険者の都市となる。我々も、面倒なことを考えなくて済むようになる」
そして、冒険者ギルド相談役、ダリア=コスモスは、その手勢を動かし始めたのだ。
全ては、彼女らの思惑通りに。
既得権益との戦いって、一番盛り上がるところですよね。
残念ながら、この物語では1行で終わりますけども……。圧倒的すぎて……。