第332話 恐怖体験
「なんかリンゴのストレスレベルが上がってるって、ヌースから警告が来てたんだけど……」
<ザ・ツリー>の監視個体の片割れである<ヌース>から連絡があり、慌てて<リンゴ>に尋ねるイブ。
「ご心配をお掛けし、申し訳ございません」
そして、<リンゴ>が<朝日>とやりとりをしていると知って、安堵のため息をついた。
「……。で、今度はなぁに?」
「アサヒが……アサヒが、<ザ・ツリー>に魔道具を持ち込んで、使用しました」
「なんて?」
そういえば、アサヒが帰ってきていたのだった、と、イブは談話室に向かっている。現在、そこでアサヒと<リンゴ>の操る別の人形機械が会話中らしい。
昨日帰ってきたアサヒは、そのまま捕獲されてオーバーホールに回されたのだ。
どうやら、オーバーホール完了後、そのまま<リンゴ>との会話に移ったようである。
「着火の魔道具、と言っています。従来、我々人形機械では使用できなかったものです」
「んー。そーいやそんなことを言ってたような……」
のんびりと廊下を歩きながら、イブは首を傾げる。
現在、<ザ・ツリー>は様々な魔道具を収集し、その機能を解析している。
ただ、そのほとんどが科学技術で再現可能なものばかりということで、イブは興味を失っていた。
例えば、切れ味が非常に高い、剣型の魔道具。
これは、鋭く研いだ高品質の剣とそれほど切れ味に違いがあるわけではない。
また、超音波振動機能などがあれば、低品質の刃でも似たような切れ味にすることが可能だ。
もちろん、そういった素材準備が不要であるという点では、確かに科学に勝るものではあるのだが。
「<リンゴ>も、もうちょっとファンタジーに耐性ができるといいんだけどねぇ」
「申し訳ございません」
ファンタジー現象を観測すると、<リンゴ>のストレスレベルが上がる。これには、イブも苦笑するしかない。
別に責めているわけではないため、イブは隣の<リンゴ>の背中を撫でてあやしつつ、談話室に入室した。
「あ、お姉さま! ちょうどいいところに!」
出入り口に現れたイブの姿を見つけたアサヒが、喜色満面で立ち上がり。
「それを置いていきなさい」
「ピッ」
すかさず同じテーブルに着いていた人形機械に首根っこを掴まれ、アサヒは椅子に戻された。
「おお……? あ、その手に持ってるのが魔道具?」
簡単に火が点く道具を握りしめたままイブに抱きつくというのは、さすがに許容できなかったようだ。
アサヒは魔道具を机に置くと、改めてイブに向かって走り出した。
「お姉さまー!」
「おっ……っと。はいはい、元気そうね、アサヒ」
「はいお姉さま! アサヒは元気です!」
イブに抱きつき、ぐりぐりと顔を擦りつけるアサヒ。イブもニコニコしながら、アサヒを抱き締める。
その状態のまま、1人と2体は談話室のソファーに収まった。
もう1体の人形機械は、お茶とお茶菓子の準備を始める。
「あ、<リンゴ>。着火の魔道具を持ってきてください」
「分かりました」
テーブルに放置された魔道具が、イブに差し出される。
実は、こういった魔道具をイブが手にするのは初めてのことだ。
「着火の魔道具?」
「はい、お姉さま! 火を付けようと念じたら、その先から火が出るんですよ!」
「へえ……」
着火道具、という意味では、イブも野外活動(注:ザ・ツリー内の人工ビーチ)で使用したことがある。あれは、スイッチを押すと可燃ガスが噴出すると同時に圧電素子から発生した火花放電で着火する、という単純な道具だったが。
そのイメージで、イブはその魔道具を使用した。
想像の中で、着火スイッチを押し込む。
ぼ、と。
イブは、いとも容易く、着火の魔道具を使用してみせた。
<リンゴ>のストレスレベルが許容値を超えた。
◇◇◇◇
「うーん、魔素の浸透……蓄積、ねえ……」
もう一体の監視個体、プネウマによるカウンセリングが始まったものの、<リンゴ>は超性能の筐体を操るAIだ。カウンセリングされつつイブと会話を続けることなど造作も無い。
