第327話 フェンリルとのお付き合い
「司令。緊急警報発報を確認。<フェンリル>です」
「んおっ。また来たか!」
トレーニングルームで日課のランニングを行っていたイブに、<リンゴ>が報告する。
ランニングを止め、大きく息を吐くイブ。そんな彼女に<リンゴ>がさっと近づき、吸水タオルを渡した。
「まあ、ちょっと短いけど丁度いいか。聞きながら司令室へ向かうわ」
「はい、司令」
イブはさっとタオルで顔を拭い、首にタオルを掛ける。タイミングを見計らって渡された電解質補給飲料を受け取ると、それを飲みながら歩き出した。
「いつもと同じ感じ?」
「はい、司令。特異な行動は見られません。縄張巡回と考えられます」
歩くイブの斜め前に、投影型ディスプレイが出現する。表示されたのは、動体感知センサーが捉えた各種のデータだ。
「足音、推定移動速度、出現位置ともに予測範囲内ね。対応はいつも通り?」
「はい、司令。既に<アイリス>が対応を開始しています」
<リンゴ>はそう答えながら、さっとイブに上着を羽織らせた。そして、運動のために結い上げられた髪と、巻かれたターバンを<リンゴ>は手際よくほどいていく。イブの動きに追従し、その動作を一切遮ること無く髪を解き、櫛を通し、その容姿を整える。
熟練の動きである。恐らく、主従共に、そんな遊びを楽しんでいるのだろう。
「今は、確か例の燃石弾頭を配備してたわね……うん、投入予定、と。どうなるかしら」
「こちらが対応できることをしっかりと示さなければ、再び縄張の拡張が行われる可能性が高い、というのが予想結果ですので。物量作戦は楽ですが、周辺環境への影響が大き過ぎます」
ちなみに、<フェンリル>は以前の戦い以降も、不定期にこうやって境界付近に出現するようになっていた。
最初は再侵攻かと身構えたものだが、どうやら威力偵察のようなもので、今では<フェンリル>としての通常の縄張巡回行為らしい、と考えられている。
そして、そのたびに大量の弾頭とミサイルを撃ち込んで迎撃しているのだが。
「放射性物質と重金属による土壌汚染、よね。除去技術の成熟には一役買ってるけど、こうも頻繁じゃあねぇ……」
砲弾は威力を高めるために、鉄や鉛よりも比重の大きい劣化ウランを主要構成材としている。核燃料の精製のために副産物として発生していたものの在庫処分、という側面もある。
その他、ミサイルにも様々な重金属や有害な化学物質が使用されているため、大規模な攻撃を行うと、その周辺の土壌が極度に汚染されてしまうのだ。
「除去自体は可能ですが、周辺の生態系が大きく破壊されますので、頻繁に行いたくはありませんね」
そして、汚染除去作業は、対象地域の表層土壌数mをまるごと引っぺがし、分解回収装置にぶち込んで有毒物質をより分けるという力業によって行うのだ。
当然、生息する動物は追い散らされ、植生は完全に破壊される。
限定的な範囲とはいえ、あまり環境破壊を行うといろいろと問題発生の可能性があるため、<ザ・ツリー>所属の知性体にとっては、無駄にストレス値が上がる面倒な作業なのだ。
「燃石弾頭、初の実戦投入かぁ。ちゃんと効果があるといいけどねぇ……」
「朝日の検証結果を信じましょう。燃石弾頭搭載のヨトゥン12番艦が移動を開始しました。現場到着までおよそ15分」
そうして歩きながらある程度身だしなみを整えたイブと<リンゴ>が、司令室に入室する。
室内にはアカネとイチゴが待機しており、現地戦略AI<アイリス>のバックアップに入っていた。
「アカネ、イチゴ、ご苦労さま。状況は?」
「はい、お姉様。攻撃機のスクランブルが完了しました。先行して発射された極超音速ミサイルが、間もなく現着します」
着弾まで、23秒。
そんな表示が、投影ディスプレイに掲げられている。
牽制用の通常弾頭ミサイルが、現場に現れた<フェンリル>に急速に接近していた。
「同定完了した。個体識別名<フローズ>。通常の縄張巡回行動と推定」
監視装置による映像の中に、複数回の閃光が発生。マッハ6という超高速で飛来したミサイルが、<フローズ>の周辺に着弾したのだ。
ミサイルは僅か6本、しかも精密誘導もしていないため、牽制以外のなにものでもない。
だが、<フローズ>はこちらの対応力を測っている節があり、即応にかかる時間をなるべく短くするのが重要だ。
既にこちらが<フローズ>の接近に気が付いており、いつでも対応できるという情報の誇示である。
「攻撃機の現着は5分後。アクティブレーダーは起動済み。存在は知られているはず」
「<フローズ>の移動方向が変わりました。森から出ます。緩衝領域に侵入します」
<フローズ>は、<ザ・ツリー>側で設定した境界の外側に設定された緩衝領域へ飛び込んできた。
とはいえ、これもいつもの行動だ。
どこからどこが縄張として設定されているかの確認である。
このあたりを正確に記憶して判定してくるため、<フェンリル>種の脅威度は非常に高く設定されているのだ。
「攻撃機、ミサイルを発射。着弾まで80秒」
「<フローズ>、攻撃機、またはミサイルに反応しました。推定、レーダー波への反応です」
現地に埋設された高度情報収集装置が、次々に解析結果を送信してくる。
<フローズ>は<ザ・ツリー>の対応能力を測っているようだが、それは<ザ・ツリー>側も同じだ。
複数回発生しているこの縄張巡回行動で、<ザ・ツリー>は毎回、微妙に異なる対応を行っている。それに対する反応によって、<フェンリル>種の能力を解析しようとしているのだ。
「通常巡回時の<フローズ>の対応能力は、まあまあ分かってきた、って感じかぁ」
「はい、お姉様。レーダー波への反応範囲、音や振動への反応強度。対応可能な速度など、情報は集まっています。もっとも、それが欺瞞された情報では無い、という確信はありませんので、推定精度はあまり高くありません」
少なくとも、<ザ・ツリー>側は、相手に情報を渡さないよう対応内容にランダム要素を入れ込んでいる。
それと同様に、<フローズ>も欺瞞行動をとっている可能性は常に付きまとうのだ。
<フェンリル>種は、これまでの行動観察結果から、かなり高い知能を持っていると判断されている。
であれば、敵対する相手に嘘の情報を渡す、程度の陽動は行っているかもしれないのだ。
「対話が出来れば、まだ相互理解の可能性もあるんだけどねぇ……」
ただ、現状、相手に対話の意志があるとは考えにくい。
あるいは、根気よく付き合い続ければいずれはそういった展開になる可能性もあるが。
闘争に支配された魔の森に生きる生物種が、積極的に対話を求めてくるとは考えにくい。
「ミサイル、突入軌道」
「<フローズ>、迎撃態勢に入ったようです」
映像の中、四肢をしっかりと大地に踏み締め、空を睨む<フローズ>。
音声は聞こえないが、食いしばったその口元から漏れる唸り声が聞こえるような気迫がある。
噛み合った牙の間からちろちろと放出されるのは、高温に晒されてプラズマ化した大気分子か。
「ミサイル、着弾」
「<フローズ>、迎撃の息吹を放出しました」
映像が白飛びするほどの光量が、瞬間的に発生。ホワイトアウトした観測機器が、直後に光量調整を行った。
空中に咲く紅蓮の華が、ディスプレイいっぱいに映し出される。
「ミサイル18発、全て空中で撃墜された」
「<フローズ>の同時攻撃対象数および速度、精度、全て前回を上回っています」
「うーん、強いわねぇ……」
毎回のように出てくる<フローズ>は、確実に成長している。あるいは、対応方法の学習を積み上げている。
もう、ただ速いだけのミサイルでは、攻撃を当てることは出来ないだろう。
飽和攻撃を仕掛けようにも、逃げに徹されればそもそも攻撃範囲に収めることが出来ない、という厄介な性質も持っている。
「この感じ、そのうち突破されそうねぇ……」
「はい、司令。<アイリス>もその点を懸念しています」
「<アイリス>は、燃石弾頭の実戦投入を心待ちにしている。対応力は上がっているけど、まだ、弾頭を当てることは出来る。このタイミングが重要」
「こちらに致命的な攻撃手段がある、と知らしめることが出来る、ギリギリのタイミングだと思われます。<アイリス>は、あと数回この規模のぶつかり合いがあれば、<フローズ>が完全に対応してくる可能性を報告しています」
そんなわけで。
航空攻撃で時間稼ぎをしている間に、ようやく、陸上戦艦部隊が現地に到着しようとしていた。
実は一番仲がいいかもしれないお隣さんとの触れ合いです。日常回。
まあ、これからぶん殴るんですけども。
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