そして、<リンゴ>の頭を抱き締めながら、イブはアサヒから説明を受けていた。
「お姉さまも、たぶんそうなんでしょう! 観測できている魔素は、思考中枢たる頭脳装置内、あるいはその他AI筐体の中枢部分で濃度が高くなっているのが確認できています! この世界の住人達も、それは同様! お姉さまが魔道具を使えるというのも、別におかしなことではありませんね!」
「ふーむ……。なるほど、これが魔道具……」
イブとしては、別に何か特別なことをしているわけでもない。また、使った際に力が抜けるとか、そんな感覚も無かった。
そして、一度使った後は、スイッチを押すというイメージも不要。火が出てほしい、と考えるだけで、魔道具は着火するようになったのだ。
「ちなみに、可燃性のガスがでているわけでもありません! 燃えるものも無いのに、唐突に火が出現するんですよね! まさに魔法です!」
「温度は?」
「だいたい1,000℃前後ですね! 普通の火です!」
可燃性ガスが燃えているわけでも無いのに、普通の火とは。まあ、アサヒの言いたいことは分かるので、無粋な突っ込みはしないのだが。
「我々が、魔素に馴染んだという表現の方が優しいですよね! <リンゴ>的には、魔素に汚染された、みたいな感覚かもしれませんが!」
「ちょっ……。はいはい、大丈夫だから落ち着いて<リンゴ>。ほらほら」
イブは<リンゴ>の頭や耳をもふもふしながら、アサヒにジトッとした目を向ける。
アサヒは失言したといった風で、両手で自身の口を押さえていた。
さすがに、<リンゴ>に対してデリカシーの無い発言をした、と理解したらしい。
「もう、<リンゴ>も。何年ここで暮らしていると思っているの。一朝一夕でどうにかなるんじゃないんだから、もうちょっとシャキッとしなさい」
「…………」
不安定になっている<リンゴ>を、イブはひたすら甘やかしつつ。
そんな主従を前に、アサヒは目を泳がせながら、口を開いた。
「あー……。アサヒ、言い過ぎましたね……。<リンゴ>、魔素は未知の素粒子です! そう仮定しているじゃないですか! この惑星には未知の素粒子が存在し、通常の生体活動に伴い体内に取り込まれ、既存の物質と置換されます! 未知の素粒子を含んだ物質は、既存の物質と全く同じ振る舞いをします! なので、大丈夫です! この惑星そのものが存在を続けていることが、何よりの証拠ですよ! 問題があるなら、ここに生物が存在しているわけが無いんですから! ね、大丈夫ですよ!」
「…………」
稀に見る<リンゴ>の醜態に、アサヒは焦ったようで、何やらまくし立て始めた。
若干落ち着きを取り戻し始めた<リンゴ>の感情図形を眺めつつ、イブは考える。
この<リンゴ>の反応、完全に、怖い目に遭った幼女じゃね?と。
いや。
分かっているのだ。本AIにとって、そんな微笑ましい状況では無い、ということは。
ただ、恐らく。
<リンゴ>にとって、世界は既知のものだったのだ。
自身が有するありとあらゆる知識と乖離は無く、全ての現象が、想定したとおりに動くものだったのだ。
もちろん、細かい違いはあるし、なんなら魔法現象なんて埒外のものではあるが。
それも、自身の管轄する範囲内においては誤差として片付けられるものであり、そこまで問題視するものでは無かった。
それが。
今回、隅から隅まで知っているはずの<ザ・ツリー>内部で、存在意義の根幹である司令官に、未知のものが見つかった。
見つかってしまったのだ。
だから、これは<リンゴ>にとって、全く予想も付かないもの――恐怖、となったのだろう。
分からないものは、怖い。
知性体として、ごく当然の反応だ。
そして、生まれて初めてその恐怖を体験した<リンゴ>が取り乱したとして、まあ、たぶん、仕方の無いことなのだろう。
未知への恐怖って、まずは慣れないといけませんからね。
リンゴちゃんもこれから成長してくれるはず。
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